クリストファー・ヴァン・ストーカーの日記 六日目(2)

 その後、どこをどう走ったものかよく憶えていないが、燃える舌と焼けただれた喉を癒す水を求めて、気が付くと俺は例の〝デアルグ・デュ〟とかいう酒場に転がり込んでいた。


 この前のことがあったので、店にいた客達の俺に対する態度はけして友好的とは言えないものだったが、俺は構わず店主に水を要求すると、舌のヒリヒリが癒えるまでたらふく水を飲んだ。


 そして、なんとか辛さの収まった後は、今度はヴァンパイア・ハンターとしての未来に絶望し、ポッカリと心に空いちまった穴を埋めるために酒を飲み続けた。


 店主に酒を要求したら、カミーラとかいう美人だがおっかねえ顔をした主の娘が、人を貧乏人と見て「金はあるのか?」と訊いてきたが、バカにしてもらっちゃあ困る。俺は見た目に反して、けっこう金を持っているんだ。


 その金は、一人前のヴァンパイア・ハンターとして名を上げた後に、どっかロンドンのような都会の一等地にでも立派な事務所を構えようと思って貯めていた金だ。


 俺はイングランドのしがない商人の家に生まれだが、親の商売に着いてあちこち旅をする内に、各地に伝わるヴァンパイアの伝説と、そのヴァンパイアを退治するヴァンパイア・ハンター達の活躍する話を聞いて、いつしかそのヴァンパイア・ハンターという職業に憧れるようになっていた。


 そして、自分一人でもなんとか生きていける歳になった頃、家を飛び出し、ちょうど出会ったジプシーの一団の中にいたダムピールの師匠のもとについて修行を始めたのだ。


 〝ダムピール〟とはヴァンパイア・ハンターの一種で、ヴァンパイアと人間の間に生まれた子供だとされている。


 そのため、自分と半分同族であるヴァンパイアを退治する力を持っているというわけだ。


 真偽のほどはわからないが、そのダムピールとされる師匠について、俺はヴァンパイアを退治する術から闘うための格闘術、占い、屋敷に忍びこむための方法や薬学まで、ヴァンパイア・ハンターとして必要な知識と技術をすべて学んだ。


 まあ、ヴァンパイア・ハンターというより、ジプシー自体の生業を教え込まれたと言った方がいいかもしれない。


 ともかくも、そうして修行を積んだ俺は、一応、師匠からハンターとしての仮免状みたいなものをもらい、一人立ちして仕事を開始した。


 と言っても、受けたヴァンパイア退治の仕事のほとんどは、勘違いだったり、ヴァンパイアとは関係ない別の霊的現象だったり、はたまた、ただの病気だったりしたんだが……それでも〝病は気から〟というか、嘘でも取り憑かれていると思っているヴァンパイアを退治する芝居を打ってやれば、当人は安心して元気になるし、それに薬の知識も多少あったので、そうした仕事もなんとかこなしてくることができた。


 だが、やっぱりヴァンパイア・ハンターとして、本物のヴァンパイアの一人や二人、退治したことがなくては一人前といえないだろう。


 そう思っていた矢先、ちょうど仕事で知り合いになった旅のジプシーの一団から、ワラキアのとある地方にアレクサンドル・D・ノスフェル伯爵という本物のヴァンパイアがいるという情報を掴んだのだ。


 これはまたとないチャンス。ヤツを倒すことが、いわば俺のヴァンパイア・ハンター免許皆伝の卒業試験のようなものだ。


 そうして、俺は喜び勇んでこの東ヨーロッパの果ての地までやって来た。


 だが、その結果は無残にもこの通りである。


 未来への希望を失った俺は完全に打ちひしがれ、ヴァンパイア・ハンターなんかやめてやろうと決意した。


 だから、せっかく営業資金にためてきた金も最早用なしだ。今夜はこの金でパァーっと飲み明かしてやる。


 そう俺は思ったのである。


 初めは、なんやかやと俺に文句を言っていた店の常連客達も、一杯奢ごってやると言ったら、急に掌を返したように友好的となり、しばらく飲んでる内にはすっかり意気投合してしまった。


 ったく、現金な野郎どもだぜ。


 しかし、人生とはまったくもって不思議なものである。


 神様の思し召しか、予想外にも俺はここで一筋の光明を得ることとなったのだ。


 それは、ある老人の言葉だった。


 その爺さんは、カウンターで飲んだくれていた俺の方へ近付いて来ると、それまで俺がどっかの農夫と話していたヴァンパイアの話に口を挟み、「ノスフェル伯爵は教会へも行くし、ニンニクの料理も好きだからヴァンパイアなどではない」なんて、偉そうに説教をぶちやがった。


 なんも知らないで呑気なもんだなと思いつつも、最早その時、ヴァンパイア・ハンターを辞めることに決めていた俺は、ノスフェル卿のことには触れず、ここ数日間で嫌というほどに思い知らされた、世間で言われているヴァンパイアの弱点なんかすべて迷信だという話をしてやった。


 するとその爺さんは、今度は「じゃ、銀の弾も効かないのか?」なんて訊いてくる。


 銀の弾といえば、それは人狼に対する武器だろうと思っていたんだが、よく話を聞いてみると、どうもヴァンパイアにも効果があるらしいのだ。


 爺さん、無駄に年食ってるだけあって、けっこう詳しい。


 しかもその話では、銀はこれまでノスフェル卿に試してきたもの以上に強力な魔を倒す力を持っているようじゃねえか。


 爺さんの話を聞く内に、一旦は捨て去った俺のヴァンパイア・ハンターとしての魂が再び蘇ってきた。


 銀の弾ならば、もしかして、いけるかもしれない……もう一度、こいつで最後の勝負を挑んでやろうじゃないかと。


 そんな酒の席での取るに足りねえ与太話だったが、俺はそのことで、気高きヴァンパイア・ハンターとして完全に立ち直った。


 こんなところで、いつまでもぐだぐだと飲んだくれている場合じゃねえ!


 俺は爺さんに一番近い銃火器を取り扱ってる店がとなり町にあることを聞くと、飲み代にとカウンターに置いておいた俺の全財産をひっ掴み、一目散に店を飛び出した。


 一度はもう無用と思った金だが、この武器を手に入れるにはけっこうな資金がいる。こんな田舎の店の酒代なんかに置いていくわけにはいかない。


 この前来た時のツケと合わせると、それなりの金額になっているような気もするが、この金を使って、お前らの街に潜むヴァンパイアを狩り、街の平安を守ってやるのだ。それに比べたら酒代など安いもんだろう。


 しかし、金を持って店を出る時、店主の娘がものすごい形相をして追っ駆けて来たんだが、あれは正直、怖かった。


 まるで狼のように目をらんらんと輝かせ、ほんとに取って食われるかとビビっちまったぜ。


 俺は店の前に停めてある馬を一頭失敬し、その足でこのとなり町まで来る予定だったが、あの女が追っ駆けてきたので、捕まらぬようしばらく物陰に隠れていた。


 この前、伯爵のことを訊きに来た時もそうだったが、あの女、かわいい顔して、なんだか異様に怖い。


 そういや、俺の故郷の近くのスコットランドには、〝ブーヴァン・シー〟と呼ばれる緑を服を着た美しい金髪の吸血鬼がいるが、あの女、もしかしたらそれかもしれない。


 ま、それはそうと、とにかくそうして俺は馬に飛び乗ると、夜通し走って、このとなり町に朝方到着したというわけだ。


 さて、だいぶ長くなったが、ここからが本題だ。


 となり町についた俺は、店が開きだすまでの時間少々休息をとり、それから爺さんに教わった銃火器店を探して回った。


 その店はそれほど大きな店ではなかったが、町に銃火器を扱った店は一軒だけだったのですぐに見付かった。


 早速、その店に入った俺は「ここで銀の弾を作ることはできるか?」と店の主に尋ねた。


 すると店主は「うちでは作れんが、銃器の修理なんかを任せている鍛冶屋を紹介してやろうか」という。その鍛冶屋ならば、銀だろうが、金だろうが、なんでも鋳型に溶かし入れて弾を作ってくれるとのことだった。


 ちなみに、より銀の弾の威力を増すためには十字架の描かれた銀貨を溶かして作るのがいいという話だが、幸い俺の銭袋の中には十字架の描かれた古い銀貨というのが幾枚か入っている。まずはこれを使って、あと足りない分は銀を買い足すでもして作ればいい。


 それからもう一つ。銀の弾の他にも、その銃火器店で厄介になったことがある。


 それは、その銀の弾を撃つための銃本体だ。


 よくよく考えれば、俺は銃を持っていない。


 そこで店の主になんか適当なものはないかと尋ねると、アメリカから輸入したばかりの、ウインチェスター銃という最新鋭のライフルを薦められた。


 なんでもその銃は十三連発もできるのだそうだ。それは心強い。あのしぶといノスフェル伯爵のことだ。一発や二発くらいじゃ、くたばってくれないかもしれない。


 無論、そうした銃なので、ちょいとお値段は張ったが、なあに、ここで大金を使っても、本物のヴァンパイアを倒して名を上げれば、仕事もじゃんじゃん入ってきて、投資した分くらいすぐに取り戻せるはずだ。


 それに、もしこれでダメだったら、今度こそ本当にヴァンパイア・ハンター業もしまいにするつもりでいるのだ。どちらにしろ、ここで使ってしまってもなんら問題はない。


 俺は迷わずウインチェスター銃を現金一括払いで購入すると、紹介してもらった鍛冶屋へと向かい、銀の弾を大至急作ってくれるようにと頼んだ。


 その鍛冶屋は職人気質の頑固そうなおやじで、何に使うのか? と訊くから、正直にヴァンパイア退治に使うんだと言ってやったら変な顔をしていたが、それでも代金は奮発してやるというと、一も二もなく承諾してくれた。


 ちょうど急ぎの仕事もないので、午後には完成するとのことだ。


 一応、銀貨の量も考慮して、全部で三十発分作ってもらうことにした。


 あとは銃の中で引っかかったりしないよう、上手いこと作ってくれるかどうかだが、こいつはもう職人の腕次第だ。


 銃火器店の主の話では、なかなかに良い腕の鍛冶屋だということだったので、ま、その主の言を信じるしかない。


 それから数時間。今、俺はこうして鍛冶屋の奥さんが入れてくれたお茶を飲みながら、我らが希望の銀の弾ができあがるのを今か今かと待っているところである。


 もう昼もとうに過ぎた。もう少しすれば、まっさらに輝く白銀の弾丸が俺の目の前に姿を現してくれることだろう。


 それを受け取ったらまた馬に跨って、ノスフェル伯爵の待つ町まで大急ぎだ。


 うまくいけば、今日の日暮れまでにはあの町に戻ることができる。城の前でノスフェル伯爵が目覚めるのを待つにはちょうど良い頃合いだ。


 今夜こそ、本当に本当の最終決戦。


 今宵こそ、あの忌まわしき化け物に、ヴァンパイア・ハンターの意地と言うものを見せてやる!


 俺のヴァンパイア・ハンターとしての今後の運命はこの一戦にかかっている。


 いや、こちらも本気で臨むならば、向こうも本気。もしかしたら、この勝負で俺は命を落とすかもしれない。


 となると、この日記をつけるのもこれが最後だ。


 仮にもヴァンパイアという凶暴なる魔物を相手にしている商売。もとよりそれくらいの覚悟はできている。


 いずれにしろ、今夜の一戦は俺の命運をかけた一世一代の大勝負になるということだ。


 さあて、工房の方が何やら騒がしくなってきたし、もうそろそろ銀の弾ができあがるようだ。


 今日の日記は、ここいらで筆を置くことにしよう。


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