カフェオレとブラックコーヒー

第1話予期せぬ出会い、そして初恋。

 高校の卒業式の後、無駄にとったバイトの休みを持て余す僕。明日から僕は大学生になる。実感なんて全くないけど、新しい生活の幕明けに何だかふわふわした気持ちになる。家にいても落ち着かない、と近所の喫茶店に行き、飲み放題のカフェオレももう四杯目。隣に座ったサラリーマンが悩まし気に資料を作成し、何かの商談に来た男女が名刺交換をしている。珍しくもなんともない僕の日常。自分の斜めにきれいな人が座ったことや、不意に見たデジタル時計が十四時十四分だったことに喜ぶ普通の僕。あ、きれいな人には彼氏がいたみたい。なんとなくがっかりする。

 さっきから広げている英語のテキストも手につかず、斜めのカップルの会話が耳に入る。ドーナツを食べる前に「いただきます。」といった彼女は、どうやら理系の大学院生らしい。聞いたこともない医療用語を発し、そのレポートが不十分だと教授に指摘を受けたと彼氏に話している。どこか上の空で会話を聞く彼氏。僕ならその会話をもう少し広げて彼女の話をもっと聞くのに。皿のっていた二つののドーナツを食べ終わり、手を洗ってくるといって席を立つ彼女を横目で見ると、運の悪いことに彼氏と目が合った。とっさに目をそらすのも何か不自然なので軽く会釈して手元のカフェオレを飲み干す。飲んでいる最中に会釈したのも十分不自然だったことに気が付いて、底にたまった砂糖の味にのどが絞まるのも気にせずそのまま会計に向かい外に出た。あと一時間は居座ろうと思っていたのに。そういえば、高校一年の時もこんなことがあったことをふと思い出した。

 昔から何かと一度するとできてしまう僕はいわゆるクラスの「陰の人気者」だった。自意識過剰ではなく事実。二か月に一度のペースで女子に告白されたから間違いないと思う。ただ、初対面の人に「冷たそう」と印象付ける顔立ちと、目立つことがあまり好きじゃない性格と、休み時間を本を読んでいるか中庭にしゃがんでいるかのどちらかで過ごすという変人っぷりから「人気者」と呼ばれることはなかった。小学校からの幼馴染には、密かな人気を羨ましがられたが、僕としてはたくさんの女子に告白されるより、たった一人と思いが通じ合っていた彼のほうがよっぽど羨ましかった。

 しかも、彼、裕の彼女は、僕が二年前からずっと恋している人だった。どれだけ女子に告白されてもその気持ちが消えることはなかったし、揺らぐこともなかった。でも、彼女が僕を好きになることはない。何故なら彼女に出会ったとき彼女はすでに裕と付き合って三か月もたっていたからだ。

 たった三か月、されど三か月なのだ。それに彼女は、誰もが思う理想の彼女だった。この二年間、彼女の口から裕の愚痴を聞いたことはないし、いつも裕を一番に想っていた。そんな彼女が、裕の親友の僕を好きになるわけはないし、僕もそんな彼女の気を引こうとするほど馬鹿ではなかった。

 ただ、悔しいことに彼女は僕の初恋だった。しかも質の悪い一目惚れだ。この二年でどんどんきれいになっていく彼女をただ僕はずっと見ている。

 友達という枠の中で。


 二年前、裕に駅前のファミレスに呼び出された。裕と僕は何かあってもなくても、このファミレスによく来る。まぁ、つまり、「安定の」ってやつだ。いつもは裕のほうが早く来て席をとっているのに、その日は初めて裕が後から来た。

「遅れてごめん。」

頼んだカフェオレももうすぐなくなるぞ、という頃にやってきた来た裕の後ろには、僕の知らない「彼女」がいた。

「紹介する。彼女の柚。実は、三か月前から付き合ってる。」

「柚」と紹介された彼女は僕の表情を伺うように軽く頭を下げ、裕を見た。彼女の表情は、僕が今まで向けられてきたものと何ら変わらなかった。その表情を見た時、僕はまた自分が「冷たそうだ」と思われたと確信した。そして同時に、僕は自分の中の音を聞いた。

それはこれまでに聞いたことのない音で、心地よくも、どこか落ち着かないものだった。僕がこの音の正体に気が付くのは、まだ少し先の話だ。


「何か頼みなよ。」

「そうだな。」

彼女にメニューを渡すのは、なんだかルール違反な気がしたので、僕は頼むものが決まっているであろう裕に、この一年間変わらない「安定の」メニューを渡した。

「私は、コーヒーを。あ、ブラックで。」

裕がいつものようにレモンスカッシュを頼んだ後で、彼女はウェイターの「お砂糖とミルクはお使いになりますか?」という言葉に少し恥ずかしそうにこう答えた。

 「柚」と紹介された彼女は、同じ高校一年にしては大人びた顔立ちをしていた。大人びているとは言っても、高校生になって半年もたっていない肌に化粧っ気はなく、おまけに少し焼けているせいか顔だちを幼くも見せた。背は低く、裕との身長差もいい感じだ。制服を見る限り、隣町の公立高校の制服だ。

 二人の飲み物が来ても尚、自分と視線を合わそうとしない僕に、彼女はまた僕の表情をうかがうように声をかけてきた。

「佐野柚稀です。」

丁度、目の前にある冷めたカフェオレのカップに手を付けていた僕は、底が見えかけていたそれを慌てるように飲み干してから自己紹介をした。

 三十分程話した後、彼女が、そろそろと言って席を立った。どうやら裕は僕に紹介するためだけに彼女を呼び出したようだ。

「あぁ、ありがとう。また連絡する。」

「うん、じゃあまた。」

彼女は僕にも軽く会釈して笑顔で店を出た。ここから何が起こったかはお分かりいただけるだろうか。そこから僕は、二時間、彼女との馴れ初めや、彼女の魅力について聞かされる羽目になった。僕は、こういう時の彼が嫌いだ。長いだけの話なら聞き流せば何とかなるが、裕の場合、話の順序がなっていない時がある。そうなると、僕はその長い話を最初から脳内で組み替えて理解しなきゃならないんだ。今回はそうじゃない事を祈る。

 裕と彼女が出会ったのは五月。裕が中学卒業まで所属していた野球チームの監督が引退し、そのあとに来た監督の娘が彼女だったのだとか。裕は、リトル時代から所属していた野球チームにちょくちょく顔を出していたし、野球少年の指導にもあたっていた。新しい監督や彼女とすぐ打ち解けたのは不思議じゃない。やがて、二人で出かけたりするようになり、付き合いだしたんだという。本当はもっと、も―っと長いなれそめがあったが、全部書いていると手が腱鞘炎になりそうなので割愛。

 裕の話で驚いたことがあった。彼女が僕らより年が一つ上だということだ。「高校一年生が付き合う」とくれば、同い年だと勝手に思い込んでいた僕は、心底びっくりしたそして、僕は彼女に抱いた「大人びている」と「幼い」というイメージを反芻した。しかし、何度繰り返しても、どちらの印象が彼女に当てはまるかは分からなかった。大人びた顔立ちをしながらも、気取らぬ素直な可愛らしさが彼女にはあった。

 僕の知る限り、裕に彼女ができたのはこれが初めてだ。義務教育を終えたばかりの僕は、年上と付き合っている親友をどこか遠くに行ってしまったような目で見た。そして、のどからこみあげてくる甘さをかき消すように、空になったカップの隣の水を飲んだ。彼女に自己紹介する前に飲み干したカフェオレのカップの底には、たっぷり二本入れたスティックシュガーがたまっていたみたいだ。その時初めて、僕は味もわからないほど緊張していたんだと気が付いた。

「彼女、素敵だろ?」

どこか遠くに感じた親友も、彼女のいないところで年上の女性を呼び捨てにできないらしく、長―い馴れ初め話の間も、「柚」と呼んでいた彼女のことを、「彼女」とか「柚さん」とか言っていた。それにしても、まだ話す気なのかこいつは。でも、まだ一応話の順序は問題ない。

「数分話したくらいじゃわからないよ。」

と投げやりに言う僕に裕は、右の眉を小指でかいた後で、照れくさそうに続きを話し始めた。恐らくここからが本題だろう。つまり、ここから僕の脳が酷使される可能性は高い。さんざん話を聞いた後なので、心底こういう時の裕は嫌いだと思ったが、もうすでに乗り掛かった舟なので、おとなしくさっき飲み干したカフェオレの糖分が切れない事を祈る。

「実は、彼女と仲良くなったきっかけは全く別なんだ。」

「は?」

柄にもなく、間抜けな声が出た。そこまで戻るのか。自然とため息が出そうになるのを抑え、一度咳払いをする。

「そうなのか。それで?」

「実はさ・・・」

なんの悪びれもせず、何故か照れながら話すその姿を見て、僕はこの話の順序のなっていない親友をはたいてやりたい衝動にかられた。・・・もちろん冗談だ。

「痴漢に遭ってるところを助けたんだ。出会いがそれ。」

また話が戻った。待てよ。つまり、彼女と祐が出会ったのは、彼女が痴漢に遭っていたのを裕が助けたのがきっかけで、その彼女が、偶然にも裕が所属していた野球チームの新しい監督の娘だった。よし。今回は大して酷使されずに済んだ。

「なるほどな。そんな偶然あるんだな。」

「だろ?なんかこっぱずかしっくってさ。」

高校一年生の男子が痴漢から女の子を助けるなんて、簡単にできる事じゃない。少なくとも、高校一年生の「僕」にはできなかったと思う。

「カッコイイじゃないか。」

自然と口から出た。茶化しでも、妬みでもなく純粋にそう思った。

「そうか?」

裕は、僕から目を逸らして右の眉を小指でかいた。

「うまくいくといいな。」

「ありがとう。」

その日僕らは、少し大人になったような気がした。


 彼女との再会は、それから二か月後の十月だった。裕と僕は、彼女の学校の学園祭にお邪魔した。なんでも、彼女の所属する文芸部が朗読会をするらしく、チケットを二枚もらった裕が、

「本といえばお前だろ。」

と僕も誘ってくれたのだ。詳細は聞かなかったが、朗読会の会場でもらったパンフレットには、確かに彼女の名前があった。しかし、その朗読会は、僕が想像していたのとは随分と違うものだった。

 会場となる体育館には椅子ではなくカラフルなクッションが並べられ、柵のようになっていた。そこから二メートルほど離れたところには「保護者用」と書かれたパイプ椅子が並んでいる。この異様な雰囲気に、僕は裕の顔を見た。すると、彼はバツが悪そうに目を逸らした。僕は裏向きでもらったパンフレットを慌てて表に向けた。すると、黄色の裏表紙に隠されていた、可愛らしい動物のイラストで装飾された表紙が出てきた。そこには大きく、カラフルな文字で「おはなしの会」と書いてある。

「本は本でも、絵本ってな。」

僕は、茶目っ気満載な顔でそう言う裕の足を引っかけた。「わっ」という声と共に躓いた裕は、

「何すんだよー。本、好きだろ。」

と眉毛を下げた。

「僕が好きなのは文芸だ。本なら何でも好きって人もいるけど、僕は違う。それに、絵本は苦手なんだ。」

絵本は好きじゃない。

「え、そうなの。俺、本とか読まねーから、お前は本なら何でも好きだと思ってたよ。」

「僕が絵本読んでる姿想像できたわけ?」

「いや、できない。」

「だろうな。」

「頼むよ、付き合ってくれよ。柚さん最後の朗読会なんだって、来年は受験生だから。」

「知らないよ。っていうか、なんで文芸部が絵本の朗読なんだよ。」

「なんかこの学校、幼稚舎もあるらしくってさ、大学には保育科もあるから高校からそういうのに触れる機会を作ってんだってさ。」

「そういうの」とは何なのか。それなら「絵本サークル」とかもっと名前を考えればいいのに。紛らわしい。というか、ネーミング的には完全に間違っている。

「頼むよ。帰るなんて言わないよな?」

「言わないよ。わざわざ来たんだし。ただし、条件がある。」

「な、なに。」


 「お話会」がはじまる五分前、保護者席は、半分ほど埋まっていた。僕は最後列の端に席を構えていた。柵状におかれたクッションの中には、沢山の子供達がいる。子供達は、自分達より明らかに大きい「一人」に「どこから来たの?」「ママと来てるの?」と興味津々だ。保護者席からもくすくすと笑い声が聞こえる。子供達に大人気の「一人」は、保護者席に聞こえないように、何とか子供達を引きはがそうと何か言ってるみたいだけど、そんなことで離れてくれる子供達ではなかった。そうこうしているうちに、絵本を抱えた彼女がやってきた。体育館に入り、子供にまみれた裕を見た時、彼女は声に出せない驚きを必死に隠していた。そして、最後列の僕と目が合うと、納得したような、いたずらっ子のような顔で笑い、何食わぬ顔であいさつをした。

「みんな、こんにちは。たくさんのお友達に会えて、お姉さんたちも嬉しいです。」

僕が彼女の笑顔の意味を考えている時、

「今日はすごく大きなお友達も来てくれているみたいね。」

と、彼女は裕を見た。当然、会場からは笑いが起こり、裕はさらに注目を集めた。

「すいません。」

裕は照れながら立ち上がり、保護者席へ向かおうとした。僕はもう、笑いを堪えるので必死だった。すると、また彼女が裕に向かって話した。

「大丈夫だよ。お話を始めるから、他のお友達と座って一緒に聞いてくれるかな?」

裕の顔は、見たことないくらい赤かった。もう駄目だ、と笑いをこらえきれなくなった時、彼女と目が合った。いや、合ってしまった。

「ここで聞いてもらっていてもいいですよね?」

わざわざ保護者席の最後列の僕と目を合わしながらこう言った彼女の瞳は、僕がこれまで出会った誰よりも、「いたずらっ子」の目をしていた。

「あ、はい。」

思わぬカウンターを食らった僕は、「佐野柚稀」という女性によって、一瞬のうちに裕と二人で「おはなしの会」の主役にされてしまった。

 しかし、実際読み聞かせが始まると、裕にしがみついていた子供達の心は完全に彼女に向いていた。僕らを笑っていた保護者も、彼女の広げる世界に引き込まれているのが最後列からだとよくわかる。裕に至っては、この上なく幸せそうな顔をしている。そして僕の目線に気が付くと、とても誇らしそうに口角を上げた。なんだか恥ずかしくなって、彼女の方に顎をしゃくると、小さくうなずいて視線を彼女に戻した。

「うんとこしょ、どっこいしょ。まだまだカブは抜けません。」

洋風な絵で描かれた『大きなカブ』を器用に片手で持ちながら、もう片方の手を使って絵本と同じ動きをしている彼女を見ていると、初めて彼女に会った時に聞こえた音が、もう一度聞こえた。今度は、最初よりも大きく、長く、早く。そして、裕を見るとその音は次第に聞こえなくなった。


そして、音の代わりに、何かが心を壊そうとしている気がした。

それは、決して壊してはならないものだと、僕は本能で感じていた。


 「おはなしの会」が終わると、裕は再び子供達にもみくちゃにされていた。僕はそんな裕を保護者席の自分の席で見ていた。

「私、少し君のこと誤解してたみたい。」

振り返ると、そこには絵本を置いた彼女が立っていた。彼女は、初めて会った時には結んでいた髪をおろし、軽く巻いてカチューシャをしていた。なんとなく、前に幼く見えたのは髪型のせいだったのかもと思った。今日の彼女は、きちんと一つ上に見える。

「お久しぶりです。柚さん。」

「やだ!やめてよ!敬語なんて。」

「そう言われても、僕は裕みたいに彼氏でもないし。」

自分で言っておいて、「彼氏でもないし」という当たり前の言葉に、また心が何かに壊されそうになった気がした。

「うーん。でも、私達は友達よ?友達なら敬語は使わないでしょう?」

「はぁ。」

何を言っても変わらなさそうなま直ぐな瞳を向けられた僕は、何も言い返せなくなって、「じゃあ」と「タメ口」で話す事を受け入れた。

「誤解って?」

彼女は、「タメ口」で話した僕に嬉しそうに微笑み、それからまた、「いたずらっ子」の目になって口を開いた。

「もっと冷たい人だと思ってた。」

「よく言われるよ。」

初対面の人が僕に抱く印象としては、もう言われ慣れているはずの「冷たい」を彼女の口から聞く事は、なんだか妙に息苦しかった。でも、そう言った彼女の瞳は、言葉とは裏腹に優しく、温かかった。

「そうなの?」

全く悪意のないその目を見て、僕は気が付いた。

「あ、いや。『思ってた』とは言われないかな。『冷たそう』とはよく言われる。」

僕は、自分が相手に与える印象にさほど興味はない。だから、例え「冷たい人」と思われようと、その印象を変える努力なんてしてこなかった。努力しないんだから「その印象」が変わらないのは当然のことだ。でも、彼女の中の印象は変わったらしい。

「それじゃあ、全然違うわね。少なくとも今、私は君のこと『冷たそう』なんて思ってないもの。」

温かい瞳で僕を見る彼女は、「微笑む」と表すには豪快に、けれどそれ以外上手く表せる言葉はない顔を僕に向けた。それはあまりにも温かく、美しかった。そして、僕は自分の中から聞こえてくる音の正体に気が付いてしまった。


それは、初恋の音だった。


僕が音の正体に気が付くのと同時に彼女は、

「裕に聞いてた通りの人ね。」

と言った。その表情は、今までのどの微笑よりも優しく、どの笑顔より温かかった。そして僕は、心を壊されそうになる感覚の名前も知ってしまった。これは、嫉妬だ。そして、僕はこの二つの想いを無理やり体の奥底に押しやった。僕は分かっていたんだと思う。僕が恋に落ちたのは、「裕に恋をしている」彼女だ。

「あれ言い出したの君でしょ?」

「あれって?」

「とぼけちゃって。『大きなお友達』よ。」

「あぁ。うん。説明されてた朗読会とだいぶ違ったから。」

「『真面目で冷静な奴なのに、たまにとんでもないいたずらを思い付くやつ』。」

「え?」

「裕が君の事こう言ってたのよ。それから何度も『条件』の餌食にされてきたってね。」

僕のいないところで裕が彼女に何を話したのかは知らないけど、少なくとも僕が「条件」なんて言って裕で遊ぶのは、それに値する事をその前にされているからだ。

「僕は基本、ギブアンドテイクだからね。」

今回だってそうだ。僕は絵本の読み聞かせなんて興味なかったんだ。だから、興味のないものを少しでも楽しむための「条件」、だったはずなんだけど。

「今回は貰いすぎたかな。」

頭で言ったはずの独り言は、思ったより大きく、彼女にまで聞こえてしまった。

「え?」

「いや?なんでも、」

貰ったというより、気づかされてしまった。絵本は嫌いだ。温かい思い出の共有を強いられている気分になる。読み聞かせはもっと嫌いだ。昔から、大人が大きな声で大袈裟に読むより自分で読むほうが好きだった。でも、彼女の読み聞かせは、何かが違う気がした。それがなんなのかは分からなかったし、「僕の贔屓目」があったのかもしれない。ただ、少なくとも、僕は彼女の読み聞かせが「苦」ではなかった。華やかささえ感じた。

 この、なぜとは明確に言い切れない理由を、人は恋と呼ぶのかもしれないとふと頭に浮かんだ。


 この日を境に、僕は彼女とも仲良くなった。そして、幼馴染の「彼女」だった柚は、僕の友達になり、初恋の人になった。そのまま一年半が過ぎ、柚は大学生になった。彼女は、第一志望だった国立大学の法学部へ進学した。僕はてっきり、柚は文学部に進むと思っていたから、合格したのが法学部で、しかも第一志望だと聞いた時は驚いた。

「弁護士になりたいんだってさ。」

合格の知らせを受けた時、裕は誇らしそうに話してくれた。それを聞いて、僕も誇らしい気持ちになった。もちろん友達として。

僕は「初恋」をうまく思い出にできたと思う。

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