【番外】花畑の午前(エトール)

※番外編です。本編1話目の少し前の時間になります※



 おかしな夢を見ていた。

 夢の中でなぜか俺は魔族ではなく、アトレーゼの人間魔術師として、魔王である父上と交戦している。


 父上を相手に至近距離から攻撃魔術を放つが、なにせ人間の魔力。

 注ぎ込める量が圧倒的に足りない。

 呪文を掛け合わせて効果を上乗せしても、三乗程度しか出せていない術力では、父上の前には意味をなさない。当然のように軽く受け流される。

 父上が何か話しかけてくる。俺はそれを突っぱねて……。

 次の瞬間、父上の手で心臓を奪われ、容易に死を迎えたところで。


――目が覚めた。


 まだ胸がバクバクしている。

 その心音に、生きていることを確かめて、ほっと安堵する。

 額の汗がべっとりと前髪を貼りつかせていた。手で拭うついでに、魔族の証である角の有無を確認する。良かった、ちゃんとある。


(……嫌な夢を見た)


 ゆっくりと半身を引き起こしながら、見た夢を反芻はんすうしていた。

 とても現実感のある夢で、まさにたった今体験したばかりのような感覚が、なかなか身体から離れない。


(父上に殺されるのはキツイな)


 あの時父上が何を話しかけてきたのかはわからなかったが、どうして俺は逆らったりしたんだ。素直に従っておけばいいのに。


 夢の中の自分を呪いつつ、周囲を見回す。

 大丈夫、いつも通りの部屋。


 使い慣れた寝台の上で、時を確認する。

 大窓から見た空は、徐々に白んできていた。夜明けだ。天空にはまだいくつもの星が残っていたが、すぐに明るい朝のにかき消されるだろう。

 それでも起き出すには少し早すぎる時間だった。


(寝直せるかな? またあんな夢を見るのはごめんだけど)


 起きてしまったら、腹が減る。

 部屋に置いておいた乾燥果実クル・メイヴェと焼き菓子は、昨晩食べ尽くしてしまった。

 厨房はもう動き出してるだろうが、食事の催促に行くのも迷惑だろうし……。


 言えば、喜んで何か用意してくれる。

 それがわかってるから、頼みにくい。仕事の段取りを邪魔したら悪い。


 長命な魔族は出生率が低い。子どもが少ないため、”子ども”というだけで無条件に構いたがる傾向にある。ましてや俺は……。


(いいや、もいっかい寝よう)


 次は良い夢を見たい。そんな願いを込めながら、再び掛け布を引き寄せ、ベッドに潜り込んだ。






 午前中の日課は、体術や剣術を習うことになっている。

 目の前にいるのは、俺の武術指南役、ザート・ザノン・ティフォナス。

 父上の近衛軍団長を務めている。


 数々の戦歴を持つ武将だが、特に14年前、つまり俺が生まれる1年前。侵攻してきたアトレーゼの勇者一行と対戦した時の話は、彼自身が印象に残った戦闘のひとつとして耳にタコができるほど聞かされている。

 多様な術を使って思いもよらない効果を出す魔術師の話は面白かったが、ザートが接近戦に持ち込んで相手の剣を折ったくだりになると、教訓を交えてきて語るので鬱陶しい。


 曰く、「そうならないためにも、きちんと腕を磨いて、魔術だけに頼らず接近戦を制せるようになれ」と、言いたいらしいが。


 相手の魔術師を仕留め損ねてるくせに。


 折った剣に仕込まれてた魔術式の遠隔発動で通路ごと吹き飛ばされ、埋められた隙に逃げられるって、何それ。そんな話ある?


 というか、ザート負けてんじゃん。武勇伝じゃないじゃん。楽しそうに持ち出す話題かなぁ。敵の戦法が新鮮だったらしいが……この脳筋め。


 それに、だ。もし戦場にあったとしたら、本陣は厚い防衛線に守られているはずだ。そこを突破してくるような手練れ相手に、多少剣を覚えた程度では、太刀打ち出来ないんじゃないんだろうか。

 やっぱり、魔術を極めて、複数の術を同時に操ることで相乗効果を出しつつ、効率良く応戦する方が良い気がする。

 そう提案すると、

「だから剣技を”多少”ではなく、”抜きん出るよう”に鍛錬するのです」などと要求してきた。

 人には向き不向きがある。俺にどんな高みを求めてるんだ。無茶ぶりすんな。


 上位魔族であるザートはすでにかなりの時を生きているはずだが、鍛え上げられた体はますますのキレを見せ、円熟した技は多岐に富み、他を寄せ付けない。

 豪快な性格だが、もう少し細かな点に配慮して欲しいと思う。

 例えばこう、少しは俺に花を持たせて勝たせてくれるとか、そういう遠慮や手加減を求めたい。毎回毎回打ちのめされていると、やる気も削がれるというものだ。

 ……ま、ザートは演技下手だから、それやられると逆に腹立つだろうけど。


 そんな彼と、稽古の小休止にいつものように雑談をしていた。


「殿下、今日はまたいつもにまして、一段と身が入っていないご様子ですなぁ」


ほがらかに言う内容がそれか。


「夢見が悪かったんだ」

「ほう? どんな夢をご覧になられたのですか」


 口に出すのを一瞬ためらう。

 父上に敵対している夢など、叛意はんいありと受け取られては嫌だ。


「嫌な夢はひとに話してしまうに限るといいますぞ?」


 再度うながされる。夢の話なんて、そんなに聞きたいものかな?

 ニヤニヤと好奇心に溢れる表情は間違いなく面白がっている。

 それはわかっていたけど、モヤモヤする気分を晴らしたくて、結局話した。

 そして、話を聞き終えた彼に、大胆に笑い飛ばされた。


「有り得んでしょう? 陛下が殿下を大切に思われていることは、御身様とてよくわかっておられるはずです」

「でも、夢の中で俺は人間だったんだ。それで多分、父上も気づかれなくて」


 殺された時の状況を手真似で再現する。


「人間? それまたおかしな夢をご覧なられたものですなぁ」

「そうだろう? ……気分が乗らない。今日はもう、やめておく」

「夢の話は稽古をさぼる口実ではありますまいな? それこそ陛下に叱られますぞ」

「口実ならもっとマシなことを言うよ」

 何かにつけてさぼってるからな、信用がない。



 一週間前に、何か面白いものがないかと、敵の遺品を放り込んでいる”氷穴”をのぞいてから、気分がすぐれない日々が続いていた。

 置かれた品々の中で興味を覚えたのは、アトレーゼの従聖剣と、なぜか目についた魔術用の杖くらいで特に収穫もなかったのに、あそこから帰って以来、頭痛はするわ、夢見は悪いわで、軽い気持ちで行ったことを後悔している。


 その魔術用の杖は壊れていて、魔力を通そうとしても跳ね返された。組み込まれた仕掛けを探れたら、人間が術に”杖”を使う理由をより追及出来たかもしれないのに。


 一方アトレーゼの従聖剣は澄んだ輝きと綺麗なフォルムをしていたけれど、これでもかという程、強力な霊力を垂れ流し、早々に退散を余儀なくされた迷惑な品だった。


 変な夢を見るのも、あれが原因に違いない。夜しっかり眠れていないので、なんだか体が重い。今日はもうこのまま部屋にこもっていたい。


 そう考えていたのに、早めに剣の稽古を切り上げたと聞きつけたエレメアが、乗り込んで来た。


「お兄さま、お稽古をお休みになられたと聞きました。お時間がおありでしょう? 今日こそはイデの谷のお花畑に連れて行ってくださいまし」


「エレメア、兄は疲れてるんだ。今度にしろ」


「でも、以前からのお約束です! 今日ならお天気も良いし、絶好のお出かけ日和です」


「イデまではわりと距離があるんだぞ? お前ひとりで飛べるのか?」


「大丈夫です」


「花畑くらい、エティエルやエリセーレと行けよ」


「エティエルお姉さまは植物採集のお役目からお戻りではありませんし、エリセーレお姉さまだと年が近すぎて遠出の許可が出ませんわ。それにお兄さま、連れて行ってやると前におっしゃったではありませんか。エレメアはお兄さまと行くのをずっとずっと楽しみにしていたのです。一体いつお約束を守ってくださるの?」


 涙目でそう訴えられると折れないわけにはいかなかった。

 ねだられてうるさかったので、迂闊にも「連れて行く」と返事をしてしまった記憶がはっきりとある。

 その場しのぎに言うんじゃなかった……。

 小さい子って、忘れないよな。


 それにしてもエティエル、まだ出掛けたままなのか。何日目だ。自由だなぁ、あいつ。城に縛られてる俺とは大違いだ。

 昔と違って、いまじゃ突然高熱を出すこともなくなったんだが。はぁ……。


「……わかった。本当にひとりで飛べよ? 途中で”抱っこ”とかは無しだからな?」


「”抱っこ”だなんて。お兄さま、エレメアはもう5歳です。そんな小さな子どもじゃないです。何人か侍女や護衛を連れて行くし、お弁当も持っていきます。お兄さまにごメーワクはお掛けしません」


 すでに迷惑だけど?


(――なら、最初から侍女たちと行けよな)


 俺は必要ないだろうと思いつつ、末の妹の懇願に負けて、重い腰を上げたのだった。

 5歳はまだ小さな子どもだぞ、エレメア。

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