第10話 氷穴(1) 杖との再会

(うん、結構イケてるじゃないか)


 魔王の言葉通り、エトールの身体は空にとてもよく親しんでいたようだ。

 魔族の兵に抱かれて飛んだ時は動きの予測がつかなくて恐怖しかなかったが、自身で飛ぶと意志が介する分、また違うらしい。

 つーか、正直オモシロイ……。


 何がって、速度調節が。


 夜遅い上空はとても冷えたので、とりあえず身体を覆う薄い結界を展開した。

 そしたら、呼吸がすごく楽になったんで、じゃあついでにと、身体強化やらなんやらを施したら――なんかいろいろ耐えれそう?

 てなことで、風魔法で速度を上げてみた。


 これにハマった。


 いろんな術を組み合わせて微調整しながら、どこまで速度が出せるんだ? と追及したあげく、いまかなりの速さで飛んでる自覚がある。


 いや、はじめて飛ぶのに無謀な実験してんなぁとは思ったけど、どうせこの高さから落ちたら一緒だし。

 それに早く目的地に着いた方が、高所から開放されるし。

 従聖剣の霊力は確実に近づいてきている。この方角で間違いない。


 これは計画性を備えた意味のある行動であって、断じて好奇心とか遊び心とは違うはず。よし。


 それにしても常時発動しても痛くも痒くもない潤沢な魔力に驚く。これが魔族か。人間だった時には考えられない贅沢使いだ。


 そういえば魔王が、自分のもとに来たら「有り余る魔力を授けてやる」的なことを言ってた気がする。あいつ、そういうとこは律儀なのか? 変なやつ。


 とはいえ、魔王の部屋で夜通し時間を使ったせいで、早くも空が白み始めている。速く移動しきらないと。下がはっきり見えたら、また怖くなりそうだ。


(俺につきあった分、魔王も徹夜だな。ふん、ざまあみろ)


 心の中で吐き捨てて、ハッと我に返る。


 ちょっと待て。いまの俺、小物こもの過ぎないか?!


 すっごい、子どもっぽい……。

 まさか精神年齢がエトールに引きずられていることはないと思うけど、それならそれで自分の幼稚さを疑う問題だ。


(疲れてるんだ。そうだ、いろいろあった。ちゃんと休んだら治る)


 魔族に捕らわれて、囲まれて。魔王に対峙して、突き落とされて。食ってないし、寝てない。そりゃ思考だっておかしくなるさ。


 自分を慰めながらしばらく飛んでいると、左右の峻険な山がまとめて後ろに流れた。

(山岳地帯を抜けたのか?) 

 そう思った途端、開けた視界に飛び込んで来た景色に、一気に圧倒された。


(う……わ……!!)


 それはもう壮大な、胸のすくような光景で。


 気取った表現を使うなら。

 大小様々な雲が、時に微細に、時に大胆に、たなびきながら複雑に重なり合って散り広がる。

 そんな果てしない空の下には、誰にも侵されていない雄大な自然が横たわっていた。


 中央をゆっくりと流れる大きな川は、蛇行しながら周囲に生い茂る森を従え、終着先が見えないほど長く。

 僅かばかりの曙光しょこうを受けて輝く水面が、黎明の先触れを務める誇らしさに揺れている。

 遥か川向こうにそびえ立つ山々は、まだ顔見せぬ光だけの朝陽に染め上げられ、柔らかな薄靄うすもやまとい、美しい色調にかすんで、ただ静かにる。


 こんな感じか。うん、詩人だな。聞いてるヤツはいないけど。てか、聞かれたらもだえ死ぬわ。


 冷たく清浄な空気が肌を撫で、肺に沁み込んできた。


 相当な高さなのに。怖くなかった。むしろ最高に心地良い。


(キプロティア、練り菓子ロクムだけじゃない。自然も文句なく凄い……!)


 冒険者をしていたから、いろんな朝を見てきた。

 けれど、ここまで心を鷲掴みにされるような夜明けに出会ったのは、たぶん初めて。

 我を忘れて、そのまま天空に静止してしまう。


 まずい。なんだこれ。

 キプロティアに対する言いようのない敬意が込み上げてくる。

 もしキプロティアを好きになんかなったら、アトレーゼに対する裏切りにならないか?


 魔族にされたのはあくまで不可抗力だ。


 俺の気持ちは当然アトレーゼの人間のまま。

 さっきからエトールがガンガンに「キプロティアが好きだ」って押し上げてきてるけど、それを認めてしまったら、身体だけじゃなく心まで持っていかれたりしないか。


 ダメだ。それは、ダメ。絶対いけない。あってはならない。


 鮮烈な光の矢が山の端から天を刺し、地上を浄める中、朝の生まれ出る瞬間を前に胸を打たれて、涙が一筋、頬を伝い流れ落ちる。

 今日の俺は感傷的だ。寝てないことは罪だな。


(ちくしょー。なんだってこんなに、いちいち綺麗なんだよ!!)


 感動を打ち消すための言いがかりを必死で探しながら、昇る朝日を前に、大空に釘付けにされていた。





 我ながら無駄なあがきをしたものだと思う。

 諦めた。

 良いものは良い、それは認めよう。

 キプロティアの練り菓子ロクムと雄大な自然の前には兜を脱ぐ。

 でもそれだけだ。そこで留める。


(これが大人で社会人の割り切りだ!)


 結局あの後、飛びながら悩んで出した結論は、良品に罪はない、で落ち着いた。

 だって悶々と考えてても仕方がない。

 アトレーゼに戻って「もっと好き」に再会したら、このおかしな気持ちも収まるはずだ。


 いま視線は、目立たない山の中腹にある縦の裂け目に固定されている。


(あそこか)


 女神セレイラの霊力が発せられている場所。

 ”氷穴”と呼ばれる目当ての洞窟前に、気持ちの整理を終えながら舞い降り、翼を畳んだ。


(切り替えていくぞ。おーーっ)


 ひと一人分が通れる程度の入口に、枝葉やツタが被さっているのを手で押しのける。

 足場があって良かったけど、その突き出た台座のせいで地上からじゃ見つけにくかったかもしれない。飛べて正解だったのか?


 “氷穴”と呼ばれる場所だから、内部のどこかに氷があるのかもしれないが、近づいた限りではまだ何の冷気も感じない。

 かわりに外まで溢れ出して来ているのは、従聖剣の霊力。


 しるべとして目指した筈の聖なる力を身近に浴び、今度は逆に、魔族の身体が鼻白はなじろむ。


 従聖剣が置かれている割に思い切り放置されていると思ったが、見張りが立ってないはずだ。

 これ、魔物や魔族は従聖剣の霊威でおいそれと近づけないな。


 洞窟をのぞき込んで増々辟易へきえきとした。


 中は女神セレイラの気で上から下までびっちり満たされていて、長居すると悪酔いしそうだった。


(くっ、天然ガスよりタチが悪い)


 洞窟の毒ガスなら”解毒”出来るし、軽いから天井付近からたまっていく。

 比重関係無しの霊力は所かまわず侵入して、逃げ場がない程洞窟内に充満していた。


 のんびりと物色出来そうにない。目当ての物をさっさと探して、この場から離れよう。


 ふいに、アトレーゼの主聖剣を思い出す。


 王宮近くに建つ女神セレイラの大聖堂。

 その敷地内の高い尖塔に剣は安置されていて、頂上から王都全体を見下ろし、強い霊力で街を護っている。

 魔族を退け、万一魔族が侵入したとしてもたちどころに弱体化させるなど、発揮する効果は凄まじいことこの上ない。

 人間の時は影響を受けることはなかったけれど、従聖剣ですら、こんなにこたえるなんて。主聖剣はもっと強力なのに。


 え、アトレーゼに帰るつもりなんだけど、魔族の身体で主聖剣の力に耐えれるかな。

 王都に入った途端、息も絶え絶えになるんじゃ、永住なんて夢のまた夢だ。


(そうだ結界! 結界を張ってみたらどうだろう?)


 天啓というべきひらめきを受け、さっそく試してみる。

 先ほどの飛行で使った薄い結界膜で、身体と外界と遮断する。


 明らかに、従聖剣の影響を感じなくなった。


 同時に、結界に使った微々たる魔力だけが表立ち、自分が発する魔力の大部分は外に漏れ難くなっている。と、思う。


(この方法、使える)


 この状態で上から幻術を被せれば、人間としてアトレーゼで過ごせそうだ。

 聖剣の元でも動けて、更にアトレーゼ王都の魔力探知機もかいくぐれるはず。


 アトレーゼでは強力な魔族が侵入した際察知できるように、一定以上の魔力を感知する魔道具が設置されている。

 おそらく素の状態で行けば、エトールの魔力量はひっかかるレベルだ。だけど、体の表面をこの薄い結界で覆い、魔力の大半を押し隠せば……。


 外から感じ取れるのは結界表面の魔力程度になり、人間姿に変じていれば、仮説では魔族にも気づかれない。

 当然、より魔力に疎い人間に、魔族の身だとバレることはまずないだろう。


 女神セレイラを信仰しているのに、その霊力が身体に負荷を及ぼすなんて理不尽極まりないと思っていたが、まあ解決としよう。

 常時結界を張っておくことになるが、幻術分と合わせても、消費魔力として今の身体なら負担になる量でもない。我ながら天才じゃね?


 怪我の功名とも言うべき思い付きの効果に大満足しながら、洞窟に足を踏み入れてみることにした。





(中、暗そうだな……)


 岩壁が黒い。元が溶岩か? 

 それとも表面が濡れているせいか?

 リュティスがいたら教えて貰えるんだけど……。


 洞窟の内壁はどこからか染み出した水に覆われ、ところどころ苔が生えていた。

 ゴツゴツとした岩肌に触れながら、かつての仲間パーティーメンバーを思い出す。彼女リュティスは探索の熟練者エキスパートだった。小柄な身体を生かして狭い場所でも難なく調べて来てくる、その身軽さと知識の深さには何度感心させられたかわからない。


(今の俺、ちょうどリュティスくらいの細身なんじゃないか)


 自分の身体を顧みて、何とも複雑な気持ちになる。


 早く大きく育てばいいけど、魔族の成長速度ってどのくらいなんだろう。

 13歳で年相応の発育を見せているところを考えると、子どものうちは人間同様のペースで育つのかもしれない。

 途中でデタラメになるんだな?

 魔族には、アトレーゼ建国前から魔王やってるくせに見た目は30代という、詐欺でしかない奴もいる。




(少しくだりになっているし、あかりが必要そうだ)


 こんな時こそ”杖”があれば、術で灯りを保持出来るのに。


 数歩入ってみたものの、外の光りが届かない内部の暗さを見越して嘆息する。


(松明を用意しないと無理だな。近くに松の木、あったかな)


 めっちゃ面倒くさい。

 今から松の木探すなんて。


 別の木でも代用は出来る。でも持ちを考えるなら、やっぱり樹脂ヤニは松が多い。

 枯れてるなら特に、松脂がしみ込んでいて可燃性に富み、更にいい。


 出直しを覚悟した時、急に洞窟内が明るくなった。


「は?」


 足元。光ってるのは足元だ。


 見ると壁が平らに削られて、魔術式が描かれている。

 魔力に反応する仕組みなのか、踏み出した一歩がちょうど感知されたようだった。

 気付いてみると壁のあちこちに同じ魔術式が描かれていて、通るに従い、順次光っていくような親切設計になっている。

 足を遠ざけると光は消える。


 これ、聞いたことある。古代遺跡なんかでたまにあるって話の仕掛け。

 こんな辺境の洞窟で体験出来るなんて!!


 面白いし、便利だ!


 すっかり気を良くして、しゃがみ込み、魔術式を覗き込む。

 薄ぼんやりとした明るさではあったが、足元や近い距離を見る分には十分な光源だった。


(なんでこれ、城に使ってなかったんだ?)


 魔王の城では普通に蝋燭だったよな。

 何か欠陥でもあるのだろうか。

 落ち着いたら、どっかで検証してみよう。


 ムフムフと魔術式を目に焼き付ける。


 筆記用具がない。憶えろよ、脳。

 憶えた事は必ず頭の中にあるという。思い出せないだけで。

 思い出せるよう、回路をつないどけ。


 見慣れない古代魔術の式、いつもとは勝手が違う。

 自分に覚えこませるため、式の文字列にいろんなものを絡めて記憶する。


 ひとしきり集中した後、立ち上がった。


(よし、行くか)


 思わぬ収穫だった。これで杖を見つけたら万々歳だな。


 続く、細めの通路を下りていく。

 細い縦穴はしばらく続き、その後、翼を広げることが出来る広さの、平坦な通路へと切り替わった。氷にも近づいたのか、洞窟内の気温もずいぶん下がってきている。少し寒いくらいだ。


(あ)


 いま視界の隅を走ったのは、トカゲか?

 俺を警戒して素早く隠れたようだったけど……。


(従聖剣の霊力のせいで魔物は出てこない、と考えていたけど、蛇あたりには遭遇するかもな)


 やや気を引き締めて角を曲がると、そこには大空間が待っていた。


(うわぁ……!)


 部屋、いや広間ホールと呼んで差し支えのないその場所は、少し踏み入っただけで全体が照らし出されるよう、至る所に先ほどの光源魔術式がいくつも施されていた。


 術式は互いに連鎖反応を起こす仕掛けで明るさを増し、高い天井の細部までよく見え、且つ、影のグラデーションが幾重にも重なる。

 奥に並び立つ複数の氷柱が、光を受けて幻想的に輝き、ここもまた目を奪うような光景だった。


(角度と設置場所に凝ってるなぁ!)


 キプロティアめ、がんがん攻めてきやがる!

 この調子だとあっという間にキプロティア100景とかいっちゃうぞ。


 どこの誰が、こんな人の来ない洞窟に、ここまで手を込めたんだか。


 手抜きのない演出効果に、半分呆れつつも、目の前を眺める。


 中央の目立つところに、アトレーゼの従聖剣を配置し、周囲に各種武器が、これまた魅せるように陳列されている。

 一見無作為に地面に突き刺しているように見えて、並べ方にリズムを感じる。きっと計算して置いている。


(まるで展示室だ)


 よくもまあ、従聖剣の霊力を間近に浴びるこの場所で、こんなにこだわったな。

 敵の遺品なんて、魔族にとっておそらくどうでもいいはずの品に対して。

 でも、まんざらじゃない。これって、敬意を表してくれてるわけだろ? いいヤツいるじゃん。


 で。ここが目的の場所で間違いなさそうだけど。


(杖はどこだ?)


 ざっと見回した限り、目に入らなかった。

 嫌な予感がする。


 真ん中センターを陣取る武器類の右手側には防具たちが。

 左手側には魔道具や身分証、その他持ち物といった小物が、こちらは並べられた箱の中に、こぼれんばかりに積み上げられ、蓋が出来てない状態だった。

 小物の箱の奥には、壊れた品々が無造作に重ねられているのが見える。

 見覚えのない武具が多く、またその数からも、14年前の仲間たちの物だけでない。これまで来た襲撃者の品々は、まとめてここに放り込んでる感じだ。

 価値のあるなし関係なく玉石混合なところを見ると、略奪や換金の対象にはしなかったらしい。


 そんなことよりも。

 林立したカッコイイ武器たちの中に、杖がないんだが。

 まさか。


(俺の杖は、もしかして……このガラクタ山の中とか)


 恐る恐る、壊れた品カテゴリーに近づく。


 見た目こそ変哲のない木の棒だけど、材質は【中央大陸】でも滅多に手に入らない貴重な世界樹アーレム・アージュの枝。

 見ただけで価値を見抜ける者は少ないとは言え、実は相当な高額品。そのうえ入手は困難を極め、その過程を語らせたら、一晩では足りないくらい話せる自信がある。その素晴らしい杖が。俺の命の相棒が。


 まさかこんなガラクタ山の中で一緒くたに……。


(あったぁぁぁぁ――――――――!!)


 がっくりと膝をつく。


 見間違えようのない、俺の大切な”杖”。

 何年も精魂込めて様々な機能を付与しつつ、使い易いようにあつらえた、他にはない逸品が。


 ポンと。

 ほんとどうでもいいとでも言わんばかりにポンと。


 折れた姿で、ガラクタ山の上に放り出されていた。

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