第2話 毛並みの良い黒猫

 休日の布団はどうしてこんなにも気持ちがいいのだろう。ふかふかの布団は決して私を逃すまいと絡みついて、ぽかぽか体を温めてくれる。随分暖かい季節にはなったけれど、雨の続く今の時分はまだまだ温かい布団に勝てそうにない。枕に顔を押し付けながら、夢うつつの私は休日の朝を無為に過ごしていた。

 何かとても面白い夢を見ていたような気もするし、なんてことない日常の夢を見ていたような気もする。大学の頃の友達が出てきたような、あの頃は気ままで楽しかったなあ、と考えたところで思いついた。今日の猫は、黒い毛並みの良い猫にしよう、と。

 黒い猫は不吉の象徴ともいうけれど、実際黒猫を見たところで不運な目にあったことなど一度もない。といっても、黒猫を見たこと自体が数える程だ。学生の頃に住んでいた家の近くにいた黒猫と、バイト先の駐車場に時折現れる毛並みの良い黒猫。生憎と猫に触ることができない私は、黒猫を発見しても「猫だ!」と思ってじりじり近づくくらいしかできないのだが、どちらの黒猫もとても美しい猫だったので、私にとって黒猫は少しばかり憧れの存在だった。

 例えば今日のような、やる気のない休日の朝に、私の猫は布団の中に潜り込んで、一緒に丸まり眠ってくれる。ちょうど足元で眠るものだから、私は蹴飛ばさないようにこっそりその体を引き寄せてやらねばならない。黒い毛並みはつやつやしていて、触り心地がとても良いのだ。

 猫は触れる私の体温に気がつくと、小さく鳴いて逃れようと身を捩る。寄ってきたくせに逃げようなんて、我儘なところも愛らしい。他の猫より黒猫の方が、なんとなく気位高く感じてしまうのは何故なのか。黒色のイメージのせいだとは思うが、私の猫は顔立ちもスマートなので、余計にそう感じるのかもしれなかった。

 私の腕から抜け出た猫は、再び布団の虫になろうとする私を近くでじっと見つめている。なぁん、なぉ、と小さな声で鳴いてくれるが、私は再び夢の中へ旅立とうとしていた。何しろ眠い。今週の仕事は忙しかったし、前の土日は予定があってどちらも出かけていた。だらだらと眠って過ごせる久しぶりの休日だったので、思う存分寝てやろうと思っていた。

 なぁお、と猫が一つ鳴いて、枕に突っ伏している私の顔に寄ってきた。

 ふわふわとした思考で猫の動きをなんとなく確認していた私は、それで、うっすら目を開ける。すぐ近くまで擦り寄ってきた猫は、その触り心地の良い毛並みを押し付けるように、額を私の頬のあたりに寄せてきた。

 甘えて合図だ、と気がついて、無意識に布団から手を伸ばす。ぽかぽか、十分に温められた手はまだ眠いこともあって体温が高い。猫の頭を親指の腹で優しく撫でると、猫は気持ちよさそうに「なぅ」と鳴いた。

 私が寝たままだからか、それとも単なる気まぐれか。

 猫も今日は機嫌が良いらしい。しばらく撫でても逃げる事はせず、そのままもっともっとと体をこちらに押し付けてくる。鼻のあたりに細かな毛が当たり、少しばかり擽ったい。私の体温も高いだろうが、猫の体温も高いのだ。頭から背中、背中からすっと撫でるように尻尾に触れて、猫がごろんと横になった。

「なんだい、ねこ、今日は甘えただね」

 そうなれば、あとはもう猫の勝ちだ。すっかり眠気が薄れていった私は、仕方なく顔を持ち上げ、枕の上で肘をついた。遊ぶように猫の腹をわしわし撫でて、されるがままの猫に満足する。お腹も背中も、全身が真っ黒の猫は本当に美しい。横顔がたまらんのだなあ、とにまにま顔を覗き込めば、ぱっちり開いたガラス玉みたいな瞳に自分が見えて、猫がぱちりとまばたきをした。

 そういえば、猫がゆっくりまばたきするのは、愛情表現の一つだと聞いたことがある。私も同じようにまばたきすれば、猫の視線はそっと違うところに逸れていった。私も猫の目から耳の方へと視線を移し、わしゃわしゃ撫でてやるのは止めないまま。

 毛の流れを作るように、するり、するりと背中を撫でるのはとても心地が良い。猫が小さな手をぺしぺし私の肘に当てて、そろそろやめろと抗議をしてきた。時計を見れば、ちょうど昼食時だ。

「ご飯、食べよっか」

 問えば、猫は私の顔を見上げてきょとりと首を傾げる。猫用の餌はいつでも食べられるようにしてあるので、猫は別段お腹も減っていないだろう。

 温かくて柔らかくて心地よい布団の中から抜け出して、閉め切っていたカーテンを開ける。すっかり天辺まで登った太陽が、一気に部屋の中へ光を注いだようだった。

 なぁん、と猫が鳴く。いつの間にベッドから飛び降りた猫は、立ち上がった私の足に擦り寄るように、動くのを待っていた。陽の光を目一杯に浴びて、毛並みの良い、黒毛がつやつや、一層輝いて見える。

 私はそれに満足しながら、ホットケーキミックスがあった気がする、と考える。気分がいいので猫型のホットケーキを作ろう。型はどこかにあったはず。

 猫が私の後ろをついてくる。私はそれをちらり、ちらりと振り向きながら、ご飯のあとは思う存分撫で回してやろうと、今日の予定を決めた。



 そういえばお腹が減っていた、とは、ぐうぐう響いた自分の腹虫の声で思い出す。ぽかぽかの布団の中は変わらない。カーテンは先ほど、強引に足を伸ばして開けたので、部屋の中はすっかり日光を浴び活動しろと主張している。私は布団の中でごろんごろんと転がりながら、どこかに居るはずの猫の存在を探している。

 毛並みの良い美しい猫がいたら、疲れ切った休日だって小さく笑って「何かしようかな」と気持ちが上がるかもしれないが。今この部屋にいるのは、黒猫は黒猫でも、手乗りサイズのぬいぐるみくらいだ。赤い首輪をつけた黒猫のキャラクターは、触り心地もよく、いつも撫でて癒されている。

 確かに黒猫は家にいないが、お腹は減るし、お腹が減ったなと思ったらなんとなく起きて動こうかな、という気持ちになってくる。

 冷蔵庫の中身を考えながら起き出した。時計はまだお昼に入る前くらい。夕方まで寝てしまいそうだと思っていたので、今動き出せたのは幸いだった。

 賞味期限がもう少しな牛乳が少しだけ残っていた。ホットケーキを作る妄想なんてしていたからか、気持ちはすっかりホットケーキの気分だ。幸いなことに、黒猫はいなくとも猫の型は本当に家にある。ホットケーキミックスがあったはずだと思いながら、デスクに座らせていた黒猫のぬいぐるみをひょいと掴んだ。

 飼うならこの子のような、ぱっちりとした目の黒猫だったらいいかもしれない。黒い毛並みに赤色の首輪が良く映えとても可愛らしいが、黒毛ならどんなデザインだってシックにつけこなしてくれるだろう。色々着飾らせるのも楽しそうだ。

 ぬいぐるみを撫でつけながら台所を覗き込む。材料はなんとかありそう。自分の昼食はホットケーキを焼くとして、ベタだけれど、猫にもミルクをやっておくか、なんて。

 テーブルの上にぬいぐるみを座らせて、醤油小皿に牛乳を垂らしておいてみる。なんともいえない顔でぬいぐるみの黒猫が私を見ていた。

(……いやいやいやいや)

 ちょっと、いやかなり、「やってしまったなあ」という気持ちが滲んだが、それでも牛乳の入った醤油小皿、の前に鎮座する黒猫のぬいぐるみは可愛らしかった。なんかこう、「それっぽさ」がぐっと増す。

 心中で思い切りよく頭を振りながら、いやいやいや、と言いつつもぬいぐるみを外せない私は、勢い任せに卵を割った。勢い余って殻が入った。せめて可愛い、猫の形のホットケーキにしようと思う。

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