第6話 魔王の城(4) 餌付け

 魔王は、何を言ってるんだ? 何を言い出すんだ?

 少年の身体に魂を押し込めたわけじゃなく?

 俺が、魔王の子として生まれ育った? 

 それって転生……。


「”転生の秘術”……」

「さすがによくっているな。そうだ。”転生の秘術”をお前の魂に対して使い、息子としてこの世に生み直した」


 古代の禁呪。本来自身の若返りなどを目的として、記憶を保持したまま生まれ変わる難易度激高の術。

 生まれ変わり先を指定するとなると、それはもう高位の神でもない限り不可能な領域だ。


 呆然と疑問が口をつく。

いにしえに失われたはずの術じゃ……?」


 魂を扱う術は本来神族の管轄だった。その一部が漏れ出たことに気づいた神族が、術の記録は全て消し去ったと神話にはある。


「だからその亜流といったところだな。第三者、この場合余が介在しないと、術は行使出来ない。魔族が保持していた古い文献を読み解きつつ、足りない部分は独自に補足したから、本来のものとは異なっているはずだ。成功するかどうかは賭けに近かった。記憶も消えていたようだしな」


(それってほぼ実験!)


「なんで、そんな術を俺に使うんだ! そのうえ作為的に自分の子にするってどういうことだよ?!」


 混乱しながら吐き出した問いに、至極当然と言った顔で魔王が答える。


「人間の世界でも気に入った相手を養子に迎えることは、よくあることだろう」


 いや、あるけどさ。

 あるけど、それとはだいぶ違うくね?


「とはいえ人間を養子になど、立場上、周りが認めぬと思ってな。実子として生めば手っ取り早いし、100年足らずで寿命を終えてしまうこともない。魔力量も比べ物にならぬはずだ」


 ああ、う――ん? 言ってることはわかる。わかるけど、全然わかんねぇ。

 何これ、俺がおかしいの?


 もしかして魔王って、顔と地位と実力で誤魔化してるだけで、実は相当、天然なんじゃないだろうか?

 一見筋が通っているように見えて、根本的に崩壊してる。


 更にはそこまで気に入られた理由がわからん。

 魔術師としての知識欲しさと言っていたが、自分が太古の秘術を復元できる程の腕前なら、俺ごときは必要ないだろう。


「魔王、おまえ……、まだ隠してる意図があるんじゃないか?」


 睨みつけるように聞くと、満足そうな笑みを口の端にひらめかせただけで、答えやしない。

 こいつ……!!


「何にせよ、残念だったな? 何を目論んでいたにしろ、記憶が戻った以上、俺は魔族には従わない。王子だと言われても、そっちの記憶はないんだ。たとえ今の自分が魔族だとしても、魔族は敵、その認識は変わらない」


 きっぱりと言い放つ。


「敵、な。記憶がなくても、ちゃんと感情は維持出来ていたようだが。

確か、”尊敬して、憧れて、信頼して、慕っている”、だったか」


「――? ……! あああっっ!!」


 魔王が言った言葉の意味を咀嚼そしゃくして、俺は青くなる。もとい、顔の方は気持ちに反して真っ赤になった。


「違うっ、それはエトールが思ってたことで、俺じゃない!」

「エトールはお前以外に存在しいないない」

「勘違いだった! そんなことは欠片も! 微塵も! 思っていない!!!」


 少年が魔王を父親として尊敬しているとか、慕っているとか、迂闊にもそんなことを口走った気がするが、記憶違いだ。

 ない。断じて、ない。


 13年間が頭から消えてて助かった。

 もしも”魔王を父として懐いてた自分の姿”なんてものを覚えていたら、危うく精神崩壊を起こすところだ。

 己の中の真っ黒な過去は、今この場に乗じて埋葬する!


――しかし、魔王は覚えている。


「くそぉ……、いっそ一思いに殺せ」

「まだそんなことを言っているのか」


 屈辱に肩を震わせながら述べた言葉は、呆れ声に一蹴される。

 その時、盛大な音が部屋に鳴り響いた。


 くきゅるるるるるるるるるぅぅぅぅ


(なぜ、このタイミングで鳴る!!)


 もうもううつむいた顔が上げられない。こんな辱めを受けようとは、魔王に挑んだあの日には想像すらしていなかった。


「腹の方がよほど正直だな? 夕食を食べていないと言っていたか。一食抜いたくらいで死にはしないが」

「……昼も食べ損ねたんだ」

「二食食べてない程度でも死にはしないが、お前が部屋に来た時、この世の終わりのような顔をしていた理由はわかった」

「違う。それは魔族にされたからだからな? 食事のせいじゃない。深刻さがまるで違うんだから混ぜないでくれ……」


 力ない反論は、ヤツの耳を素通りしたらしい。全く違う言葉が返ってきた。


「今この部屋には練り菓子ロクムしかないが、食べるか?」


 目を遣ると、ドーム型の蓋を被せてある、銀色の小さな菓子入れを差し出してきている。

 俺、何だと思われてるんだろうな?


「……らない」

「そう言うな。もしかしたら毒でも入っていて、望み通り死ねるかもしれないぞ?」


 蓋を外しながら、中身を見せてくる。


(こ、これ、夕食についてた美味しそうな菓子!)


 これが”練り菓子ロクム”か。あの時は食べ損ねたが、内心とても気になってた。ものすごく食べてみたい。


 俺の心が揺れ動いた隙を見逃さず、魔王が畳みかける。

「試してみるか?」

「――息子に毒を勧めるのか?」

「従わぬ息子など要らぬからな」


 なるほど。

 毒の件は方便だろうか。いや、微妙だな。

 以前も「従わない」と言っただけで即刻られたんだ。楽観視しない方がいい。

 でも食べてやってもいい。今なら胃も痛くない。

 俺を殺して、せいぜい王妃に責められろ。


「っ!」

 右手を伸ばしかけ、思わず顔をしかめる。

 そういえばさっき火傷したんだった。おそらくは最小出力の雷撃だったようだが、それでも手の平は無残なことになっていた。


「おい」


 ぱくっ。

 魔王が呼びかけてきた時には、すでに左手で菓子を摘まんで口に放り込んでいた。


「何これ、超絶に美味い!! これで死ねるなら、本望かもしれない!」


 自分でも分かる。いま間違いなく、幸せな気分が発散されたことが。

 思わず口に出して絶賛してしまったが、菓子の素晴らしさに表現が追い付かなかった。語彙の乏しさが情けない。


 これはあれだ、天上世界の味だ。

 こんな菓子があるなんて!

 キプロティアって実はポテンシャルすごくないか?!

 甘い砂糖をまぶした生地のもちもち感と、練り込まれているナッツの噛み応えが織りなす絶妙の調和。しかも腹持ち良さそう! これ開発した人、天才だ!


 こんな美味いものが、この世にあるとは。

 もっと生きたくなってきた。毒の真偽は不明だが、一応”解毒”かけとくか? あ、術封じで無理なんだった。


「おい」

「あ、いただいてます」


 “いただきます”を言い損ねてたことに気づく。食べ物に対して礼を失するところだった。

 言いながら、2つ目を口に運ぶ。


(えーと、全部で5個だったか)


 この至福を味わえるのはあと3回ということになる。しかし魔王の菓子だ。あいつの分も残して……。待て待て、毒かもしれないとなると、これは全て俺が食べて良いという話に……。


 葛藤しながら目算していると、魔王が何だか呟いている。


「小姓から聞いたことはあったが、これほど顕著だとは思ってもなかった。

“魅了”よりも”餌付えづけ”の方がよほど危惧されるな……」


 かぶりをひとつ振って、魔王が続ける。


「それで、手の怪我はどうなのだ」

「? 普通に火傷の痛さだけど」


 なんでそんなこと聞いてくるんだ。


 すると魔王が、くだんの指輪――”魔術封じ無効化”の魔道具――を指から外し、俺の手のひらに乗せた。

 これを使って、自分で火傷を治せということか。

 毒を勧めながら、治癒を促す。あれ? おかしくない?


 改めて指輪を眺める。

 魔王が指輪に多少の魔力を込めているのを感じる。のは、ともかくとして。

 色石のめ込まれていない、太めのアームで作られたシンプルな指輪だった。

 指輪の表面に刻まれた術式は、無駄な魔力の消費が無いよう必要最小限に絞られて、効率的に組み合わされている。


「俺でもこう作るな……」


 つい呟くと、思わぬ答えが返ってきた。

 

「そうだろう。お前が作った指輪だ」

「なっ……!」


(それじゃあセレムの”魔王殺害計画”を阻害したのは、俺自身エトール??)


 つまり、人間時の記憶のなかった俺は、父親である魔王のためにいそいそと、魔術封じの部屋でも魔術が行使できる指輪マジックアイテムを作って渡していたらしい。


(信じられない……。エトールめ、何という悪辣あくらつな邪魔を)


 気力を大幅に削がれ、がっくりと力が抜ける。


 く……、さっさと火傷治して、菓子の続きを食おう。この衝撃には癒しが必要だ。


 エトールの自作らしい無効化指輪を使って、部屋を覆う魔術封じを封殺すると、迷うことなく神聖魔法を生じさせた。

 左掌中に、あたたかく淡い光を認め、そのまま右手の火傷に近づけ――。


「待て! 治癒に神聖魔法を使うな!」


「え? !! 痛っつ――っ」


 突然の激痛に思わず閉じた目を開けて見ると、右手には先の火傷やけどなど比べ物にならない程、深い熱傷ねっしょうが出来ていた。

 表皮だけでなく、皮下組織まで達してしまっている。


 おそらく制止しようと手を上げかけていた魔王がため息をつく。


「魔族の身体に神聖魔法の治癒を施すなど、逆作用するに決まっている。

身体の損傷を治すなら、闇魔法を使え」


「闇魔法……」


 魔王の言葉に愕然とする。


 つまりは魔族の身体では神の恩恵が受けられない。

 その事実は否応なく今の自分が魔族である現実を突き付けてきた。


(発動は出来るのに? 俺は今も変わらず女神セレイラを信仰しているのに?)


 身体に使うと、この身を焼くのか?


「なんだよ、それ……」

「エトール?」


 悄然しょうぜんとした俺に、! 気遣わし気にこちらの様子を探る。


 キッ!


 魔王なんかに案じられるほど、心意気まで落ちぶれちゃいないんだよ!!

 つい、ショボンとしちゃっただけだ、今のは!!


 意を決して正面の空間を見据え、もう一度同じ神聖魔法を唱える。

 今度は、術の魔方陣を宙空に視覚化させ、描かれた神聖文字を指で滑らせて位置を入れ変える。そのまま術式も2、3いじって組み替えた上で発動させた。

 治癒効果を持つ神聖魔法が正常に作用し、酷かった熱傷は瞬く間に消えた。


「よし、使える!」


「ずいぶん強引な方法をとったな? それが出来る時点で驚くに値するが……。

なぜ闇魔法を使わん? 人間だった頃から使えていたではないか。魔族になってからは余が徹底的に教え込んでいる。闇を用いる方が手間も負担もないはずだ」


「魔王仕込み? それは凄いな」


 記憶にはまったくないけどな!

 俺が覚えてるのは、アトレーゼで独学ったヤツだけだ。

 

「そりゃセレムだって使えるけど、闇魔法で治癒なんて、なんだか怖いじゃないか。本当に治んのか、という不安が先に立つし」


 だって本来はしかばねを操ったり、死者を呼び出すような復元術だ、あれ。


 俺としても、使用された時の対策と、術の幅に深みを出すために覚えたに過ぎない。

 闇魔法が使えると「魔族のようだ」と忌み嫌われる。だから、俺も普段は秘して、対魔族戦でしか使わなかった。人間で闇魔法を好むやつは少ない。王都にひとり使い手がいると聞いたくらいで……魔族にはスタンダードとか、やっぱ違うもんだな。


 3つ目の練り菓子ロクムを、今度は治った右手で貰い、頬張りながらふと見ると、なぜか魔王が苦悶するように目頭を揉み下している。


 珍しい光景だが、どうした? あ、毒の効きが悪いとか? 3つも食べてるが、今のところまだ何の変化もない。いつ頃発現する毒なんだろうか。


「なぁ、ところでこの毒入り菓子、なかなか死なないな?」


 疑問に思って聞いてみると、チラリとこちらを見た魔王からは、心底どうでもいいとでも言いたげな声音で返事が返ってきた。


「遅効性だからな、数千年もすれば効いてくるかもしれん」

「すう……千年?」


 遅効性にもほどがある。そんなのもう毒とは言わない。

 自ら食べたに関わらず、“誓約の術”が反応しないはずだ。

 その前に生物としての寿命が尽きる! ……と、思うけど。


 え、もしかして魔族って……何年生きるの?

 恐ろしい想像をしてしまって、慌てて思考から追い払う。


 つまり、この毒菓子では当分死なない、ということだ。

 と、いうよりも。


「毒入りじゃないだろ、これ」

「……当たり前だ。そんなもの、どうしてわざわざ部屋に置く必要がある」


 魔王のヤツ、「今頃気付くな」と呆れたように言い放ちやがった。


 なんつう憎たらしさ!


 お、俺だって、おかしいとは思ったんだ。

 息子(――まあ、俺なんだけど)を殺そうとしただけであんなに激昂げっこうしてた魔王が、毒入り菓子を勧めて来るなんて。


 ……つまり、今度はすぐに命を奪う気はない、と、そういう解釈でいいんだな?


 それなら。


「さっきの話だけど。やっぱり怪我は神聖魔法で治せた方がいい。

もし人前で闇魔法の治癒なんかしたら、魔族ですって名乗ってるようなもんだから」


「人前? 魔族の前なら普通のことで、逆に神聖魔法の方が怪しまれるが……」


 言葉途中で気づいたように魔王が問いかけてきた。


「どこかに行くつもりなのか?」

「生き延びたのなら、アトレーゼに帰る」


 俺の返事にヤツは何かを言いかけ……、言葉にしないまま口を引き結んだ。


 魔王が俺の命を取らず、エトールが魔王を殺したくない以上、俺としてはここに居る理由なんて何もない。ゼラント王の命令だって14年経ってる。状況が変わってるかもしれないし、一旦切り上げていいと思う。


 死ぬのは、止めだ。

 息子だなんて知ったことか。魂を無断転用した方が悪いんだ。この身体は俺のものとして貰い受ける。そう決めた。


 菓子入れにはまだ2つ、練り菓子ロクムが残っていた。

 正直食べ足りないけど、毒入りじゃないなら、これは魔王に残しておいてやろう。

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