第5話 おしゃべり好きな猫

 昼の時間になると、会社の会議室は昼食用に開放される。電子レンジで温めたお弁当を持って会議室に入ると、少し前に休憩に入った同僚が先に食事を始めていた。

「お疲れ様〜」

「お疲れ様です」

 挨拶をしながら同僚の向かいに座る。今日のお弁当は自信作で、早く昼にならないかとソワソワしていた。

 長方形のお弁当を開くと、右半分にオムライス。左半分にサラダと唐揚げ。上手くできたのは料理のことではなくて、オムライスの形のことだ。

「わあ、清水さん、それなに、猫?」

 何気なくこちらを見ていた同僚が、ひょいと身を乗り出して弁当箱を覗き込む。ぴっちり弁当箱に収まっているのは、猫の形をしたオムライスである。性格にいえば猫の顔の形だ。顔の中身は最後に描こうと思ったので、持参のケチャップで慎重に顔を描く。

「よっし上手くできました!」

「おお〜!」

 猫が完成するのを一緒に見ていた同僚が、思わず、といった様子で拍手をくれる。我ながら良い出来栄えで、崩す前に写真を撮った。

「清水さんって猫好きだよねえ、飼ってるんだっけ」

 席に戻った同僚が、再び自分のお弁当に向き直りながら聞いてくる。

 色々なところに猫のグッズやらモチーフ小物やらを持っているから、私が猫好きなのは社内で比較的知られている。とはいえ、個人的な話を突っ込んでするような人もいないので、実際に猫の話をすることは稀だった。

 飼ってるんだっけ、と言われて、脳内にぽかんと浮かんだ顔があった。私は頷くことも首を振ることもしないまま、ふふふ、と小さく笑った。

「猫、可愛いですよねえ。顔の造形がもう可愛らしいですけど。もふもふしてますし、してないやつも可愛いですが」

 にこにこと笑みを浮かべていると、同僚は少し苦笑いをして「そうだね」と頷いた。特に話を広げるつもりもなかったので、さてこの可愛らしい猫オムライスを食べてしまおう、とスプーンをとる。

 思い浮かべた猫は、明るい茶色の猫である。この猫は二足歩行はしないけれど、私が料理を作るととことこやってきて、「何を作ってるにゃ」と聞いてくる。おしゃべり好きな猫なので、今日も私が卵を割るのに合わせて、「ご主人、僕の顔がいいにゃ」と要求してきた。

 僕の顔? と、私は首を傾げて猫を見る。かしゃかしゃと卵を溶きながら下を向くと、猫はぴょんと器用にシンクの縁へと移動した。見やすくなったはいいものの、少し危なく感じてハラハラとする。猫はぐ、と体を伸ばすと、「僕の顔にゃ」と続けた。

「卵さんの黄色は僕の色とそっくりにゃ。だから、卵さんは僕の顔にするべきにゃ」

 どういう理論かわからないが、猫の中でこの卵は自分の顔の色らしかった。

 ふむ、と考え込みながら、菓子用の型でちょうど良いのがあったかもしれない、と思い至る。きれいにオムライスらしく巻かなくとも、作ったチキンライスを型にはめて成型すれば、その上に卵を被せるだけでそれっぽく見えるかもしれない。

「やってみようか」

 言いながら、温めたフライパンに薄く卵を敷いて軽めに焼く。焼きすぎると味気ないが、今回はお弁当用のオムライスだし、猫の顔型に被せるので気持ちいつもよりしっかり焼いた。先に作っておいたチキンライスはすでに弁当箱へ納めていたので、一度さらに取り出して、猫型が弁当箱に収まることを確認する。

 少しライスの量が多いように感じたが、ぎゅうぎゅうに固めて入れればかえってきれいな形になった。その上から、慎重に慎重に、卵をふわりと被せていく。

「僕にゃ!」

「うんうん、ねこだね」

 猫が嬉しそうに声を上げて、たしたしとこちらに寄ってくる。覗き込みながらよだれを垂らしそうだったので(実際よだれなんて出なかったけれど、そのくらいの勢いだった)、私は続けて「ねこにも朝ごはんすぐあげるからね」と声をかけた。

「ごはん!」

 猫は嬉しそうに声を上げると、尻尾をピンと立てて勢いよく地面におりる。軽やかに降り立ったので、どしん、どすん、なんて音はしない。そのまま一目散に、自分の餌皿へと飛びついた。私の猫はおしゃべりだし、気が早い。

「もうちょっと待って」

 言いながら、余ったスペースにもう少しおかずを作ろうと思っていたが、時間もないのでサラダと冷凍の唐揚げにしてしまおう、と決める。冷凍の唐揚げは電子レンジで温められるし、すぐにできて美味しいからお得だな、といつも思う。濃いめの味付けなのでお弁当にもぴったりだ。

「うんうん、顔はお昼に描こう」

 猫型のオムライス、は存外きれいにできて、余ったスペースに丁寧にサラダを詰めこみ唐揚げを押し込んだ。今日のお昼が楽しみだなあ、と、蓋を閉める。

「ご主人! ごはん!にゃ!」

 猫がまだかまだかと呼んでいる。私は「今行くってば」とにやける顔をそのままに、猫の餌を取り出した。



 なんて、朝のドタバタはなかったけれど、お弁当を作っている最中に猫型の存在を思い出したのは本当だ。

 きれいに描けた猫の顔は、まさしく本日の猫の顔そのもので、可愛らしい。削って食べるのがもったいなく思えたが、遠慮なく食べればオムライスもなかなかの出来だった。

「赤羽根さんは猫飼ってらっしゃるんでしたっけ」

 しばし無言で食事をしていた同僚に、ふと思い出して聞いてみる。以前そんな話を聞いたような気がしたのだが、同僚はパッと顔を上げると、「よく覚えてたね〜」と言いながら、スマートフォンを軽やかに操作した。

「ほら、飼ってるよ。ショコラと言います」

 可愛いでしょう、と、にっこり笑った同僚からスマートフォンを受け取り写真を眺める。淡い茶毛の猫が、窓を背にちょこんとすまし顔で座っている。少しふっくらして見えるが、それは毛が長いせいだろう。きれいに揃えられた前足が理知的で、グレーの瞳もとても可愛らしい。

「美人な猫ちゃんですね」

 ショコラちゃんかあ、と言いながら私も思わず笑顔になった。猫を飼っている人から、愛猫の話を聞くのは何とも楽しいものだ。私まで嬉しくなってしまう。

「ショコラちゃん、名前も可愛い」

 ショコラ、というには少し淡い毛色に思えたが、名付けの方法など人それぞれなので、この猫にはショコラという名前がぴったりに思えた。同僚にスマートフォンを返して、実在猫の良いところは記録に残せるところだよなあ、と実感する。私の猫も頭の中でいくらでも、どれだけでも思い浮かべて遊べるが、実在猫は触れるし、その時々の表情を写真や動画に収める、行為が何だかとても素敵に思える。

 いいなあ、と呟いたのを聞き取って、同僚は「やっぱり飼ってないんだ?」と首を傾げた。先ほど私が答えなかったのを、何となく気にしていたらしい。

 何となく、それで「飼ってないんですよ」と続けるのは不思議な気がして。私はまたにこにこ笑う。同僚は諦めたように肩を竦めた。

 お弁当箱の中の猫は、右耳が欠けてしまった上に、ケチャップが伸びてしょんぼりした顔になっている。今日の私の猫がぽんと頭に浮かんで見えて、猫は「ご主人、僕じゃ不満かにゃ」とムッとした調子で問うた。

(いやいや。滅相もございません)

 私の場合、実在猫を目の前にしたってくしゃみと鼻水が止まらなくなってしまうので。結局触れないのなら、頭の中の猫だろうと、実在する猫だろうと、あまり変わらない気がする。なので飼っているといえば飼っているし、飼っていないといえば飼っていない。

 満足ですよ、と心中で答えれば、猫は満足げにごろごろと喉を鳴らした。「よかったにゃ!」とニンマリ笑う。

「ご主人、午後も頑張るにゃ。僕の卵さんを食べたから、ご主人は元気いっぱいにゃ!」

 よくわからないが頭の中で猫がそう言ったので。

 午後も頑張るかー、と、オムライスを掬う。口に含めば、どこか優しい味がした。

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