Ⅴ 晩餐(2)
それからしばらく、周りにいる常連客と談笑などしながら待っていると、カミーラがワインボトルと料理を持って再びやってくる。
テーブルに置かれた皿を見た限り、今夜のおススメ料理はチキンの香草焼きであるらしい。
こんがりと焼かれた鶏肉のとなりには、いつもながらにこんもりとマッシュポテトも添えられている。
私はその焼けた鶏肉から立ち上る湯気に、口の中に唾が溜まるのを感じた。
ヴァンパイアとて、別に血液だけを食物とするわけではない。人間と同じ物だって食すのだ。中でも肉料理なんかは特に。
そこで、お腹が空いている時にはいつもこの店で夜食を摂ることにしているのである。城で自炊することもあるが、やはり独り淋しく食事をするよりはこうして賑やかな所で皆と一緒にした方がおいしい。
先程、寝起きに血液パック一つを吸ってはきたが、ここのところいろいろあったせいか、今夜はすこぶる腹が空いている。
このような空腹の時はヴァンパイアの得物を狩ろうとする狩猟本能に理性の歯止めが効かなくなることもあり、じつをいうと大変、危険なのだ。こうして食事を摂るのには、そんな本能を抑えるためという重要な役目もあったりするのである。
「さ、召し上がれ」
テーブルの上にすっかり食事の準備が整うと、そう言ってカミーラがグラスに赤ワインを注いでくれる。
教会のミサでもキリストの血の象徴として使われるこの赤ワイン。
これも、ヴァンパイアの本能を抑える血液の代換品として役に立つ。まあ、味や栄養分はまるで違う、ただの見た目からのイメージだけなのではあるが……。
「ああ、そうだ! そういえば、伯爵…」
ワインを注ぎ終わり、私が一口、口を付けようとすると、思い出したかのように彼女が言った。
「三日くらい前に見かけない男がうちに来て、伯爵のことを根掘り葉掘り聞いて行ったけど、何かございませんでした?」
「見かけない男?」
私は手に持ったグラスを中途半端な位置で止め、そう訊き返す。
見かけない男……という言葉には、なんだか心当たりがないではないが、あまりその予感が当たってほしくないので、何も覚えがないような振りをしたのである。
「ええ。若い男で、茶色の長いマントに、トラベラーズハットを被っていたわ。この辺の者じゃないんじゃないかしら?」
やっぱり……彼女の語るその人物の特徴は、まさしく
なるほど。どこでどう知ったのかは知らないが、ストーカーは私というヴァンパイアのいることを掴んでこの地を訪れ、そして、事前の情報収集のためにこの店へもやって来ていたらしい。
「さ、さあ? 知らないなあ……」
本当はものすごくよく知っていたりするのだが、彼について語ることは私の正体にカミーラが気付いてしまうことへも繋がりかねないので、そのまま恍けて答えた。
「そう? なんか、伯爵は昼間何をしているのかとか、何か人と変わった異常な行動をとることはないかとか、変なことをみんなに訊き回っていたわよ?」
「ふ、ふーん……た、たぶん、何かのセールスか、いい儲け話があるから投資しないかとか、そんな勧誘をしに来た輩じゃないのかな? 時折、そういうのが来るんだよ」
私はさらに恍け通し、グラスのワインを一口、口に含む。
「そうなの? まあ、確かにそんな山師みたいな怪しい風体だったけど……ああ、そういえば、その男、伯爵はヴァンパイアなんじゃないか? とも訊いてたわね」
「ブーッ!」
その言葉に、私は思わず口からワインを吹いた。
「キャ! ……ど、どうしたの伯爵!?」
私の粗相に、カミーラは吹いたワインの飛沫を避けるように腕で顔を覆い、綺麗な青い目を丸くする。
「……あ、ああ、これは失礼……ちょ、ちょっと、いきなり突拍子もない話をされたもので……」
私は動揺を抑えつつ、その場をなんとか誤魔化した。
余計な話をしていなければいいなと思っていたのだが……まさか、そんなストレートに質問していたとは……。
「あ、ごめんなさい。確かにヴァンパイアなんて時代錯誤もいい話よね。まったく、今の時代にとんだ迷信深い田舎者よ……あ! もしかして、伯爵の犬歯がヴァンパイアみたいに人より鋭く尖ってるのを見て、あの男はそう思い込んじゃったんじゃない?」
カミーラはそう言うと、私の口元を覗きながら、ハンカチを取り出し、テーブルに散った赤ワインの飛沫を拭いてくれる。
「あ、ああ……そ、そうかも知れないね……」
私は言葉に詰まりながらも、彼女のその意見に犬歯を見せながら笑って答えた。
確かに私はヴァンパイアであるが故、犬歯は人並み外れて鋭く尖っている。
口を閉じていればまったく気付かれることはないが、これがヴァンパイアとしての唯一の外見上の特徴といえば特徴であろう。
しかし、よかった……今の話にも彼女はまるで気付いてはいないようである。
まあ、本当のことを知らなければ、今の世の中、いきなりヴァンパイアの話などされても信じないのが普通である。
外見的には犬歯以外、どこも世間一般にイメージされるヴァンパイアのように見えるところはないし、それだとて、そのくらい犬歯の尖った人間というのもたまにいるので、その程度では証拠にもならない。
それに私は普段、人間とまるで変わらないように振る舞っているつもりだし、実際に血を吸っているところでも目撃するか、そうと本人が言わぬ限りは誰にもわからないであろう。
「おお、あの変な若造の話かい? そうそう、なんだか知らねえが、確かに伯爵に失礼なことばっか言ってたなあ」
私がカミーラとそんな話をしていると、近くの席に座っていた顔馴染みの客が盗み聞きでもしてたのか、割り込んでくる。
「おお、あの変な余所者だな。なんか、自分はヴァンパイア・ハンターだとかなんとか言って、伯爵を吸血鬼呼ばわりしてたよな。あんまし伯爵に無礼なことを言うもんで、俺はどやし上げて店を追い出してやったよ」
その客の向かいで、一緒にビールを飲んでいた男も会話に絡んできた。
どちらも髭面に、洒落っ気のない恰好をした地元の農夫である。
「まったくだぜ。俺達の伯爵を悪く言うなんざ、ふてえ野郎だ」
「そうだ! そうだ! 伯爵、俺もあのむかつくヴァンパイア・ハンター野郎を怒鳴りつけてやったせ!」
すると、さらに向こうの席にいる他の農夫や街の職人達常連客も一斉に声を上げた。
カミーラ同様、彼らも私がヴァンパイアであることは知らない。
それに私はここら辺一帯の大地主であり、地域の人々とも、こうして親しく接しているので、一応、ここでは名士として通っているのである。
「ま、そのおかげで、お代を取り損ねちまったんだけどね。責任取って、あの男の飲み食いした代金、あんた達が払ってくれるんでしょうね?」
だが、自慢げに話す客達に、カミーラは腰に手を当て、醒めた視線を彼らに向けながら冷やかに言う。
「そ、そりゃないぜ、カミーラ……俺達は伯爵のためを思って言ってやったんだぜえ? おまえだって怒ってたじゃねか?」
「そ、そうだ。俺達はおまえさんの声も代弁してだなあ……」
彼女の言葉に、髭面の農夫達は冷や汗をかきながら弱った顔で弁明する。
「それはまあ、そうなんだけどね……ま、あの男が伯爵に何かするんじゃないかって心配してたけど、どうやら何事もなかったようだし。しょうがない。特別、おまけして許してやるか」
そんな農夫達の情けない顔を見ると、カミーラは不意に笑みを浮かべ、明るい声で彼らにそう答えた。
おそらく、今の〝代金払え〟というのも本気では言っていなかったのであろう。
こうした客とのやり取りを楽しむ時の彼女の無邪気な仕草が、またなんともこう、ものすごく可愛らしく思う。
「それじゃ、私も皆が我が名誉を守ってくれたお礼に、一人一杯づつ酒を奢るとするかな」
私はカミーラの美しい横顔から視線を皆の方へ移すと、まだワインの残っているグラスをちょいと掲げてそう宣言した。
「おおお! さすが伯爵!」
「我らが伯爵、万歳!」
「伯爵に乾杯ーい!」
私の言葉に、客達の間から盛大な歓声が上がる。
「まあ、景気がいいですこと。でも、お金持ちの伯爵からはちゃんと代金をいただきますからね」
皆の感謝の声を受けて気分を良くしている私を見つめ、カミーラはまた冗談っぽく醒めた表情を作って言う。
「ああ、もちろんだとも……とはいえ、今夜はそれほど持ち合わせていないので、この次までのツケということで……」
ちょっとセレブレティに、格好よく、太っ腹なところを見せようとした私だったが、普段からそれほど現金を持ち歩いてはいないことを思い出し、恥ずかしながらも已む無く彼女に頭を下げる。
「はいはい。わかりました。次来る時はちゃんと払ってくださいね」
カミーラはいつものことだと言わんばかりにそう答えて、皆のオーダーを取りに私の元を離れて行った。
時折、こうして街の皆に一杯奢ったりする時など、やはり今夜と同じようにうっかりお金が足りなくなってツケをするので、確かに彼女のおっしゃる通り〝いつものこと〟である。
「次はちゃんと金を忘れないようにせねばな……」
私はそう呟き、改めて一口ワインに口をつけると、もう、だいぶ冷めてしまったチキンにようやくナイフとフォークを突き立てた――。
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