車輪の唄
夜明け前、家の前に自転車の停まる音が聞こえる。
錆び付いたブレーキ音が響き渡る。
もう聞き慣れた煩わしい音、もう当分聞く予定はないなろう。
そう思うといつもは煩わしいだけのブレーキ音も愛しく聞こえる。
「うるさいっ」
通りに面した2階の部屋の窓を開けて叫んだ。
そこには自転車に跨ったままの彼がいた。
「駅まで送るよ」
そう言って彼は自転車の後ろを指差した。
私は大きな鞄を肩にかけて家を出た。
そして、無言のまま彼の自転車の後ろに横座りした。
彼も何も言わず、自転車を漕ぎ出した。
錆びた自転車はふたりを駅まで運んで行く。
いつもならたわいないおしゃべりをして騒がしいふたりだが、今日だけは無言だ。
そっと彼の背中に寄り掛かった。
「どしたー?」
いつもの声で問う。
でも、ふたりの考えていることは多分同じ。
“このまま離れたくない”
ギシリと自転車が鈍い音を奏でる。
彼の背中が私から離れた。
線路沿いの上り坂に入り、彼が立ち漕ぎを始めたのだ。
坂を登りきれば、駅はすぐそこだ。
彼は必死に自転車を漕いでいるが、スピードは落ち大きく揺れる。
その揺れが何とも心地良かった。
「もうちょっと、あと少しだから。ほら、頑張って」
「お前っ! 自分は楽だからって簡単にいうなっ」
ふざけて笑い合うふたりの声が響く。
朝早くの町はとても静かだ。
静寂の中、聞こえるのはふたりの声だけ。
「世界中に2人だけみたいだね」
彼が小さく呟いた。
ふたりとも同じことを考えていたようだ。
このままふたりだけの世界にいれたら、なんて。
迎えてくれた朝焼けが綺麗すぎて、涙が出た。
陽が登るまでただ朝焼けを見ていたけれど、どちらともなく駅へと歩き出した。
駅につくと切符を買った。
彼は隣りの券売機で入場券を買い、ポケットにしまっている。
券売機で1番高い切符を買った私と1番安い入場券を買った彼。
ふたりの距離を示しているようでまた泣きたくなった。
ホームに電車が滑り込む。
ふたりの前でゆっくりとドアが開いた。
黙ったまま電車に乗り込む。
ドアが閉まって、ゆっくりと電車が動き出す。
彼との距離がゆっくりと離されていく。
座席に座り、ふと窓を見ると見慣れた姿があった。
思わず立ち上がる。
彼が自転車で下り坂をかけ降りていた。
さっきは2人で登った坂を彼は1人で下る。
そして、私と目が合うと大きく手を降ってくれた。
いつもの大好きな優しい笑顔で。
その姿もだんだん小さくなっていく。
慌てて窓を開けて、手を振り返した。
今度はちゃんと笑顔で。
そして、彼が見えなくなるとこらえていた涙がこぼれた。
頑張ろう。
胸を張ってここに帰ってこれるように。
彼にまた会えるように。
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