クリストファー・ヴァン・ストーカーの日記 六日目(1)
5月8日 曇りのち午後快晴
現在、俺はノスフェル卿のいる町を離れ、となりの、もっと大きな町まで来ている。
さすがにブカレストのようにはいかないが、それでも先程までいた町よりかは多少は開けた田舎町である。
獲物の巣食う本拠地を離れ、こんな遠くの町まで来ているのは他でもない。
ヤツの、アレクサンドル・D・ノスフェル伯爵に止めを刺すための最終兵器を入手するためである。
今、俺がいるのはこの街にある鍛冶屋の居間だ。
ここのおやじに特別注文した品ができあがるのを待っているところなのだ。
さて、その特注品の最終兵器とは如何なるものか?
それは、十字架の描かれた銀貨を溶かして作った銀の弾だ。
杭や十字架に加え、ニンニクや唐辛子までもがヤツには効かないとわかった今、最早、頼れるのはこの神秘の武器だけなのだ。
人狼やヴァンパイアを倒すのに絶大な効果をなすというこの銀に輝く弾丸を、あのスカしたヤツの土手っ腹に撃ち込んでやるのだ!
しかし、この銀の弾に最後の望みを託し、再びノスフェル卿に闘いを挑もうと立ち上がるまでには、いろいろと紆余曲折があった。
じつは一度、俺はヴァンパイア・ハンターとして挫折したのだ。
その辺のことについてはまだ書いていなかったので、自分としては恥ずかしく、あまり思い出したくもないことだが、正確な記録を残すために敢えてここに記そう。
なんだか、この日記を最後まで書き続けることも、今の俺にとってはまた一つの目標のようになってきている。
さて、話は少し前に戻るが、これは昨日の晩のことだ。
昨夜も俺は、今度という今度はノスフェル伯爵に引導を渡してやろうと誓い、今夜こそが最後の闘いと意気込んでヤツの城へと向かった。
実際、昨日の時点では、セイヨウサンザシなどの聖なる木でできた杭も、香や薔薇の芳しい香りも、十字架や聖水などの信仰に関する代物もノスフェル伯爵にはまったく効かないと判明し、俺にはもう、後はその手しか残されていなかった。
本当に昨夜が天下分け目の最終決戦になると覚悟していたのだ。
その昨夜の時点での最後の手とは、即ちニンニクや唐辛子といった香辛料である。
こうした臭いや味が強く刺激的な植物には、古より魔物を避ける力があると考えられているのだ。それも古今東西、民族や宗教を問わず、あらゆる地域でこのことは云われている。
つまりはそれだけ、よく効くということなんだろう。
これが効かなかったら、最早、こちらに打つ手はない。
そう、俺はガチで考えていた。
早速、俺は周辺の家々を回って、戸口に魔除けとしてかけてあるニンニクや唐辛子の束を集めると、それを花輪状にして身体に巻きつけた。
そして、そのままの格好で城へと赴き、朝に埋めておいた〝ストリゴイ〟対策のワインを取り出すと一杯あおりながら、準備万端でヤツが出てくるのを待った。
が、しかし、だ。
神は我ら人間をお見捨てになりたもうたか、そうした本気の覚悟で臨んだニンニクと唐辛子の作戦も、ノスフェル伯爵にはまるで暖簾に腕押し、糠に釘だったのである!
いや、不死者にはそんなもの効かないとわかった今、その手の
いつものように正面の城門から出てきたヤツは、身体に香辛料を巻きつけた俺の姿を見るや、またわけのわからない説教を始め、その内、どういう弾みか、俺を夕飯に招待するとかなんとか抜かして、強引に城の中へと引っ張っていったのである。
しかも、俺がニンニクを突き付けて抵抗すると、そのニンニクを連ねた首輪を自らの手で自分の首にかけてみせるなどという、ふざけたパフォーマンスまでしてくれやがった。
しかし、いきなり食事に誘われても相手はヴァンパイアだ。
俺は最初、もしや食うのは料理ではなくこの俺で、ノスフェル卿はこの世に二人といない秀逸な存在であるこの俺様の上モノの血が目的でそんなことを言っているのかと警戒したが、その心配は外れ、以外にも普通に食堂へ通されると、伯爵自らの手による手料理を御馳走された。
だが、この手料理というのが問題だった。
それは、そこの山で獲ったという鹿肉のシチューだったのだが、伯爵はその中に、俺がヤツを倒すために持ってきたニンニクと唐辛子の束を調味料としてたっぷり入れてきたのだ。
もう、見るからに真っ赤な色をしていて、恐ろしく強烈なニンニクの臭いがプンプン部屋の中に漂っている。
俺はそれを見た瞬間、口をつけるのを少し躊躇した。
あんなもの、ヴァンパイアでなく普通の人間だって食えたもんじゃない。
ところが、俺が手をつけかねているその間に、あろうことか、伯爵の方が先にその料理を口にしたのである。
そんなバカな!?
こんなニンニクと唐辛子の尋常じゃなく入りまくった料理、ヴァンパイアに食えるはずがない。
こんなもの食ったら即死するぞ! 即死!
にもかかわらず、あまりのことに驚愕して固まっていた俺に、伯爵は「もしかして香辛料の効いた料理は嫌いか? それじゃ君の方がヴァンパイアみたいだ」などと、これみよがしにふざけたことをぬかしてきやがる。
ヴァンパイアに食べられるものが、人間であるこの俺様に食べられないわけがない!
いや、ヴァンパイアのノスフェル伯爵がこうして何事もなく普通に食っているのだから、見た目はあんなでも、おそらく実際にはニンニクも唐辛子もそれほどに入ってはいないのだろう。
そう思い、一口、俺もその料理を口にしたのだったが、次の瞬間、俺はドラゴンのように口から火を吹いた。
なんだ? この辛さは!?
いくらなんでもこれは唐辛子入れ過ぎだぞ!?
しかも、鼻が曲がるほどにニンニクの臭いもキツイ。これは人間の俺にしたって、死に至らしめられるほどの殺人的料理である。
だが、伯爵を見ると、ヤツはこの激辛料理を平然とした顔で食べている。
そんな、アホな。こんなことがこの世にあっていいものか?
これにはきっと何か裏がある……そこで、俺の頭にこんな考えが浮かんだ。
そうか! ヤツは俺にだけこんなニンニクと唐辛子たっぷりの料理を出しておいて、そのくせ、自分の皿にはまったくそうした香辛料を使ってないものを盛っているんだな…と。
俺はそのカラクリの真相を確かめるべく、ヤツの皿に盛ってあるシチューを一口、口に運んだ。
だが、これがまた信じられんことに、ヤツの食っていたのもこちらと同じ、空前絶後の激辛鹿肉シチューだったのである。
ノスフェル伯爵は本当に、このニンニクと唐辛子をたっぷり使った料理を平気な顔をして食べていたのだ!
おかしい。絶対におかしい!
俺は断固、天に抗議してやる!
ヴァンパイアがこんなもん食べるなんて、完全に常軌を逸している!
やっぱり、ヤツはヴァンパイアでも極めて特異体質の変態吸血鬼である!
その変態が、今度は俺に「辛いの苦手なら、そんな痩せ我慢して食べなくてもいいんだよ」なんて、バカにしたように言ってくる。
こうなったらこちらもヴァンパイア・ハンターの意地にかけて一歩も引くわけにはいかない。
ほんと言うと、俺はこうした辛い料理やニンニクの効いた料理が得意ではないのだが、それでも火の出るような口とガクガク震え出す胃袋をなんとか黙らせ、俺はその地獄のシチューを完食して城を出てきてやったのだった。
その点でいえば、俺はヤツの出した試練に見事、打ち勝った。
しかし、ヴァンパイア退治という本来の目的においては、この時点で完璧に道を断たれたことになる。
完敗だ。
この勝負により、最後の手段であったニンニクと唐辛子もヤツの前ではまるで用をなさないことを痛感させられた俺は、完全にヴァンパイア・ハンターとしての戦意を失い、そして、口と内臓に激辛料理によるそうとうの痛手を負った。
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