第4話教えて欲しいこと。
地獄だったテストも終わり、正真正銘の夏休みがやってきた。裕と柚は、入学式の翌日、裕の家で話してからそれまで以上に一緒に過ごすようになっていた。それは、決して口にはしないけど、限られた時間が日に日に短くなっているという不安を埋めるためみたいに見えた。僕は怖かったんだ。裕の言っていた、「何かがプツンと切れる時」がすぐそこまで来ているような気がして。
「裕の事なんだけど…」
僕は「話したい事がある」と柚に呼び出され、いつものファミレスにいた。彼女と出会ってから二人で会うのはこれが初めてで、なんだか緊張した。
「僕もそろそろ話そうと思ってた。」
外は八月らしい猛暑日だというのに、僕らの目の前には、カップに入ったブラックコーヒーとカフェオレがある。裕の病気が分かってから、僕は裕の病気に向き合おうとすればする程、体の熱が全部どこかに行ってしまったように体が冷たくなる。実際の体温はあまり変わっていないんだけど、そんな気がするんだ。もしかすると、彼女もそうなのかもしれない。
「どうして病気の事、何も話してくれないのかな。」
「やっぱり、柚にも話してないんだね…」
「うん。頼ってほしいんだけどね…?」
枯れている。柚を見てふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。ダメだ。このままじゃダメだ。「あいつは泣かないようになる」と裕は言った。そして、それは最悪なことに本当だった。でも、こんな時、親友の死を遠くない未来だとわかっている時になんて言っていいのか分かるほど、僕は大人になれているわけじゃなかった。
「…何か裕なりの理由がある事は確かなんだろうけどね。」
「でも…」
「不安。だろ?」
「少しね。」
嘘だ。少しなもんか。
「ごめんね。こんなこと話せる人、他にいないから…」
「悪いことしてないのに謝るとこ、裕に似てきたな。」
「そう?『悪いことしてないのに』か。そうだね。ありがとう。」
彼女の大きな瞳は、こんなに悲しい色をしてただろうか。「泣いてもいいよ」なんて、言っちゃダメだ。きっと、そうじゃないんだ。何か。何かないだろうか。こんな時、裕なら、彼氏だったら、ただ抱きしめて泣かせてやる事ができるんだろうか…。でも、僕にその特権はない。きっとこれから先も。
「こんな話をするようになるなんて思わなかったな。」
「え?」
「僕はこのまま二人がずっと付き合って結婚でもすると思ってたんだ。四月まではね。でも、突然変わっちゃったから。」
「あぁ、そうだね。」
「その事はもういいから。」
「うん。わかってる。二人で決めたことだからいいんだ。でもやっぱり心配だよ。」
「だよね。一人で抱え込ませてると思うの。病気の事も、私のことも。」
「違うよ。裕のことはもちろんだけど。今のは違うよ。」
真っ直ぐに、彼女の悲しい瞳を見る。すると彼女は、「降参」と手を上げた。そして、短く呼吸を整えて、口を開いた。
「私は、裕と一緒にいたい。彼が死ぬまで…あれから三ヶ月たった今でもその気持ちは変わらないよ。それでも、どうしても不安に押しつぶされようになる夜もある…かな…。」
「…。」
「裕が隣に居ても、一人で居ても、その不安は…もうほんっとにびっくりするくらい突然きちゃうのよ…それでまぁ、一睡もできなかったり、ね…?」
裕が病気のことを話さない事は、彼女の不安を大きくしていた。
「我慢するなとは言えない。」
「え?」
「裕には君が必要だし、君にも裕が必要だから、不安な気持ちを我慢するなとは…言えないよ。その不安は、きっと我慢しなくちゃいけないものだ。二人が一緒に居るために。」
「そうね…」
柚は、目を伏せて、何も入っていないブラックコーヒーをかき混ぜる。
「でも、我慢を誰にも言わないように我慢するのって、人間的じゃないよね…」
「え?」
大きな彼女の瞳がさらに大きくなる。
「僕に教えてくれればいい。不安なこと、我慢してること。何が解決するわけじゃないけど、人間らしく、吐き出せばいいよ。僕に。」
「人間らしくって…また思いやりがあるんだか、ないんだか…。」
笑った彼女を見て、僕は彼女と出会った意味を見つけた気がした。
「『我慢するなとは言わない』じゃなくて『言えない』か。」
「ん?」
「それに、『教えてくれればいい』か…」
「あぁ。うん。」
「本当に、優しい言葉を使う人ね…わかった。しょうがないから教えてあげる。」
僕に彼女の悲しい色を変える事は出来ない。泣かせてやる事も…。でも、僕にもできる事がある。僕は、君を支えるために君と出会ったんだと思う。
「うん。約束。」
「えぇ。約束。」
僕が小指を出すと、柚は右の眉を小指でかいてから、同じようにそっと小指を出した。その仕草は、親友の照れた仕草と同じだった。
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