クリストファー・ヴァン・ストーカーの日記 三日目

 5月5日 曇り後、午後から晴れ。


 一昨日は酒場でひどい目にあったが、昨夜はもっとひどい目にあった。


 このやり場のない怒りというか、嘆きにも似た感情を早く書き記して発散したいところだが、先ずは順をおって話をしよう。


 昨夜はこの日記をつけた後、ヴァンパイア退治の用意を万全に済ませ、いよいよ俺は吸血鬼アレクサンドル・D・ノスフェル伯爵の待つ山上の城へと向かった。


 山上と言っても、街の裏手の山の中腹にあるので、歩いてもそれほどの距離じゃない。


 ただ、ヴァンパイアを倒すための武器や城へ忍び込むための準備やなんやかやで、本当は日のある内に行きたかったのだが、城に着いたのはもうすでに日暮れの時刻となっていた。


日が落ちれば、ヴァンパイアは目を覚ます……急がなければなるまい。


 さて、ノスフェル卿の城へ着くと、案の定、城の門は固く閉ざされていた。


 だいぶ古く、ところどころ朽ちてきている石造りの城ではあるが、ぐるりと高い城壁で囲まれたそこは、正面の大門の他に侵入できるような場所もない。


 しかし、優秀な俺様にかかれば、そのようなことはもとより想定内。


 そのための用意もちゃんとしてきてあるし、ヴァンパイア・ハンターに必須の能力として、そうした忍び込むための技術というのも充分、訓練している……いや、誤解を招くといけないので記しとくが、けして泥棒のためではない。


 で、俺は用意してきた鍵爪付きのロープを投げて城壁の天辺に引っかけると、ロープをよじ登って中へと潜入した。


 城壁の内側には草木の生えたちょっとした庭があり、その中央に、これまた古めかしい石造りの屋敷が建っている。


 俺はその屋敷の裏手へ向い、どこか入口はないかと探した。


 ここにノスフェル卿以外、使用人などは一人も住んでいないことは事前の調べで先刻承知の上だ。


 ならば、伯爵は今、城の中で一人で眠っているはず。中にさえ入れれば、後はもうこっちのものだ。


 ただ、ヴァンパイアは狼やコウモリ、ネズミ、フクロウといった野生の使い魔を従えているとも云われているので、用心はせねばなるまい。


 そう思い、気を張りつつ屋敷の裏へ回ると、都合良く、厨房へと通じる裏口を見つけた。


 鍵はかかっていたが、そこはそれ。この程度の鍵ならば、針金一本で容易に開けられる……いや、もう一度断っておくが、これはヴァンパイア・ハンターとして必要な技術であるから身につけているのであって、けして金持ちの家に忍び込んで、金目の物を拝借しようとか、そんな目的のためではない。いや、本当だ。信じてほしい。


 ま、まあ、時折、生死に関わるほどの飢えに陥った緊急の場合にのみ、已む無くその禁断の方法を用いることもあるが……。


 ともかくも、そうして俺は無事に城内へと侵入することに成功したのだった。


 中には人っ子一人、人の気配はなく、運がいいことに使い魔などもいなかった。


 ただ、厨房にどっかの黒い野良猫が入り込んでいて、突然、暗闇の中から飛び出してきたので少々ビビったが、ヴァンパイア・ハンターとしては人に知られると恥ずかしいので、このことはここだけの話にしておこう。


 それはさておき、邸内に侵入した俺は、照明のために持ってきたランプに火を灯し、外から見た時に、おそらくかのヴァンパイアの寝室だろうと目星をつけておいた部屋を目指して、暗い城の中を進んで行った。


 三階にあるその部屋へは螺旋状に作られた石の階段を上るとすぐに行くことができ、部屋のドアにも鍵はかけられていなかったので、難なく中に入れた。


 まったく油断しまくりで不用心極まりないが、これはヴァンパイア・ハンター界のスーパールーキーたるこの俺に、いい初仕事をさせてやろうという神の思し召しに違いない。


 そして、足を踏み入れたその部屋の中央には、案の定、俺様の予想通りに、大きく不気味な棺桶が一つ置かれていた。


 やはりここが、目指すノスフェル伯爵の寝室だ。


 窓の外を見ると、もうすでに日はとっぷりと沈んでいる。もうすぐヴァンパイアが活動を始める時刻だ。


 本格的なヴァンパイア・ハンターとしての初仕事で、ようやく本物のヴァンパイアを見付けたこの感慨に浸りたいのは山々であるが、そんな悠長なことをしている場合ではない。急がなくては伯爵が起きてしまう。


 俺は早速、ヴァンパイア退治の仕事を始めることにした。


 その重厚な木でできた棺桶に近付くと、重い柩の蓋をゆっくりと開ける。


 すると中には、一見、普通の人間と見分けがつかない、紳士然りとした風貌のノスフェル伯爵が、死体のように青白い顔をして横たわっていたのだった。


 パッと見、上品で善良な人間のようにも見えるが、こんな棺桶の中で寝ているのがヴァンパイアである何よりの証拠。


 俺は油断なく、敵が目を覚ます前にと、持って来たセイヨウサンザシの木で作った杭とハンマーとを素早く取り出し、それを伯爵の心臓目がけて力一杯に打ち込んだ。


 こうしたセイヨウサンザシなどの聖なる木で作った杭を心臓に突き刺せば、いかな不死身と云われるヴァンパイアとてひとたまりもないのである。


 だが、ここで予期せぬ事態が起きた。


 なんと、木の杭を心臓に突き刺したのにも関わらず、伯爵はまるで死ななかったのである!


 いや、死なないどころか、自分で杭を胸から抜いて、ピンピンした様子で棺桶から起き上がりまでしやがった。


 これはいったいどういうことだ? 杭の刺さり方が浅かったのか?


 それとも、今になってよくよく考えてみると、ここルーマニアの最もポピュラーなヴァンパイア〝ストリゴイ〟は心臓を二つ持っているのだというが、もしかして、ノスフェル伯爵もそのストリゴイだったのか?


 しかし、その時は突然の予想外の出来事に、そんなことにまで考えが至らなかった俺は、こんなこともあろうかと用意をしていた第二の手段に打って出ることにした。


 第二の手段――それは、教会で司祭に祝福してもらった十字型の剣で、ヤツの心臓を貫くというものだ。


 俺は持っていたハンマーを投げ出すと、普段から背中に背負っているその長大な〝祝福された剣〟の柄に手をかけたのだったが、ここでまた、俺は予期せぬ出来事に見舞われた。


 いきなり怒り出した伯爵が不意にこちらへ近付いて来たと思うやいなや、俺の胸ぐらを摑むと、口を開く間もなく窓から外へと放り投げたのである。


 次に気付いた時には、三階の高さから真っ逆さまに地面目がけて落下しているとこだった。


 運良く、途中、庭の木に引っ掛かってワンクッション置いたお蔭でなんとか助かったが、それでも全身ひどい打撲である。


 ほんと、もう少しで死ぬところだった。


 あのスカした貴族気取りのヴァンパイアめ、この未来有望な若きヴァンパイア・ハンター、クリストファー・ヴァン・ストーカー様になんてことをしてくれやがる!


 もう一度リベンジだ!今度こそ、その息の根を止めてやる!


 杭が効かなかったのは予想外だったが、まだまだヴァンパイアの弱点というものはある。


 今度はまた別の方法でいってやる。覚悟しとくがいい!


 それにしても、昨夜落ちて打撲した身体が痛い。


 一応、町の医者に手当てはしてもらったが、もう少し体力を回復してから、また、狩りに出かけることにしよう。

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