Ⅰ 吸血鬼(2)

「今夜こそ、いい加減、諦めてくれただろうな……」


 だが、私には一つ不安要素がある。


 私は大きな姿見の鏡の前で、スカーフを締め直しながら渋い表情を作る……あ、言っておくが、ヴァンパイアが鏡に映らないなどというのは迷信だ。


 どうやら魂のない者は鏡に映らないという話から、一度死に、そして不死の存在として蘇った、いわば〝歩く死体〟であるヴァンパイアも鏡に映らないという話になったようだが、こうして私は紛れもなく生きているし、魂もあるのでちゃんと映るのだ。


 まあ、確かに死んでいると言われれば、私も人間としては・・・・・・一度死んでいる身ではあるのだが……私とて、何も生まれた時からヴァンパイアだったわけではない。


 遥か昔のことだが、今では同族の者に噛まれたことで、当時、人間だった私もヴァンパイアになったのである。


 少々小難しい話になるが、それについても一応、説明しておこう。


 ヴァンパイアに噛まれ、生血を吸われると、大量の血を一気に失って死に至ることもあるが、それでも命を取りとめたり、何度かに分けて徐々に血を吸われたような場合、その者は一旦、仮死状態となり、その間に肉体が変化して、次に目覚めた時にはまったく人間とは違う存在となっているのだ。


 最近の病理学などの研究成果を参考にすれば、おそらくはヴァンパイアが体内に持っている細菌ヴァクテリアなるものの影響ではないかと思われる。


 噛まれることで、唾液に含まれるその特殊な細菌ヴァクテリアに人間は感染し、そのような現象が引き起こされるのではないかというのが、科学的思考を持った先鋭的な我ら同族の主流意見である。


 とはいえ、そうして仮死状態となった者は心臓も止まり、息もせず、傍目には完全に死んでいるようにしか見えないし、人間としては二度と目覚めることはないので、他の者達から〝一度死んだ〟と思われてもそれは仕方のないことであろう……が、私を見ればわかる通り、こうしてヴァンパイアとして生きているので、やっぱり魂のない死体というわけではないのである。

 さて、またも話が脱線してしまったが、話を戻そう。


 私が抱いている不安――それは、ここのところ私を悩ませている懸念…というよりも迷惑千万な話である。


「ふぅ……」


 外出の準備をすっかり整えた私は、一息吐いて気を取り直すと、城の正面にある大きな石組の門へと向かった。


 一階へ降り、正面玄関から建物と城門の間にある、城壁に囲まれた中庭へと足を踏み出す……外に出ると、若葉に青ずく春の庭の上に、冷たく澄んだ月明かりが長細い私の影を作った。


 ああ、これもついでに言っておくと、ヴァンパイアは影がないなどとも言われているが、このように私にはちゃんと影がある。


 肉体がない幽霊ならいざ知らず、実体があるのだから影があるのも当然である。物体が光を遮っているのに影ができない方こそ非科学的であり、肉体を伴うヴァンパイアに影ができるのはなんら不思議なことではないのだ。


 そんな私の影とともに美しい夜の庭を眺めながら行くと、時を置かずして巨大な城門へと辿り着く。


 城の外へ出るにはここが唯一の出入り口である。


 私は門扉の後にかってあるかんぬきを外し、片側の扉を手で押した。


 ゴゴゴゴゴゴ…。


 周りの空気を揺らす低い唸り声を上げて、石門に取り付けられたこれまた巨大な木の扉が少しずつ隙間を開けてゆく。


 長年の雨風で古色に風化した分厚いその扉は、外見通り非常に重たいのであるが、こう見えても私はそれなりに力持ちなのでそれほど苦になるものでもない。


 私はこの城の主であり、貴族でもあるのだけれど、一人暮らしで召使などもいないので、こうした本来、お付きの者がやるべき力仕事も全部自分でやっている。「貴族なのに、自分のことはよく自分でする人間だな」と、時折、自分で自分を褒めてあげたりもする。


 ゴゴゴゴゴ…。


 僅かの後、観音開きになるように作られた巨大な木の扉の片側が、私の手によって人が通れるくらいの幅にまで開かれる。


「吸血鬼アレクサンドル・D・ノスフェル伯爵! 今夜こそ貴様の最後だ!」


 と、同時に、そんな大声が門前から聞こえてきた。


 その男は、今夜もそこに立っていたのだった……。


「またか……」


 私はほとほと呆れ果てたという顔で、深く落胆の溜息を漏らす。


「これを見ろ、ノスフェル! 今までは貴様の特異な体質のためにまるで効果がなかったが、今度はそうもいくまい! どうだ、このニンニクと唐辛子がさぞや恐ろしかろう!」


 門前に仁王立ちする男はそう言うと、全身に巻きつけたニンニクやら唐辛子やらの香辛料の類を自信ありげに私の方へと見せ付ける。


「いや、だからそれは特異体質でもなんでもなく、みんなそうなんだって……」


 そう、私は答えるが、


「ハハハハハハ! 今度こそぐうの音も出まい!」


 男はまるで人の話を聞いちゃあいない。


 男の言によると、彼の名はクリストファー・ヴァン・ストーカーというらしい。


 そして、自称ヴァンパイア・ハンターなのだそうな。


 ……それにしても、なんて格好なのだ。


 私は改めてその珍奇な格好をまじまじと見つめる。


 いつも着ている、そのちょっとむさ苦しげな茶のロングマントとトラベラーズハットはまあいいとして、その上にニンニクや唐辛子を花輪状に束ねたものを幾重にも巻きつけ、さらには綺麗な白いニンニクの花なんかも所々咲いたりなんかしている。


 確かにニンニクと唐辛子はヴァンパイアを含む魔物に効果ある魔除けとして信じられているが、だからって、こんな大量に身体に巻きつけてくることはないだろう……これでは、ヴァンパイア・ハンターというより、まるで野菜でできた案山子かかしのお化けである。ケルト人の新年の祭であるハロウィンの衣装を着るにもまだ早い。


 だいたい、その大量のニンニクと唐辛子はいったいどうしたのだろうか?


 八百屋か? それともどこか農民の所へ行ってもらってきたのか? いや、あのなんか見憶えのあるような一まとめにされた形状……もしかしたら、そこらの家に行って無断で拝借してきたものかもしれない……。


「ダハハハ! どうだ! 今度という今度は恐れいったろう?」


 呆れて眺める私の視線も他所に、彼は自信満々に胸を大きく張ってバカ笑いをしている。


 この男が私の前に現れるのはこれでもう四夜目になる。


 こんな迷惑なヤツに四日間もつきまとわれては、もう、ほとほと嫌になってくるというものだ……。


 そうなのだ。私がそんな自称ヴァンパイア・ハンターに付きまとわれる厄介な日々は、今日より数えること三日前に、なんの前触れもなく、突然、始まったのである……。

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