第6話折られた希望。
日本語から始まり、英語、中国語、韓国語と続くアナウンス。耳馴染みのいい声が天井から降ってくる。周りでは、色も大きさも違うスーツケースが引かれて規則的な音を刻んでいる。広く、大きなこの空間は、騒がしいようですごく静かだ。僕は空港が好きだ。色味のない空間で、寂しさすら覚えるのに、帰ってくる場所を感じられる。高い天井の下、どこまでも声が届きそうな広いフロアを歩きながら、僕は大事な人達を探した。
「よう。相棒。」
僕と目が合った裕は、僕と同じ深緑のTシャツを着ていた。なんでペアルックになってんだ。旅行にワクワクしている高校生みたいで恥ずかしい。もちろん、打ち合わせなんてしていない。それに裕が深緑の服を着ているのなんて、これまで見たことがない。
「今日も相性ばっちりじゃない。」
白いカーディガンのボタンを一番上までしっかり止めて、スキニーパンツを履いた柚は、ニヤニヤ顔で僕と裕を交互に見た。これは、完全に確信犯の顔だ。
「よく言うよ。柚が言ったんだろ。服が被るのは恥ずかしいから違う色を着て行こうって。」
「言ったわよ?だから着てこないであろう深緑を選んだんじゃない。」
嘘だ。僕の服のカラーバリエーションを考えれば、簡単に想像できる。逆に、想像できないのは…
「裕、お前、深緑なんて普段着ないくせに…。」
僕は睨むように裕を見て、それからはっとして柚を見た。
「まって、選んだって…裕のを君が?」
「いいえ。裕には色を言っただけで、選んだのは自分のよ。」
そう言って彼女は、カーディガンのボタンを外しだした。色っぽく感じるはずのその仕草に、僕は本来感じるのとは別の意味で動機がしていた。そして、三つ目のボタンに指がかけられた時、その動機は、止まってしまった。
「冗談だろ…」
「これで、三人お揃い!」
二人ならともかく、いやともかくでもないけど…三人揃って深緑の服。頭に、現地で渡される恐れのある「レイ」を掛けた僕らの姿がよぎった。お揃いの服に、お揃いのレイ。絵にかいたような観光客の出来上がりだ。
「勘弁してよ…」
「俺は言ったんだぞ。お前はこういうの嫌いだからやめとけって。だけどこいつが…」
「へへっ。女の子はこういうの好きなのよ。」
そんな風に笑われると、もう僕に勝ち目はない。
「はぁ…一日だけだよ…。」
「十分!」
このいたずら好きのお姫様には一生勝てる気がしない。
わざわざカーディガンを脱いだ柚に右腕を掴まれながら歩いていると、他の客の目が気になって仕方がなかった。裕は、僕が離れて歩かないように左側に引っ付いてにやついてる。
服装はともかく、僕の不安は別にもある。裕の体調だ。旅行が決まってから裕は病院に行くことがさらに増えた。はじめは、旅行のための調整もあるだろうと自分に言い聞かせていたけど、日に日に顔色の悪くなる裕を見ると、どうしても、調整のためだけだと思い込むには無理があった。多分、柚も気づいてる。不安な顔一つ見せないのは、裕から何か聞いているからなんだろうか。柚は、二人で会ったあの日以降、弱音を吐いてはくれない。結局僕は、あの日柚に弱音を「吐いてもらっていた」んだ。いつの間にか離された右腕。柚の左腕は、裕の右腕に収まっていた。
「今更離れて歩く方が恥ずかしいんだけど…」
二人には聞こえないように呟いた。僕は、少し前を歩く二人が笑い合う姿を見て、この笑顔が壊れない事だけを祈った。最近の僕は祈ってばかりだ。でも、僕は知ってるんだ。
この祈りの先には、誰もいやしないってことを。それでも、僕にできる事はこのくらいしかなかった。
イミグレーションを通れば、後は搭乗時刻を待つだけ。僕らは機内で過ごす夜に備えて旅行用の枕を膨らましていた。
「私、飛行機で寝るのって初めてだから寝れるかちょっと心配。」
「大丈夫だって。」
「でも、枕変わると寝れないタイプだし。」
「嘘つけよ。初めてうちに泊まった日、俺より先によだれ垂らして寝てたぞ?」
「ちょっと!それは、疲れてたからで…。言わなくたっていいじゃない。あ!違うよ?生々しい感じじゃなくて、ホントにくったくたで…疲れてただけで…いや、そうじゃなくて…」
柚の顔は見る見るうちに赤くなって、俯いてしまった。そんな反応をされると、何も聞いてないのにこっちが恥ずかしくなる。
「言い訳する方が生々しいよ。それに、今更気にしないよ。」
「お、出たな正論くん。そうだぞ、柚。こんだけ付き合っといて、何にもないなんてことあってたまるかよ。」
「もう!二人して意地悪言わないで。」
膨れた頬を裕が右手で潰すと、不細工な音が出て、柚の眉間が狭くなった。その表情を見て、僕らは彼女を愛おしく思った。
長い待ち時間だった。機械トラブルで離陸時間が遅れ、人気のない夜の空港で僕らはすっかり寝てしまっていた。アナウンスの声で目を覚ます。時計を見ると、予定時刻を二時間過ぎての搭乗開始になった。僕と柚は立ち上がり、眠たい目をこすりながらスーツケースを引こうとした。でも、裕は立ち上がらない。まだ寝てるみたいだ。
「裕、そろそろ起きて。」
柚が声を掛ける。
「起きない?」
「うん。おかしいな。寝起きは良いのに。」
「また生々しいこと言う。」
「なっ!もう忘れてよ!」
「冗談だよ。こら、裕。起きろよ。」
起きない。肩をゆすっても、起きない。
「ゆ…う…?」
おかしい。柚の顔がどんどん青ざめていくのが気配で分かる。僕の体温も、一気に下がっていく。
「裕!しっかりしろ!裕!」
強く揺すると、裕の体はゆっくりと倒れていった。
祈りの先に誰もいないことを、僕は初めて怖いと思った。笑顔の壊れる音がした。
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