第7話 魔王の城(5) 魔族の幻術

 沈黙していた魔王が、ややあって口を開いた。


「魔族姿で人間の国に行くなど、どうするつもりだ」


 うん、それが難関なんだよね。


「……角を切り落とす、とか?」


 痛いだろうか? 牛は角を切られると痛いって聞くよな。鹿は平気だけど。


「やめておけ、痛いぞ。失神ものだ」


 そ、そんなに痛いのか。

 とりあえず魔族の角は牛と同じ、と。

 角まで神経や血管が通っているらしい。宝石みたいな見た目なのにな。


「身体を傷つけないと、エターフェに誓ったばかりだろうが。えある魔族の誇りを切るな。それに角を隠しても、瞳の色はどうする気だ」


 確かに。金色の瞳なんて、魔族くらいしか存在しない。

 さすがに目は潰したくないぞ?


 考え込んでいると、魔王が心を読み取ったように続けてきた。


「……お前は従来の魔術には詳しいが、人間としての記憶だけでは、魔族独自の”幻術”と”飛行”は知らぬだろう。教えてやるから早まるな」


 魔族独自の”幻術”とな?!

 新しい領域の術。

 魔族にしか使えない技ということで、俺にとっては”魔族であることを再認識させられて落ち込む流れ”である筈なのに、不謹慎にもつい心が弾んでしまう。

 純粋に嬉しいよな、新しい術が増えるなんて。


「術を使うから、続きの間に移動するぞ。隣の部屋なら、お前が魔術封じを施していない」


(ん?)


「今なんて言った?」

「続きの間に移動する、と言った」

「そのあと」

「お前が魔術封じを施していない」


 つまり。

 つまり魔王の自室に魔術封じを展開したのは俺だった、ということなのか。

 指輪作っただけじゃなかったのか。魔王殺害を全力で阻んでるじゃねーか。

 いいや、俺じゃない。エトールがやったんだ。エトール、覚えてろ!


「こら、そんなところでしゃがみ込むな」

「……ちょっとエトールってヤツを呪ってやろうと思って……」

「呪うならほどほどにしておけよ? 泣くのは自分だぞ? くだらないことを言ってないで、術を教えて欲しいならさっさと来い」


 すげない言葉に促されて、よろよろと魔王についていく。

 我ながらこのゲンキンさ、もの悲しいものがあるが、術を教えてもらえないのは困る。





 続き間は、最初に予想した通り寝室だった。

 部屋の中央に、豪奢な天蓋がついた大きな寝台がある。

 寝室こそ”魔術封じ”が必要なんじゃないか?

 そう思ったが、余計な言葉は飲み込んだ。「ここも施せ」と言われたら面倒だ。


 その寝台の傍らで、「お前にこんな初歩の術の手ほどきをするとは、なんだかおかしな気がするな」 

 そう言いおいてから、魔王は講義を始めた。


「まず見せるが、幻術とはこういうものだ」

 術を行使する微かな気配と呟きの後、魔王の周囲の空間が、くにゃりと歪んだ。次の瞬間には。


 魔族の少年がそこにいた。

 視線の高さが一緒だ。

 どこかで見た……って、これ、今の俺の姿か!

 もしこの場を誰かが見ていたら、鏡のように向き合った双子の姿に見えるはずだ。

 服まで全く同じに変わっている。


「仕組みとしては、本来の身体に幻覚をかぶせて、見る者を錯覚させている」

「幻覚?! いやでも声が。声が、高くなってるぞ?」


 魔王の低く落ち着いた声が、声変り完了前の子どものそれに変わっている。エトールの声だ。


「同時に、自分と相手の脳に働きかけて、そう聞こえさせる。さらに自分の脳には、視点の高さを錯覚させる。その際の視界は魔力感知が生み出した映像が使われている。だが、直接相手に接するような……たとえば持ち前の筋力はそのままだから、どんな姿に変じていようと魔力で底上げしない限り、お前の場合、接近戦は厳しいかもしれないな」

「ほぁ……」

「なんだ、そのよくわからん返事は」


 目の前の魔族の少年が偉そうに喋ってる。

 中身が魔王だと、同じ顔なのに、きりりと賢そうに見えるのが何だか釈然としないが……。けれど、横柄に感じないのは、命令する立場として振舞いがごく自然で、板についてるせいか。さすが魔王だな。子ども姿でも、ちゃんと王侯貴族の風格がにじみ出てるというか、うん、真似できない。


 それにしても、俺が言うのもどうかと思うが、こうして見るとエトールってやっぱ見目が良いよな。さすが美形魔王美形エターフェを掛け合わせただけのことはある。


 魔王の品位補正のせいか、鏡で見た時よりも美少年度がアップしている、気がする。


 ん、鏡? あれ? あの時見た角の色は、もっと違ったような……。


「角、黒じゃなかったっけ」


 角だけは、魔王自前の金色に輝いている。


「幻術の特徴だ。角色だけは覆い隠せない。特殊な技術を用いれば例外もあるが、それでも角が発する魔力までは真似できない。したがって同色の角を持っていたとしても、魔族同士では幻術は成立しないから、なりすましや入れ替わりには使えない。ただし、他種族に変わる分には問題ない」


「つまり人間になる分には支障なし、ってわけだな?」


「人間は我らのように常に魔力を感知しているわけではないから、やつらには見破れないかもしれぬが……人間姿でも魔族には同族だとバレるぞ? 己の魔力を覆い隠さない限りはな」


 さり気なく美味しいこと教えてくれる。

 つまり身体から自然に出てる魔力さえ隠せば、魔族にもバレない、ということだ。

 それにしても、なんで角色は無理なんだろう?

 ま、いいや。今必要じゃないから追及しなくても。


「なるほど! で、どうやるんだ?」


 さっそくやってみたい!! ワクワクしながら尋ねたのに。


「そうだな……。”教えてください、父上”と言えば、教えてやろう」

「はあ??」


 魔王め、王妃の真似か、とんでもないこと言い出しやがった。


「嫌に決まってるだろ? さっき教えてくれると言ったのに、条件を後付けするなよ」

「何も難しいことは言ってない。エターフェのことは”母上”と呼んだではないか」

「あれは、逆らえないその場の流れだ。あれだって精神的には相当大変だったんだ。なんで魔王まで……。赤の他人に父と呼ばれたがるなんて、どんな変態だよ! 娘婿にでも呼んで貰え!」

「変た……。黙って聞いていれば、その口の悪さはどうにかならんのか。マーレフが聞いたら卒倒するぞ。あれはお前の教育に特に熱を注いでいたからな」

「マーレフ、誰?」

「小姓頭だ。会ったはずだが?」


 ああ、あの人か。

 城で最初に会ったな? 「悩み事は何か」と熱心に聞いてきてくれた人だ。

 名前を聞いても誰だか分かんない人だらけだな。うん、やっぱり無理がある。


「これから出てくんだ。他の奴らなんか会わないから問題ない。魔王を父と呼ぶくらいなら、自分で幻術を研究する」

「何年かかるかわからんぞ? アトレーゼ行きをやめて城で暮らすなら、当然マーレフにもほぼ毎日会う」


(くっ……。一言。一言の辛抱だ。それで魔族の幻術が手に入るんだ。大人として耐えろ、俺)


「お……、教えてくだ……」


 恥辱に顔を伏せたまま、ぷるぷると肩を震わせつつ、意を決して口を開く。

 ちらりと魔王の方を見ると、

「なんで元の姿に戻ってるんだよ! 余計無理、絶対無理」


「しょうがない奴だな。目的のためなら、心にないことでも言えないと、生き抜いていけんぞ」

「……おまえ、自分の子どもにそんな大人になってもらいたいのか?」


 最初に見た小さな少女の顔を思い出しながら、魔王を上目遣いに睨む。

 そんな王女様なんて、嫌だな。

 魔王も嫌だったらしい。少しの間を開けて、条件を変えてきた。


「仕方がない、特別に先の条件は引き下げてやる」


(お? 話が分かるじゃないか)


「ありがとう!」

 喜びの声が出た。それにつられて表情も自然と柔らかくなる。

(なんだかんだいいつつ、魔王、ほんの少しは良い奴かも知れん。練り菓子ロクムくれたし)


「だが! 余のことを”おまえ”と呼ぶのはやめろ。”他人”と言うのもだ。他の者が耳にしたら、要らぬ疑念を抱きかねない。今まで通り”父上”、それが無理なら、せめて人前では”陛下”と呼べ。あと普段の言葉遣いも気をつけろ。自覚がなくとも、王子だということを忘れるな。これが術を教える条件だ。わかったな?!」


 有無を言わせぬ迫力に、大人しく頷く。

 城は出てくから、他の奴らに会うつもりは金輪際ない。

 この条件なら、楽勝だな。

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