第11話 転がる猫

 がさがさと買い物袋が揺れている。音に合わせて微妙に動く袋は、腕やら肩やらに容赦なく食い込んできてとても痛い。買いすぎたな、とは明らかに反省すべき点だったが、後悔はしていなかった。夕方のセールに間に合うよう帰宅できたのは一ヶ月ぶりくらいのことだったし、今日を逃せば冷蔵庫の中はすっからかんになるところだった。冷蔵庫の危機を救ったのだと思えばこの重さは屁でもない。

 一番近くのスーパーから自宅までは、歩いて五分前後になる。スーパー自体が駅中の店なので、結論、駅から徒歩五分だ。のんびり歩いても十分。短いように思うが、体感的にはそこそこ歩く道のりで、公園や学校前を通り過ぎるため視界の変化も楽しい。早めに帰宅できた日は、なんとはなしに周囲を観察しながら帰るのが日課だった。

 家のすぐ近くの公園まで来た時、ちりちりと軽やかな音がした。ふと視線を向けると、公園の塀に鈴をつけた猫がすまし顔で座っている。ちらりとこちらを見たようだが、私がいることに気づくとふいと顔をそっぽへ向けてしまった。行儀よく座っている上、首元に大きな鈴のついた首輪をつけているので、どこかの家の飼い猫だろう。

(脱走して迷子かな)

 とは思ったが、その割に汚れも見えない。どのみち迷子だったとして、くしゃみと鼻水でどうしようもなくなる私は防御(マスクだ。マスクさえあればとりあえず近づけはするのだ)なしに近づくことはできなかったし、何より買い物荷物で両手が塞がっていた。

 一瞬足を止めかけたが、私の動きを察知したのか、猫の方がひょいと塀から飛び降りてしまう。ぴん、と背筋を伸ばして歩く様は実に優雅で、ちょっとアニメや漫画の中の猫みたい。まじまじと見つめる私をよそに、猫は近くの家の庭にするりと入り込んでいった。

(……あそこの猫なのかな?)

 思えど、やはり追いかけるわけにもいかず。思い直して荷物を持ち直した。代わりにあの鈴の音可愛かったな、と考える。

(そうだ、今日は鈴に戯れて、転がる猫にしよ)

 猫、というだけで可愛らしいのに、鈴の軽やかな音と合わさったら可愛さが倍増だ。動くたびちりちり鳴るなんて、日常だったらちょっと煩わしいかもしれないけれど、一時的に眺めるだけならはちゃめちゃに可愛いだろう。鈴も装飾をしてあげたい。紐をリボンに変えたり、色付きの鈴にしてみたり。

 考えれば妄想はどんどんと膨らんだ。

 私の猫は、鈴の音が大好きで、音がなるとすぐに飛びつき遊び出す。子供の頃からそのような性格で、鈴の音好きは大人になっても変わらなかった。首につける首輪はだから必ず鈴がついたものにしていて、猫が動くと小さな音でちりちり、ちゃりちゃり響くのが可愛らしかった。

 与えるおもちゃも鈴に近い音を発するものが多い。猫じゃらしなども好きなようだが、一番のお気に入りは中に鈴の入ったボールで、ボールを出してやるとちりちり音を立てさせながら、一緒になって絡まって転がって戯れ始める。

 転がる様子が面白かったので、少し大きい鈴入りボールを与えてみた。

 どちらかというと小柄な方の猫だが、全身でぐるっと抱え込めるくらいのボールを見て最初は戸惑いながらつんつん触る。匂いを嗅いだり、その度に髭がぴくぴくして、尻尾が「どうしよう」と迷ってるみたいに揺れている。

 様子を見て少し転がし音を鳴らしてやると、びっくりした様子で体を跳ねさせ、猫の顔が私を向いた。「何これ!?」と言わんばかりの反応に楽しくなりながら、もっと転がして音を鳴らしてやると、慌てて猫がボールに飛びついた。

 あとはもう、ちりんちりんからんからん、猫がボールに戯れながら、ボールと一緒になってころころ床を転がるだけ。非常に楽しそうにボールに戯れているので、見ている私も楽しくなる。

 猫が抱えているところや、回転の向きで鈴の音が少しずつ変わるようで。音の変化も楽しんでいるようだった。

 それで、しばらくはその大きな鈴入りボールが猫のお気に入りとなる。

 見かければ一も二もなく飛びついて戯れ始め、仕事から帰ってくると玄関を開ける前から鈴の音が微かに聞こえていることもあった。

 さすがに近所迷惑になりかねないので、鈴入りボールを猫の手の届かない場所に仕舞い込んで、小さなものだけで遊ばせたのだけれど。

 よほど気になったらしい猫があちこち探し回った結果、探し当てられてひっぱり出されて、家に帰るとちりんちりん音がなっている。その度隠し場所を変えるので、段々猫と私の宝探しゲームみたいになっている。

(で、今日も扉を開けたら猫が……――)

 いることはないのだが、ちりんちりん、と音がなって思わず肩を跳ねさせた。猫もいないし鈴入りぼボールなんて買ってもいないはずだが、なぜ鈴の音が。

 音の出所は私の出勤鞄から。慌てて靴を脱ぎ買い物袋を床に置く。一度だけ響いた鈴の音は、メッセージアプリの通知音のようだった。

「あ、荷物」

 宅配の発送連絡らしい。はて、何か注文したっけ、と考えて。

「……ダメソファか!」

 数日前に人をダメにするソファを買ってしまおう、と注文したのを思い出した。思っていたより到着が早い。

 予定日を見ると今週末には届くらしかった。確実に一回で受け取りたくて、土日指定にしておいてよかった。ということは、今週末は届いたソファでだらだら、猫(が給仕をする)カフェごっこができるというわけだ。

「それなら、いっそ鈴も買っちゃおうかな」

 ふむ、と考えながらスマホを見る。そのままウェブページを開いて検索しようと思ったが、床に置いた買い物袋が自重でぼとりと倒れた音で思い出す。

 とりあえず、冷蔵庫にこの食材を詰め込んでやらねばなるまい。

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