魔族の王太子、演(や)ってます~元勇者パーティーの魔術師なのに、魔王の息子にされた?~

みこと。

第1話 花畑の午後(1)

「お兄さま、お兄さまってば。いくらお疲れになってらっしゃるからって、こんなところでお眠りにならないで」


「……ん……」


(寝てた、のか?)


 立ち込める花の香りに鼻腔びくうをくすぐられ、更に聞き覚えのない、可愛らしい声に揺り動かされて、うっすらと目を開けた。


 ぼうっと、目の前にいた幼い女の子を見遣みやる。さっきの声は、この子か?


 ドレスの裾いっぱいに摘んだ花を広げ、手に作りかけの花冠を持っている少女が、大きな瞳でこちらをのぞき込んできてた。


(……すごい美少女だな……)


 とはいえ、どう見ても5、6歳。幼女すぎる。なんの範囲にもかすらない。

 にしても、ちょっといないぐらいの可憐さ。育てばさぞ……。


 !! 耳が尖ってる?! そんでもって瞳は金??!! 角まである!


「――魔族か!!」


 慌てて上半身を跳ね起こす。その拍子に、体の周囲にあった草花が揺れた。


 なんだここ? 花畑? 記憶がつながらない。

 なんだってこんなとこで寝てたりしてたんだ、俺は。


「お兄さまったら、寝ぼけてらっしゃるの? ここはキプロティアで、魔族しかいませんのに」


「!!」


 ? ――敵地だ!!


 魔王の治める領土の名を耳にして、一気に目が覚める。


 咄嗟に身体のすぐ横にあるはずの杖をさぐったが、指に触れるのは柔らかな草の感触のみ。改めて目を落として見回しても、手の届く範囲は全て草や花で、愛用の杖が見つからないばかりか、補助武器の剣さえ腰にない。まずい。


 完全な非武装状態だ――。


 愕然としつつ息を詰めて周囲を伺うが、開けた野原以外、あたりに人影はなかった。目の前の少女、ただ一人きり。

 遠く森の木々が花畑を囲むように並んでいた。小鳥のさえずりが聴こえてくる。


 魔族の領地と言うのに、場違いなほど、長閑のどかな光景。


 必死で現状を把握しようと努める。

 魔王の膝元ともいえる場所で、魔族の少女といる状況がまるで理解できない。


 夢か? これ。


 緊迫した空気を感じとったのか、かたわらの少女がいぶかし気な声で問う。


「……お兄さま?」


 人間ひとに害なす魔族は滅するべき、そう教えられて育った。

 手を伸ばせばすぐ捕まえられる距離に、小さな魔族がいる。


 自然と、少女の頸筋くびすじに右手を伸ばしていた。


 こんな細い首なら、少し力を籠めるだけで簡単にへし折れる。


 急所に触れられているというのに、魔族の少女は、きょとんとこちらを見つめているだけ。害されるとか、微塵も想像してなさそうで。


 ……ッ。

 こいつ、無警戒すぎる。


 信頼しきった無垢な眼差しをまっすぐに向けられて、首にそえた右手をそれ以上動かすことが出来ない。相手は、魔族なのに。


(こんな力のない子どもを殺すなんて、逆にを疑われる。勇者アルワードだって、子どもは見逃してた)


 そう思い切って、力なく手を下ろした。

 自然に吐息といきれる。


「どうしたのお兄さま。ご気分がすぐれないの?」


 心配そうに少女が尋ねてくる。


 どうしたの、と問われてもなぁ。

 俺だって、わけがわからない。

 そもそも、やけに親しそうに話しかけてくるこの幼い魔族は、迷子か何かだろうか。のんびり花冠など作っている迷子。ないな。

 親はどうしたんだ。いや、出て来られても困るけど。


 宝石をあしらった仕立の良いドレスに、幼くも品のある顔立ち。どう見ても名家の娘だ。角色は見事な漆黒。


「どこの魔族だ? おまえ」


 聞いたところで、魔族の住まいや家柄などさっぱりわからないが。


(ん? 今、声がおかしかった)


 眉根を寄せて、自分の喉に手を当てる。まるで声変り前の少年のような声。

 風邪をひいて掠れることはあっても、声が高くなることはない。なんだ?


 先の問いに答えもせず、逆に茫然とした表情でこちらを見ていた少女が、急に確信したかのように慌て始めた。


「ミーザ、ミーザ。来てちょうだい! お兄さまのご様子が変なの。お加減が悪いみたい!」


 少女が声を張り上げて呼ばわる。

 と、少し離れた場所で、若い女性が顔をあげた。


(――!!) 


 見渡した時、誰もいないと思った。高低差のある窪みで、死角になってただけらしい。

 侍女らしい女が、しっかりた。

 

 かごいっぱいに花をあふれさせてるのは、少女に頼まれて花集めでもしてたとか?


 明るい胡桃くるみ色の髪を後ろで結い上げ、清潔感のある装いに、しっかりした表情をしている。

 そして、彼女の頭にも、当然のように角があった。

 猫目石のように黄色く、明度の高い角がえている。


(こいつも魔族!)


 これだけ育っていると、魔術を使ってくる。

 魔族は人間とは違い、専門職じゃなくても大抵の者が魔術を操る。

 戦闘力を持つ魔族の登場に、思わず半身をひいて、息をのんだ。


「まあ、どうなさいました?」


 ミーザと呼ばれた女性は素早く駆け付けてくるやいなや、人間である俺相手に、腰をかがめて丁寧な口調で尋ねてきた。

 その姿勢がわからなくて戸惑う。


 敵対してたよな?

 魔王の統治するキプロティアと、隣接する母国アトレーゼが、休戦したという話は聞いてない。


 身構えたまま、無言で警戒する他なかった。


 現在何もしてきていない相手、しかも魔族とはいえ非戦闘員に見える女性をいきなり攻撃するのは、先の少女同様、さすがに躊躇ためらってしまう。それに丸腰である以上、不利なのはこちらかもしれない。

 “魔術師”が専門職だから、杖がなくても魔術の発動くらいわけはない。

 だが、彼女の角色は、下位魔族のような有り触れた色じゃない。鉱石のような輝きを持つ角は、少なくとも中位以上。すなわち魔力量が多い。一方こちらは、何が起こった後かもわかっていない状態で、魔力残量が不明。


(これ、どうやってやり過ごしたらいいんだ)


 必死で頭を動かすものの、少しも良い案が浮かばない。


 そうこうしているうちに、彼女の方では、いろいろと呼びかけても何の返事もせずに、ただ用心深く見つめ返すだけの俺の様子を、異常な事と判じたらしかった。


「すぐに誰か呼んでまいります。こちらで待っていてくださいませ。さ、姫様」


 そう言葉を残すと、姫様と呼んだ幼女の手を取り、身を翻した。

 気がかりな様子で、チラチラとこちらを振り返りながら去る少女の背中をただ見送って、思案する。


 魔族が呼んでくる誰か。

 それはすなわち、呼ぶ相手も魔族であるはずだ。

 第一、ここはキプロティアだと言っていた。

 はっきり言って、魔族しかいないと考えていい。味方の姿はどこにもない。

 武器もない、単身であるこの状況で、魔族が増えたらが悪くなる。


(何が何だかわからないが、ここは逃げよう)


 2人が去った後、急いで立ち上がって、ふと違和感を覚えた。

 機敏に立てたことはいい。ただ、身体の重さが記憶と一致しない。

 やたら軽い。


 それに何か変だ。

 視点が低すぎる。まるで子どもに戻ったみたいな高さで……。

 そういえば、さっきの声だって!


 不思議に思って見下ろした身体が細身だったことが、一層焦りをつのらせた。


 高価そうな服の上から確認した筋肉は、まだ発展途上といったつき方をしていて、どちらかというと少年っぽい肉づきだ。

 いくら魔術師とはいえ、少しは剣もふるってきた。そのうえ現役冒険者で成人済み。ここまで小柄なはずがない。


 ――これは俺の身体じゃない!!


 そこで気が付いた。


 先ほどの魔族の少女は、しきりと俺のことを「お兄さま」と呼んでいた。

 人間である俺に、魔族の妹や知人などいない。

 まさか、まさか……。


 疑念を振り払いたい一心で、恐る恐る頭に手をやった。


(!? ――???)


 何度触り直してみても、手が伝えてくるのは、根太く固い、先端が尖った物体。

 両耳上にある、この少し曲がったような形状は。


 魔族の象徴とも言うべき、角、だった。


 装飾品の類ではない。頭蓋から直接生えているような感覚がある。


(何が起こったんだ? なんで俺、魔族の、しかも子どもになってるんだ?)


 必死で、目が覚める前のさいごの記憶を手繰り寄せた。

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