Ⅳ 聖体禮儀(1)
クリストファー・ストーカーが現れてから三日の夜……。
「――ふぁ~あ……」
その夜は……否、夜と呼ぶにはまだ早い、昼と夜との入れ替わる、まさにその境目にできる薄暮の頃に私は目覚めた。
ここのところの珍客のせいで、どうも寝つきが悪くなってしまったらしい……。
窓の外に目をやってみると、オレンジ色の夕日に仄暗い影を作る山々の稜線の上をコウモリの大群が飛んで行くのが見える。
あれは、この城に住んでいるコウモリ達だ。
住んでいると言っても、別に巷で言われている迷信のように私の使い魔というのではないし、また、私が故意に飼っているのでもない。何せこの城も古い故、あちらこちらにガタがきており、そこらの壁に開いた穴を勝手に利用しては巣にして住みついているのである。
まあ、コウモリは結構、可愛いので、いてもらっても私としては一向に構わないのであるが……言うなれば、放し飼いで飼育している鳩のようなものだ。
ああ、ちなみに付け加えておくと、あのコウモリ達は虫を主食とする普通のコウモリであって、吸血コウモリなどではない。
そもそも吸血コウモリ(※チスイコウモリ)というのは中南米にしか生息しておらず、ヨーロッパはおろかユーラシア大陸全土にもいないのだ。
それにしても、こうしてコウモリ達がねぐらを抜け出し、食事を摂りに行くのなんて、ほんと久々に見る。
私がこんなにも夕方早くに起きるのは稀なのだ。それほど意識はしてないが、それだけ、あの男のせいでストレスが溜まっているのかもしれない……。
「ふぁ~あ……」
私は再びあくびをしながら身体を伸ばすと、柩から起き上がる。
そして、これはいつもと変わらず、
普段、私は寝起きに夜食……人間で言ったら朝食になるのかな? をあまり捕らない
「ンニャ~ゴ!」
一階にある厨房に着くと、机の下にでも寝ていたのか、我が愛猫のバスティーヌが私の足に擦り寄って来た。
この仕草は餌をねだっている時のサインだ。
彼女もコウモリ達と同様、いつの間にかこの城に住み着いてしまった黒猫である。普段は自分で城内のネズミやら鳥やらを獲って食べてるのであるが、こうして私を見付けた時には餌を要求してくる。
だが、自分で餌をやる分、コウモリ達よりも彼女には愛着がある。ペットと言っても差支えないだろう。
彼女が私のペットになったのは偶然であって、初めから故意に猫を飼おうと思っていたわけではないが、世の迷信に猫はヴァンパイアの使い魔などとも言われている。
また、ここルーマニアでは、猫の跨いだ死体が〝ストリゴイ〟というヴァンパイアになるという言い伝えもあるし、そんなところからすると、ま、世間一般のイメージ的に、彼女は私にとってお似合いのペットと言えるだろう。
ああ、世間のイメージといえば、ネズミもヴァンパイアの眷族と言われているが、我が城では生憎このバスティーヌのおかげて、ここのところ、とんとネズミにお目にかかったことがない。
「ンニャ~ゴ!」
バスティーヌがその真ん丸い月のような黄色い眼で私を見上げて、もう一度鳴く。
「はいはい。わかりましたよ。今、あげるからちょっと待ってなさい」
私はなだめるようにそう言うと冷蔵庫を開け、餌用に買っておいた魚を一匹取り出して彼女に与えた。
「ペチャペチャ…」
石製の床に置かれた、彼女専用の皿の上の魚を見るや、バスティーヌは無心にその得物を食べ始める。
「バスティーヌ嬢、今日はまた一段とお腹が空いてらしたようですな」
私は彼女の食べっぷりを眺めながら冗談っぽくそんな台詞を口にし、今度は私自身のために、冷蔵庫内に保存してある血液のパックを物色し始めた。
血液パックは一応、人間、牛、豚、鳥、鹿や猪などのジビエ風と、各種取り揃えてある。
もちろん、やはり人間の血が一番おいしいのは言わずもがなではあるが、その日の気分によって、いろいろ味わいたい血も違うのだ。
これも人間がその時々によって、ステーキ食べたかったり、カツレツ食べたかったり、フライド・チキン食べたかったりするのと同じ感覚と考えてもらっていいだろう。
ちなみに人間の血液も、A、B、AB、O型、さらにはRHの+-の違いでそれぞれ用意してある。ヴァンパイアとしては、その辺の微妙な味の違いがわかるところが
あと、ワインなんかとも似て、その血を採取した国や民族によっても味が違ってくるが……まあ、そこまで細かい話は、今日のところは置いておこう。
「よし、これにするか……」
とりあえず私は夜も早いので……人間で言うところの「朝も早いので」という感じなので、あっさりとした味わいの人間のO型RH+の血を選んだ。
RH-でもよかったが、こっちは市場に出回る数も少なく、けっこう値が張るプレミアものなので、何かの記念日の時などにしか飲まないことにしている。
「チュー…チュー……」
血液パックを冷蔵庫から取り出し、隣室の食堂の大きな長テーブルにつくと、一人静かにパックの口をちぎって血を吸う。
誰もいない、がらんとした、やたら大きな食堂内に、血液を吸う奇妙な音だけが虚しく響き渡る……。
こうして独り淋しく食事をしていると、人恋しい気分にもなり、使用人でも雇おうかなあ、などとも思ったりするのであるが、人間の使用人では、私の正体を知ったらきっと怖がるだろうし、かと言って、ヴァンパイアや同じような種族の者達は昨今、とんとお目にかからないほど数が少なく、とてもそんな使用人を探せそうにない。
人間に噛みつき、特殊な
一見、不老不死の身で何不自由ないように見えるかもしれないが、ヴァンパイアの世界もそれなりに大変なのだ。
使用人ではなく、より身近な家族となればなおさらだ。
私ももう良い年だが、ここ百年近くというもの、同族の良い花嫁には巡り逢えていない。
まあ、人間であっても、もし本当に運命の女性(ひと)と思う者が現れたならば、本人同意の上でヴァンパイアになっていただこうと思うのであるが……。
「チュー……」
そんなことをつらつらと思いつつ、静かによく冷えた血液を味わっていると、いつの間にかパックが空になっていた。
「さてと。それじゃ、出かけるとしますかな。バスティーヌ、留守を頼んだよ」
「ンニャー!」
そう声をかけると、ちゃんとわかっているのかどうなのか、彼女は一応、返事代りに鳴き声を上げてくれる。
それを聞き、私は空になったパックを握り潰してゴミ箱に捨てると、席を立って城正面の大門へと向かった。
もちろん、
「ハァ……」
だが、門へと向かう途中、私は大きく溜息を吐く。
私には一つ、頭を悩ませている問題があった……言うまでもなく、あのなんたらストーカーとかいうヴァンパイア・ハンターのことである。
「さすがにもう諦めただろうなあ……」
そう呟きつつも、心の中ではどうにもそんな風には思えない。
ゴゴゴゴゴゴ…。
そうして、そこはかとない不安を抱えながら分厚い木の大扉を押し開けると……
「ノスフェぇぇぇぇ~ルぅっ!」
聞き憶えのある、恨めしそうな大声が門外から聞こえてきた。
……いた。
……やっぱりいた。
例のヴァンパイア・ハンターは性懲りもなく、今宵もそこに立っていたのである。
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