Ⅳ 聖体禮儀(2)
「やっぱりか……」
その姿を見た途端、私はがっくりと両の肩を落として、意気消沈する。
「一度ならず二度までも、ヴァンパイア・ハンター界のルーキーであるこの俺をよくもあんな目に遭わせてくれたな!だが、三度目の正直で今夜はそうはいかんぞ!」
そう言うストーカーの身の上には、昨夜も巻いていた包帯に加え、顔の真ん中に大きな痣とその上に張られた絆創膏が見える。おそらく昨夜、私が殴った痕であろう。
ルーキーって、これまで彼が独り勝手に吠えていた戯言を耳にしているに、まだ一度もヴァンパイアを仕留めたことがないそうではないか……っていうか、〝一度ならず二度までも〟というのはこちらの台詞である。ほんとに三度目の正直で、いい加減、諦めてほしい……いや、いっそもう殺しちゃってもいいだろうか?
「で、今度はどんな手段を用意して来たんだね? ストーカー君」
そんな心の中の静かな怒りを隠しつつ、私は努めて冷静な声で彼に尋ねる。
だが、私の心情などまるで解していない様子で、ストーカーはいつもの高笑いをしながら答えた。
「ハーハハハハっ! やっぱり俺がどんな手でくるか、そうとう気になると見えるな。そりゃあまあ、そうだろう。いや、別に隠さなくたっていいぜ。有能なヴァンパイア・ハンターである俺様が次にどの弱点を突いてくるのか?貴様にしてみれば、まさに死活問題だからな!」
……いや、特に気にもならないし、ぜんぜん死活問題でもなんでもないから。今のはただ、なんとなく社交辞令のつもりで訊いただけなのだが……。
白けた視線を彼に向け、心の内でそう呟くが、彼は気づかず、なおも下らぬ話を続ける。
「ならば見せてやろう!今度こそ貴様の息の根を止める最終最強の武器を!見よ!今宵、貴様に死の安らぎをもたらす神の力を!」
キラッ!
そう叫び、ストーカーが高く上げた右手の先で、何かが青白い月明かりに輝く……。
「眩し……」
私は一瞬、その輝きに目を逸らしてから、細く開けた目で彼の右手を見つめ直す。
彼が懐から取り出し、天に掲げたその物体――それは、全体が金色に塗られた、人の顔ほどもある大きな十字架であった。
なるほど………今度はそうきたか。
「ガーハハハハ! どうだ! 参ったか! 貴様ら悪魔の存在には神の威光が一番恐ろしかろう!」
目を逸らした私の態度に、ストーカーはなおもバカ笑いをしながら嘯く。
木の杭に聖水の次は十字架というわけだ……。
いずれも巷でヴァンパイアの弱点とされる典型的な物である。あまりにもコテコテのアイテム過ぎて、おもしろ味もなんにもないが、まあ、ヴァンパイア・ハンターが吸血鬼退治に使うのだから、当然といえば当然の選択であろう。
しかしながら、今回の十字架にしても別に私にとっては弱点でもなんでもない。
先程、私が目を逸らせたのはただ単に暗い中に突然、光る物が出てきて眩しかっただけだ。その光にももう慣れたので、今は目をしかと見開いて、その畏れ多い十字架をまじまじと見つめることもできる。
それにしても、どこから持って来たのだろうか?
よく見ると、金の下地に宝石のような石を散りばめた、結構、良い値段がしそうな立派な十字架である。どこか見憶えがあるような気がしないでもないが、もしや、近くの教会から盗んできたのではあるまいな?
そんな疑惑がふと頭を過ったが、今はややこしくなるので話を元に戻そう。
聖水と同じく、十字架も神を恐れる存在だからこそ効くのであって、そうでない者には痛くも痒くもないのだ。ヴァンパイアでも信仰心のあるものならば、むしろありがたくさえある。
ちなみに私は〝敬虔なクリスチャン〟とまでは言えないが、この土地の他の人々と同じように
そもそも、ヴァンパイアを悪魔の
人間側からすれば、不老不死などとは極めて自然界から逸脱した異常な存在に映るかもしれないが、神がこの世の創造主ならば、我らヴァンパイアを創りたもうたのも神であり、我らがこの地上に存在するのもまた、神の御心の内なのである。
それなのに、その存在を何の根拠もなしに否定し、あまつさえ無暗やたらと退治しようとするのは奢り高ぶった人間のエゴであり、その方がむしろ背信行為だと私は思う。
我々ヴァンパイアばかりでなく、同じようなことを人狼や半漁人の方達も、以前、そうした迫害を受けている、いわゆる〝人外の者〟の集う会合で会った時に話していた。
私も若い頃にはそんな話題で盛り上がりながら、友と熱く酒を酌み交わしたものだ……っと、昔を思い出して、思わず話が長くなりそうなので、この話題はこの辺で止めておこう。
とにかく!
そういうことで、私に十字架をいくら見せたとしても、ヴァンパイア・ハンターが望むような奇蹟は何一つ起こらないのである。起こるとしたら、普段は忘れている私の信仰心くらいのものだ。
「さあ! 自らがこれまで犯してきた悪事を悔い、この十字架の前に膝まづけ!」
しかし、それでもストーカーはまるでそのことに気付かず、聖職者よろしくそんなご大層な台詞を吐いては、私の方へグイと十字架を突き付けてくる。
「ハァ……」
仕方がないので、私は一つ溜息を吐くと、その十字架の前へと厳かに進み出で、片膝を突いてアーメンと十字を切って見せた。
「…………へ?」
その姿に、今夜も彼は驚きと混乱の混ざった顔でポカンと口を開ける。
「それじゃ、夜のお祈りも終わったことだし、私は用があるのでこれで失礼するよ」
そんな彼に何事もなかったかのようにそう声をかけると、呆然と立つ彼の横を通り抜けて、街のある方へと夜の道を歩き出した。
歩きながら背後を覗うと、しばしストーカーは呆けた顔のままで固まっている様子であったが、不意に気を取り直して、私を呼び止めた。
「ま、待て! ……じゃ、じゃあ、これならどうだ!」
「んん?」
今度は何かと思い振り向いてみると、彼は手に白いパンのような物を握って、こちらに見せつけるようにしている。
「なんだね? それは?」
「ど、どうだ! 恐ろしいだろう?これは今日、そこの教会でもらってきた
ストーカーは私の質問にそう答えた。
聖餅……なるほど。そういうことか。
聖餅とは、正教会の〝
〝聖体禮儀〟というのはカトリックでいうところの〝
つまり、この聖餅も神の力の籠った神聖な代物であり、聖水や十字架同様、悪魔やヴァンパイアが恐れ、それら魔の存在を倒す力を宿した聖なる武器であると……そう、彼は考えたわけだ。
しかし、もう何度も再三にわたり言っているように、私はそんな悪魔的存在でも悪魔崇拝者でもない。
私は無言で、つかつかと彼の方へと歩み寄って行く。
「な、なんだ……?」
そんな私に、彼は一瞬、ビクッと身体を震わせて慄いていたが、私は構わず彼の手に握られた聖餅をいきなり摑み取ると、そのままパクっと自分の口の中に放り込んだ。
「んが…!?」
その行為にはかなり驚いたらしく、ストーカーは先程以上に大きく口を開けて、唖然とした表情で間の抜けた言葉にならない言葉を発している。
だが、私の方からすれば、それは苦手な物でも、それを口にすれば死に至る毒物でもなんでもなく、ただのパンである……否! ただのパンなどとは不敬であった。むしろそれは、食すと神の御加護が与えられる〝ありがたいパン〟である!
「モゴモゴ…ほれじゃ、ストーカー君…モゴモゴ…今夜のところはこれで失礼しゅるよ」
少しお行儀が悪いが、私は口に聖餅を頬張りながら、後ろ手に手を振って彼に別れを告げる。
「………………」
街へと下る道を去り行く私の背後では、ストーカーが無言のまま、その場に呆然と立ち尽くしたままでいる。
おそらく彼にとっては十字架が効かなかった時のための
いや、仮に呼び止めたとしても、彼にはもう、私を退治するための次の手があるまい。
こうして私は幾日かぶりに、ようやく夜の街へと出かけることができたのであった……。
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