沼すべり 武蔵の野 水辺語り

美木間

沼すべり 武蔵の野 水辺語り

 武蔵の野の西の端、都と鄙の境に小さな沼があった。日照りが続けば消え失せてしまうからなのか、沼にはとくに名もつけられていなかった。底の泥との相性のよい水草が増え、藻がまとわりついて揺蕩たゆたう、とろりと緑の沼だった。


 春先には、蛙の卵が水草にびっしり付いて、風が吹き渡ると、いっせいに揺れて、光った。光りは蛙の子の瞬きだと、遊び仲間が身震いし、沼が身籠ってると、誰かがつぶやいた。


 沼が生きものを宿すなどおかしなことだと思ったが、口にしてはいけないような気がして、ただ光る沼を眺めていた。


 流れのない沼には、岸辺の枯れ草が倒れて腐り、底に沈んで泥を肥す。水に棲む生きものの死骸が混ざり溜めこまれ、生きものを育む淀みとなる。


 眺めているうちに、誰かの言ったことは本当なのかもしれない、と思えてくる。


 野芹と花苔を摘みに出かけたのは、梅雨入りの少し前の薄曇りの日だった。 

 沼すべりに遭うかもしれんから、遅くならないように、と出がけに祖母から声をかけられた。


 武蔵の野には、流れの激しさに人をくらう川と呼ばれる水路や、美女の病を治した水を湛えるまことの姿の池など、怪しく超えた力を宿す水がある。

 沼すべりも、そんな武蔵の野の水の怪なのかと思っていた。


 うかうかとそばに近寄らなければ、水が干上がっている時だったら、大丈夫だろうと祖母に話したら、いつもやさしい祖母が眉根を寄せて話し出した。


 十年ほど前に、沼が干上がってしまったことがあった。ふだんは木立ちの切れ目にぽっかりと浮かぶ目立たぬ沼であったが、水に棲む生きものにとっては貴重な寄りどころで、干上がってすぐは、まだ湿っている泥の上に、ふなや沼海老がぴちぴちはねていた。


 宿知らずの流れ者が晩めしにしようと、日が落ちてからやって来たところ、泥に足をとられて動けなくなった。流れ者は、そのまま沈んでしまった。道端の水たまりほどに小さく干上がっていた沼は、幅の狭まった分、底へ底へと深くなっていたのだ。


 沼が小さくなって、沼すべりも縮こまって、底でひっそりしゃがんでいたのだが、腹をすかせて闖入者に手を出したのだろう。のちに沼から引きずり出されたのは、水草と藻が絡みついた着物だけで、流れ者の姿はどこにもなかった。


 沼すべりは、土地神の目から逃れるために、目立たぬような佇まいをして、名前を持たない沼に棲み、時おり人を引きずりこむ水の怪、否、古い神のようなものだと、祖母の口調は、穏やかだけれども、強く諭すようだった。


 沼すべりを知ってから、武蔵の野に出かける時は、エゴノキの実を詰めたお手玉を着物の袂に入れておくことにした。うっかり沼で足をとられそうになった時に、エゴの実をくだいて投げ込めば、しゃぼんの泡で目くらましになると、子どもながらに考えたのだ。


 ある時、試しに使ってみようと、切り株でエゴの実をくだいて皮を石ですり潰した。それを沼に放り入れようとしたところで、通りかかった蓑装束の老爺にいきなり手をはたかれた。くだいたエゴ皮は飛び散り、びっくりして立ちつくす私の目の前で、しゃぼんまみれのえご皮が落ちた沼の脇の小さな水たまりに、小魚が腹を見せて浮いた。


 エゴのしびれ毒だった。


 慌ててふきの葉で手をぬぐったが、おやつに持たされた小麦まんじゅうをその手で触るのもはばかられて、足元の石に置いて逃げ帰った。


 気になって振り返ると、老爺が切株に腰かけて、小麦まんじゅうを食べているのが見えた。


 怒られると思い、誰にも話すことができず、それっきり沼すべりのことを口にするのをやめた。


 それから、沼すべりに遭うこともなく、大人になった。

 武蔵の野もずいぶんと様変わりした。

 今なら、あんな不用意なことはしないだろう。

 



 不用意だったから、遇えたのかもしれない。






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