クリストファー・ヴァン・ストーカーの日記 一日目
今回は、我が記念すべき初の本格的な大仕事となるであろうから、今後の稼業に役立てんがため、道中、日記を毎日、詳細に付けておきたいと思いこれを記す。
5月3日 晴れ。
パカパカと呑気に道を行く地元の百姓の馬車に乗せてもらって、ようやく、この辺鄙な田舎街へと俺はやって来た。
首都であるブカレストは〝バルカンの小パリ〟と称されるだけあって、さすがに都会だったが、ここら辺まで来ると、ほんとにもう「ど」が付くほどの田舎町だ。
ロンドンやパリといった大都市で長年暮らしたことのある俺の目からしてみれば、一世紀くらい時代を遡ったような、もしくは、この世界の果てにでもやって来てしまったような、そんな辺境の地である。
いや、それ以前に、そもそも西欧生まれの俺にとっては、東欧に属するこの地の気候も風土もあまり馴染みのないものなのだ。
殊に数十年ほど前にワラキアとモルダビィアが合わさってルーマニアという新たな国名となったこの国は、おとなりのハンガリー帝国やハプスブルグ家の神聖ローマ帝国といったキリスト教国と、オスマントルコというイスラム圏の国、さらにはロシアなども加わって、長年、その領有を争ってきた、いわば列強国の緩衝地帯であり、そのせいか、様々な国の文化―イスラムや東洋の風情といったものもそこここに混じっていて、なんとなくエスニックな香りが周囲に漂っている。
ちなみに〝ルーマニア〟という国名は、かつてこの地が古代ローマ帝国の植民地だったことに由来し、〝ローマ人の国〟という意味なのだそうだ。
また、そもそもは同じルーマニアの地であり、現在はオーストリア・ハンガリー帝国の領土となっているトランシルバニア地方の名が〝森の彼方の地〟を表す地名のように、なんしろここら辺には森が多い。住民の家や教会なんかもすべて木で作られており、まさに〝森の国〟といったところだ。
そして、その深い森の中からは、時折、狼達の吠える声が聞こえてきたりもする。
いや、狼ばかりか、他の獰猛な獣達、もっと言えば、この世ならざる魔物の気配までもが鬱蒼と茂った暗い森の奥深くから漂ってくるようにさえ感じられる。
どうやら俺は、本当にヨーロッパの果てまで来てしまったらしい……。
さて、そうした土地の説明はともかくとして、本題の俺の仕事についてであるが、この田舎町に入る前に近くの農村を通った時には、家々の戸口に馬の蹄鉄やらニンニクや唐辛子を束にした魔除けやらが掛かっているのを目撃した。
これらの魔除けは、言わずと知れたヴァンパイアを遠ざけると古くより伝えられる代物である。
こうした魔除けがあるところを見ると、あのジプシーの一団から聞いた情報もそれなりのものではあるらしい。
あのショボくれたオヤジが言っていた通り、この村の近くの山に立つ城に、貴族になりすましたヴァンパイアが住んでいるという話もあながち間違いではなさそうだ。
もとより東欧はヴァンパイアの住む中心地であるが、それに加えて、ルーマニアでもこのワラキア地方は、15世紀に何万という敵兵を野原に串刺しにして立て、〝串刺し公〟としてその残虐性を恐れられたワラキア公ヴラド・ドラキュラなんていう、血を好む、吸血鬼も真っ青な歴史上の人物を排出した土地でもある。
こいつは俺の本格的なヴァンパイア・ハンターの初仕事として、かなり期待が持てそうだ。
とにかく、先ずは敵を知らなければ話にならない。とりあえず、今、町の宿屋に入って腰を落ち着かせたところなので、少し休んだら、さつそく地元民から情報収集することとしよう。
夜になったら、どっかそこらの酒場にでも行って話を聞くのもいいかもしれない。何分、人というのは酒が入ると口が軽くなるものだからな。
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