第10話 眠っている猫
どうにも眠くて眠くて仕方がない。
雨が続いているせいで、身体が怠くて仕方がないというのもあったが、単純な寝不足のせいでもあるだろう。不安定な気候のせいで在宅勤務が続いたので、朝ゆっくり過ごせるし、と、寝る前の読書時間を確保しすぎたのがいけなかった。夢中になるとそれだけになってしまうのは子供の頃からの悪い癖で、読み始めた小説が面白くってついつい朝方まで読み耽ってしまう、というのを、三日間くらい繰り返していた。
元より体力がない方だというのに、そんなに睡眠時間を削ってまともに動けるはずもない。幸いなのは在宅勤務のおかげで多少気を緩めて仕事をしても問題ではなかったことだが、むしろそのせいで夜更かししてしまったので、なんともいえない。終業報告をした後、耐えきれずパソコンを閉じた私は、だめだこりゃー、と呟きながらソファの上に倒れ込んだ。
「ね、ねむい……死ぬほどねむい……」
ぴったりとソファに頬を押し付けて、じたじたと足をバタつかせてみるが、目蓋は否応なしに下がってくる。頭の片隅では、パソコン片付けて夕飯作らなきゃ、とか、いい加減洗濯しないと明日着る服が、とか、せめて顔だけでも洗っておかないと、とか浮かんでは消え、浮かんでは消え。どれも実行したい気持ちばかりあって、体はやる気がないようだ。
代わりにこんな時一緒に寝てくれる猫がいたらなあ、と考える。考えた瞬間、ぽわん、と浮かんだ猫のイメージにほっこり癒された。癒されると同時にますます目蓋は下がっていく。
(まあ猫も寝てるし、別にいいか……)
今やらなきゃ死ぬようなことでもあるまいし。たまにはサボろう、と、目蓋の重みに従うことにした。
ソファの上に猫がでっぷり寝そべっている。丁度肘掛にかかるように頭を乗せて、お腹を見せている。前足も後足もソファの上に投げ出しているから、まるで人間が寝そべってるみたいに見える。ちょっとおじさんくさいな、とは、猫の邪魔にならないよう、ソファの端っこにちょこんと座りながら考えた。
眠る猫は真っ白いふわふわな毛並みを持っている。今はぱたりと閉じられているが、目を開くと灰みがかった青い瞳を持っている。ぱっちり目を開けば顔立ちもよく美人な猫だが、気難しい性格のせいか半目になることが多く、そうすると愛嬌のあるブサイクな顔立ちになるのが面白い。あんまり半目でいるものだから、当初は視力に問題があるのかと診てもらったりもしたが、異常はなく単に性格だろうと言われ随分安心したのを覚えている。
猫はたまにこうしてソファででっぷり寝ている。でっぷり、とは不思議な表現のような気がするが、そうとしか言いようがないのだ。なんというか、ゴミ袋の中満杯まで水を注ぎ込んで口を閉じて、そのまま床に置いた時のでろんとした感じというか。ゴミ袋の中身は液体だが、猫は液体ではないので、表現的にはでっぷりだ。でっぷりが一番しっくりくる気がする。
私は心の中で「おじさん寝」と呼んでいるが、猫がおじさん寝をしているのを見るとなんともいえない胸のときめきに襲われる。ときめきと言って正しいのかはわからない。ただドキドキしてきゅんきゅんする。ドキドキできゅんきゅんならもうときめきで良いだろう、くらいの考えだ。
おじさん寝で眠っている猫は、よほどのことがない限り起きてこない。否、もしかしたら起きているのかもしれないが、私の好きにさせてくれる。腹の毛をどれだけ撫でつけていようが、肉球をふにふに揉み続けていようが、尻尾をきゅっと握っていようが気にしない。たまに、ちらりと薄目を開けてこちらを確認していることがあるが、耳がぴくりと動くくらいで嫌がるそぶりは見せないのだ。なので、おじさん寝で眠っているときは、勝手に甘やかしオーケーモードだ、と認識していた。
「ねこ〜、私も寝たいんだよ〜」
猫があんまり気持ち良さそうに眠っているので。
私はそのお腹を優しく撫でつけ、喉の辺りをかいてやる。本当に眠っているんだか起きているんだか不明だが、猫はされるがままで小さく喉を鳴らした。半開きになった口が面白いし愛らしい。顔を近づけて額で腹をぐりぐりすれば、ふわりと猫の匂いが顔面に広がる。
猫は毛が長い種なので。額を当てるだけで十分もふもふ感が味わえた。あんまりくっつけすぎると顔面毛だらけの大変なことになるのであまりやらない。代わりに耳を当ててみると、小さな心臓がとくとく音を鳴らしているのが確認できた。
猫のそばは癒される。よくよく考えてみれば、この猫のおじさん寝、まるで私に「ご主人もこいよ、一緒に寝ようぜ」と誘っているようにも見える。
いや、猫に実際そんな意図はないだろう。ただ猫に吸い込まれるように、私も小さく体を丸めて開いたスペースで横たわる。横たわるといっても、足は肘掛からはみ出ているし、猫を押しやってしまわないよう、本当に小さく小さく体を丸めた状態だったが。
頭を足元まで下げたので、猫の足がたまに私の頭を踏んでくる。
なんの気なしにちょん、ちょん、どか、と蹴られて、それが擽ったいやら痛いやら愛おしいやら。
宥めるように腕を伸ばしてもう一度猫の腹を撫でてやれば、寝言みたいに、猫が「なぁお」と小さく鳴いた。
やがて私の目蓋も耐えきれず、撫でつけていた腕から力が抜けていく。寝ちゃいそう、と思った瞬間には――
なんだか妙に明るいな、と感じて目を開けた。
体を起こせばぎしぎしと痛むようだ、ソファで寝ていたらしいとは、手をついた先がソファの布地だったから理解する。よくよく思い返してみれば、終業直後に耐えきれずソファに寝転んだのだった。
(あれ、でも普通にソファで横になってなかったっけ)
二人がけソファは足を伸ばして眠れるほど大きくはないが、肘掛に頭を置いて反対側の肘掛から足を出すか、足を曲げて横向きになれば眠れるくらいの大きさはある。だというのに、何故だか一人分のスペースに収まるように、体の半分くらいを外に出した格好で窮屈に寝ていたようだ。
(そこまで寝相悪い方じゃないんだけどな……)
時計をみれば、終業してからまだ一時間と少ししか経っていない。こんなに大きく動くほどの寝入り方をしただろうか、と、首を傾げてみるも、真相はわからない。
とにかく固まった筋肉を解そうと体を伸ばす。ぐ、とストレッチすれば、大分楽になった気がした。
(なんか気持ちもスッキリした気分)
結構疲れていたはずなんだけど、と、考えながらも再び首を傾げた。一時間と少し、寝たくらいで解消されるような疲れだったかと言われれば、もう少し疲れていたように思う。不思議なこともあるものだ、と、立ち上がった。
立ち上がって仕舞えば、寝入り始めに思い浮かんだ「やりたいこと」が次々と思い出される。兎にも角にも夕飯を作るべきだろうが、その前に洗濯機を回してしまおう。
洗面室に向かいながら、ふと左手に目を向けた。
真っ白く長い毛が指に絡みついていて、はてこれは、と首を傾げかけた。
瞬きした瞬間、その毛はふわりと消えてしまって、ますます首の傾ぎを深くした。
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