第11話もう一度、君と。
飯田の奴。何が「花屋さん」だ。彼女達はデザイナーだ。花専門の「フラワーデザイナー」だ。
それにしても、何年ぶりの再会だろう。綺麗になった。本当に綺麗になった。僕と対角線上に座っている柚を見て、僕は心のカギをようやく見つけたような気持ちだった。離れる事を選んだのは自分なのに、顔を見るとほっとする。でも、こんなに近くにいるのに、話しかける勇気はない。僕は、ダメな奴だ。
僕の前に座った「美穂ちゃん」は、すごく可愛らしい女の子だ。白いブラウスから見える鎖骨には、男なら誰もがドキリとさせられるだろう。でも僕は、彼女の鎖骨よりも、綺麗な白い肌よりも、対角線上に座る柚が気になって仕方がなかった。
「お酒強いんですか?」
「美穂ちゃん」が僕の顔を覗き込みながら上目遣いで聞いてきた。「男はこうすれば落ちる」と分かっていそうな顔で僕を見る彼女を、直観的に「苦手だ」と感じた。
「弱くはないかな。」
僕は当たり障りのない返事をして、視線をまた対角線に向けた。柚は自分の前に座っている結城さんと楽しそうに話している。僕は懐かしい疎外感に襲われた。裕と柚がああやって楽しそうに話している時、僕はたまにひどく疎外感を感じていた。「嫉妬だ」と言われればそうだけど、「嫉妬ではない」と言われればそれもそうだ、という感じの謎の疎外感。結城さんと裕が似ているからそう思うんだろうか。そんなことを思っていると、右手の甲に温かさを感じた。驚いて視線を正すと、「美穂ちゃん」が甘えた目で僕を見つめていた。
「どうしたの。」
驚きと困惑が混じった声が出た。
「明日、おやすみですか?」
「そうだね。土曜日だから。」
「よかった。」
「どうして?」
「なんでもありません。」
彼女はそう言うと少し微笑んで手を離した。そして、トイレに立つ時、僕の耳元で、
「この後、二人で抜けませんか。」
と囁いた。うまい。タイミングが絶妙だ。これにも、ドキリとしない男はいないだろう。僕を除いては。
柚と結城さんは何を話しているんだろう。たった一メートル五十センチの距離が歯痒い。
そろそろ一軒目を出ようかという時、女子三人は席を立った。いわゆる、「トイレタイム」だ。そうなると、こちらも作戦会議に取り掛かる。主に話すのは飯田だけど。
「どうよ。」
ニヤついた飯田の顔が僕と結城さんに交互に向けられる。
「この後は別で動く?」
結城さんの言葉に背筋が伸びた。
「お、一也が言うの珍しいな。随分楽しそうだったもんな。」
「いや、お前はその方が都合よさそうだから。」
「あ、バレた?」
飯田は、柚でも「美穂ちゃん」でもないもう一人の子とイイ感じみたいだ。隣にいて気が付かなかったことを、僕と反対側の結城さんは気が付いた事に、さらに二人の仲の良さを感じた。
「じゃ、そういう事で。」
三人が帰ってきたところで、僕らは店を出た。店の外でお互いの連絡先を聞き終わると、飯田と柚でも「美穂ちゃん」でもない子が素早く離脱した。これからどうしたものか。結城さんと柚は、イイ感じに盛り上がっていたから恐らくこれから二人でどこかへ行くんだろう。それを阻止する術を僕は知らない。すると自然に、残った僕らは二人になる。その気もない女性と二人でどこかへくのは性に合わないし、僕らだけがこの場で解散するのもマナーとしてどうかと思う。とりあえず、駅まで送ろう。うん。そうしよう。
「四人でもう一軒行きますか。」
口を開いたのは結城さんだった。驚いた。
「そうですね。私たちも明日はお休みだし。いい?」
柚の言葉にさらに驚いた。そして、柚の大きな瞳が僕のと重なった。
「いいよ。」
想定外の展開に思わず少し声が上ずって、僕は慌てて咳払いをした。「美穂ちゃん」は少し不服そうだ。
二軒目は柚と「美穂ちゃん」の行きつけに行くことにした。案内がてら前を歩く二人の少し後ろで、僕は結城さんに柚と二人で抜けないくて良いのかと尋ねた。
「柚ちゃんと知り合いなんだってね。四年ぶりだって言ってたよ。」
「そうなんです。実は。」
「それに、『美穂ちゃん』とそんなにうまくいっているようには思えなかったから。」
「え?」
「あそこで僕らが抜けたら気まずいでしょ。」
「なるほど…」
驚くほど周りが見えている人だ。しかも、咄嗟の気遣いもできる。そういう所も、裕とよく似ている。「いい人だな」と思う反面、彼が自分と柚を「僕ら」と言った事に少し嫉妬してしまった。
柚たち行きつけの店はバーだった。バーといっても、特有の入りにくい雰囲気や薄暗さのない、カジュアルで男女ともに入りやすそうな店だ。
「いいとこ知ってますね。」
テーブル席に腰を下ろすと、結城さんが言った。
「そうなんです。美穂が教えてくれて、仕事終わりによく来るの。」
「へぇー、センスいいですね。流石デザイナーだ。」
結城さんが斜め前に座る「美穂ちゃん」に微笑む。その微笑を彼の前で見ていた僕は、どう見ても結城さんが女性に慣れていないようには見えなかった。
「たまたま見つけただけですよぉ。」
自分のセンスを褒められたからなのか、さっきまで僕に向いていた「美穂ちゃん」の甘えた目が、今度は結城さんに向けられた。「美穂ちゃん」は良くも悪くも、かなり単純で、分かりやすい子だった。
注文を取りに来たウェイターに僕はジンライム、柚はアメリカン・レモネード、結城さんはウィスキー・トゥデイ、「美穂ちゃん」はワインクーラーを頼んだ。
流石に四人になると、僕は柚とも話さざるおえなかった。三年前と同じ真っ直ぐな瞳を僕に向ける彼女は、三年前より強く、自立した女性になっていた。四人で二時間ほど話し、時間が店の閉店時間の午前一時になった。店を出た僕らは、終電なんてものもとっくにないので、このままどこかへ行こうかと話していた。すると、「美穂ちゃん」が柚に何かを耳打ちした。「はいはい。」とどこか呆れた声で柚が返事をすると、「美穂ちゃん」はペロっと舌を出した。
「行くよ。」
僕は急に柚に腕を取られた反動で、思わすよろけそうになる。少し歩いたところで後ろを振り向くと、「美穂ちゃん」と結城さんが僕らと鏡合わせのように、腕を組んで反対側に歩いていた。
「なるほど。『慣れてない』は社交辞令か。」
僕が頷きながら前を向くと、僕を見上げる柚と目が合った。
「久しぶり。」
そうだった。もちろん、「美穂ちゃん」と二人きりになるのも、結城さんと柚が二人になるのも困るけど、これはこれで困るんだ。
「ひ、さしぶり…」
思わず声が詰まる。
「いつ戻ったの。」
「今年で二年目かな。」
「そう。」
何も文句を言わない柚が珍しかった。正直、嫌味の一つくらい言われると思っていた。
「カクテルって意味があるんだって。」
結城さんたちとだいぶ離れた時、柚が言った。腕は、とっくに離れてる。
「そうなんだ。知らなかったな。」
「結城さんは知ってたみたい。」
「そうなんだ。」
「花言葉知ってる人よりオシャレよね。」
なんだか棘がある言い方だ。
「そうかな。」
「うん。大人な感じがする。」
「それって、遠回しに僕が子供だって言ってる?」
「結構、直接的に言ってるつもりだけど?」
「……。」
「冗談よ。帰ってきてたのに、連絡もしてくれなかったからちょっと意地悪言っただけ。」
そう言って柚は、微笑みと呼ぶには豪快に、でも微笑としか言えないような懐かしい柔らかさで笑った。やっぱり、柚は変わっていない。そして、僕の恋の音も、七年経っても変わっていなかった。
「『誘惑の仕草』」
「え?」
「結城さんが飲んでたウィスキー・トゥデイって言うカクテルの意味よ。」
「そうなんだ。柚も詳しいの?」
「ううん。美穂が詳しいからトイレで教えてくれたの。結城さんともその話で盛り上がったって。」
「へぇ…。色っぽい言葉だな。」
「色っぽいか…。素敵な言い方。」
「柚が昔、そう言ったのを思い出したんだよ。」
「私、そんなこと言った?」
「寒緋桜をニュースで見た時、言ったろ。」
「そうだっけ?その時なんて言ったかまでは覚えてない。そんな昔の話、よく覚えてるわね。」
「素敵な言い方だって思ったからね…。それで、彼女のは?」
「あぁ、ワインクーラー?あのカクテルの意味は『私を射止めて』。」
「……。」
柚が大真面目にそう言った後、僕らは少し見つめ合って、それから二人して吹きだした。
「…っなんだ。結城さん、最初から『そう』だったのか…っ」
結城さんがカクテルの意味の分からない柚に向けて、そんなカクテルを頼むはずはない。「美穂ちゃん」も。
「えぇ!気づいてなかったの⁈私と話してても美穂の話ばっかりだし。」
「分かるわけないだろ。あんなに離れてたんじゃ何話してるのかなんて聞こえないし。」
「そうじゃなきゃ四人で二軒目なんて言わないわよ。」
「いや、僕と彼女が上手くいってなさそうだからって気を使ってくれてたし…」
「そんなの建前に決まってるじゃない。」
「そうだったんだ。」
そうか。彼は周りが見えていたんじゃなくて、好みの女の子が僕とイイ感じにならないか気にしていただけか。僕は、心なしかがっかりした。社交辞令に、建前、とんでもないな。中身はちっとも、
「似てないな…。」
しまった。口にしてしまってから思った。
「裕に?」
心臓が、体がドクンと音を立てた。柚の顔が急に見れなくなった。
「大丈夫よ。私も思ったから。」
「そう…。」
「笑った顔とかね。着てるスーツなんか、大学の入学式の裕そっくりだったし。」
「…うん。」
あっけらかんと言う彼女は、清々しい顔をしていた。
「あ…。久々に、入る?」
気が付くと、僕らは「ファミレス」の前に来ていた。
「今日はやめておくよ。」
僕は、最後に柚と来た十九歳の三月以降、一度もこの店に入っていない。
「そう。どうしよっか。始発までまだ時間あるし。」
「家来る?」
ここまでくると僕の家も近い。一人暮らしのために借りるような家じゃない。正真正銘、僕の家だ。
「引っ越してないの?」
「うん。どうしても両親の家を残してたくて、東京に出てからもたまに帰ってきてた。」
「じゃあ、お邪魔しようかな。三年間、何してたのかも聞きたいし。」
「大した話はないよ。」
「いいの。知りたいから。」
僕はもう一度、君と過ごしてもいいんだろうか。
玄関の扉を開けると、「お邪魔します」と大きな声で柚が言った。これは「お決まり」だ。
柚は初めて家に来た時、びっくりするほど大きな声で「お邪魔します」と言った。そして、「誰もいないんだからそんな大きな声で言わなくてもいい」と言った僕に、「でも、ご両親の温かさは残ってるから。」と言ってくれた。裕も同じことを言ってくれた。父が亡くなってから初めて裕がうちに来た時だ。二人とも、気遣いとも思えないほど自然に言うもんだから、僕は泣いてしまいそうなその温かい言葉に、「そうか。」としか言えなかった。
「懐かしい匂い!なんか感激しちゃうな。」
「大袈裟だよ。」
「大袈裟なんかじゃないよ!何年ぶりだろう。」
「七年ぶりだね。」
「そうだよねー。でも、変わってないね。安心する。」
裕がいなくなってから、僕の家に誰かが来るのは初めてだ。
「七年か…。去年の七回忌…行った?」
「…行ってないよ。」
「私も。」
「三回忌以降は親族だけらしいし、連絡も来なかったよ。」
「そうなんだけどね。行かなきゃならない気がして。」
「僕らに来られても、おばさんたちも困るだろうし。」
「『私に』でしょ。」
「そんなこと言ってないだろ。」
「分かってるわ。元カノに来られても困ることくらい。」
リビングのソファーに座った彼女は寂しそうに言った。そして、真っ直ぐ、強い瞳で、
「でも、行きたかったの。」
と言った。
僕は、柚に離れていた三年間の話をした。出版社で担当していた作家の話、大学で付き合っていた恋人と向こうに行ってから直ぐダメになった話。新しく向こうでできた恋人の話、そしてその恋人ともすぐにダメになった話。
「なんでダメになっちゃったの?」
「なんでだろうね。」
理由は分かってる。大学一年の頃、柚と自分への気持ちのカモフラージュのために「好きだ」と言ってくれたバイト先の子と付き合った。大学が違った彼女とは、一緒に居る事も少なかった。同じバイトで裕の事も知っている彼女は、「裕くんたちと遊びたい」とよく言っていたけどそれだけは嫌だった。彼女と「恋人」になっているところを柚に見られたくなかったんだと思う。もちろん、好きになりたいと思える相手だった。自分を必要としてくれる彼女を守りたいとも思った。でも、彼女からは「音」も聴こえなかったし、「花言葉」が好きな事も話せなかった。僕らの、いや、僕のいい加減な「恋」とは言えない感情が、遠距離で続くわけがなかった。上京し、柚と離れた事でカモフラージが必要なくなった事がきっかけかもしれない。彼女への気持ちは薄れ、「かりそめ」でもいられなくなった。でも、別れを告げたのは彼女の方だ。遠距離になって三ヶ月もしないある日、彼女から泣きながら電話がかかってきた。
「辛い。」
彼女はただ一言だけ僕にそう言った。
「ごめん。」
僕も一言だけ彼女に言った。それだけだった。三年間の「関係」は音もたてずに崩れた。後から噂で聞いた話では、彼女はずっと裕が好きだったらしい。そう聞いて、驚くどころか納得した自分に嫌気がさした。僕らはお互いが「かりそめ」の関係だったんだ。その後も二人の女性と付き合った。今度は「かりそめ」とは少し違った気持ちだった。でも、どちらも続かなかった。崩れるきっかけがなんだったのかはどうだっていい。ただ、分かったのは、愛に変わりは効かないという事だ。それに気づくまでに三人の女性を傷つけてしまった。幸いなことに、「かりそめ」の彼女も、そうでない二人も、今は結婚して幸せに過ごしている。僕には一生叶えられない幸せだ。
この三年の事を、僕がいくら簡潔に話そうとしても、彼女は「それで?」と詳細を聞きたがった。でも、僕が地元に戻った理由と、自分に連絡をしなかった理由だけは聞いてこなかった。
「東京か…。」
「憧れる?」
「全然。私には縁のない場所だなと思って。」
「確かに、柚には似合わないな。」
「田舎女だって言いたいわけ?」
「違うよ。SNSみたいな街だから。」
「SNS?」
「うん。」
「何それ。」
「分からなくていいよ。」
東京は、良くも悪くも「無関心なようで無関心でない」街だ。チャンスも多いし、出会いも多い。でも、一度非難が集まれば取り返しがつかない。とても窮屈で怖い街だ。「田舎者の遠吠え」かもしれないけど、「汚れのない柚子」のような君には、あの街は似合わない。
「そういえば…」
「何?」
「僕の飲んでたカクテルにも何か意味があるの?」
「あるわよ。知りたい?」
「いや、やめとく…。」
いつかの「いたずらっ子」のように僕を見上げる柚の瞳を見て、僕は反射的にそう答えた。
「そう。」
すべてを見透かしてしまいそうな彼女は、「ふーん」と何度か頷き、僕の淹れたコーヒーを手に取った。
「コーヒー飲めるようになったんだね。」
「もう大人だからね。」
嘘をついた。今もブラックコーヒーは苦手だ。でも、なぜか買ってしまう。
「会えてよかった。」
ティーカップに入ったブラックコーヒーを覚ましながら柚は微笑んだ。優しいその瞳を見ると、いつだって僕は君と出会った十年前の「音」を思い出す。
「いつでも来てよ…。」
「うん。」
ブラックコーヒーのカップがカチャリと小さく音を立てて、ソーサーに収まってた。
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