第12話君との時間。

「どうだったんだよ。」

昼休み、週末を堪能したであろう飯田がニヤついた顔で聞いてくる。

「どうって何が。」

「またとぼけてさー。」

こいつの前で僕がいつとぼけたんだろう。

「合コンだよ。合コン。一也に聞いたぞ。お前、柚ちゃんとイイ感じだったんだって?美穂ちゃんお前狙いだったのにもったいないことするよなー本当。」

「別にそんなんじゃないよ。三年ぶりだったってだけだよ。」

「でも、お前と柚ちゃんが先に離脱したって聞いたけど?しかも腕組んで。」

飯田はニヤついた顔をさらにニヤつかせて、僕の脇腹を突っついてくる。

「やめろって。本当に、そんなんじゃないから。」

「えーでも、美穂ちゃんよりは良かったんだろ?」

「良かった」という言葉をこいつの口から聞くとなんだか卑猥に感じてしまうのは僕だけだろうか。

「好みじゃなかった?可愛かったのに。」

「可愛ければ誰でもいいってわけじゃないだろう。」

「可愛いとは思ったわけだ。」

「結城さんは思ったみたいだな。」

「一也?そんなことないって言ってたけどな。まぁ、する事はしたみたいだけど。」

あっけらかんと言う飯田に僕は空いた口が塞がらなかった。こいつらの言う「慣れてない」の基準はなんなんだろう。そんなことを思っていると、飯田がパックのカフェラテをわざとらしく音を立てて飲み切り、一メートル先のゴミ箱に投げ入れた。

「ってかお前ってどんな奴が好みなの。」

ゴミ箱へのシュートが見事に決まり、満足げな顔で聞いてくる。

「好みか…考えたことなかったな。」

「…は?そんな奴いないだろ。本当にないのか?」

「ないと言うか、分からない。」

「可愛くて、柔らかくて、スタイルが良くてとか、色々あるだろう。」

「見た目ばっかりだな。」

こいつはいい年して考え方が学生みたいだ。僕に結婚がどうかという前に、まずは自分の心配をするべきだと思う…。好みなんて考えたことない。そんなことを考える前に、僕は彼女に出会ってしまったから…。彼女以外を想った事もない。これから先も忘れられない気もする。そう思うと、急に自分の「執着心」のようなものにゾッとした。


君はこんな僕をどう思うだろう。でも多分、いや絶対に、「ありがとう。」と困った顔で笑うんだろう。僕が一番見たくない顔で。


「飯田こそどうだったんだよ。」

大して興味はなかったけど、これ以上僕の話をされて変な探りを入れられるのは勘弁だ。

「あぁ。うーん、まだ何ともな。真面目な子だから、ゆっくり行くよ。俺は今すぐにでも!って感じだけど。」

「そうか。」

今までのこいつからは想像もできないような回答に驚いた。それが声にも顔にも出ていたみたいで、飯田は「何だよ。」と軽く僕を睨んだ。こいつは、柚でも、「美穂ちゃん」でもないその子との「結婚」も意識しているんだろうか。そんなことをふと思った。そうなれば、いよいよ本当にご祝儀が多すぎる。こんなタイミングで帰ってきたもんだから、仕事仲間だけじゃなくて、高校時代や大学時代の友達の結婚式にも参加しなくてはいけない。こんなこと言ったら罰が当たりそうだけど、ご祝儀の総額を想像するだけで懐が痛くなる…。「結婚」はおめでたいことだけど、この文化だけはすぐになくして欲しい。


 夏も過ぎた九月は少し肌寒い。あの合コンの日以降、僕は柚と月に二回くらい会うようになった。

場所はいつも彼女が決めてくれていた。昔から柚は、「何が食べたい」とか「何がしたい」がはっきりしたやつで、「デートの場所選びに困らない」と裕がよく話していた。普通なら少し引っかかってもよさそうな表現だったけど、そう言う時の彼の顔はひどく優しかったから、そんなことは微塵も感じなかった。

「うん。やっぱりおいしい。」

大好物の麻婆豆腐を食べて笑う柚は、あの頃と変わらない顔で笑った。

「ずっと気になってたんだよね、ここ。」

今日は駅前の中華だ。

「良かった。会社でも評判良かったしね。」

「会社の近くにこんなおいしいとこあるなんて羨ましい。私の会社なんて、こないだのバーぐらいだもん。」

「逆にあんなオシャレな所こにはないけどね。」

「オシャレより、おいしいが大事。」

「柚はそうだよね。」

「どうせ私は、花より団子ですよ。」

「否定はしないな。」

「少しは否定しなさいよ。」

どちらからともなく笑いが込み上げた。


 合コンの二次会で僕が飲んだジンライム。後で調べてみると、意味は皮肉にも「色褪せぬ恋」だった。君との時間が増える度、僕は君を「好きだ」と思ってしまう。色褪せないどころか、鮮やかになっていくこの気持ちに僕はどうやって終止符を打てばいいんだろう。今まで僕にさんざん恋愛についての自論を披露してきた飯田も、やめ方だけは教えてくれなかった。


 彼女を駅まで送る道中、柚は必ず同じ場所で立ち止まり、僕に同じ事を聞く。

「まだ早いし、入る?」

七年間、毎日見てきたこのファミレスの敷居は、もうずいぶんと高くなってしまった。

「今日はやめとくよ。」

僕もまた、決まった言葉で返す。

「『今日も』でしょう。それっていつまで?」

「え?」

いつもなら「そう。」と伏目がちに呟く柚の瞳が、真っ直ぐに僕を見つめる。

「いつまで『今日も』なの。これから一生?」

彼女のこの瞳を見るのは久しぶりだ。この瞳の前では、どんな巧みな言葉も「ただの言い訳」に成り下がる。

「……分からない。」

そう答えるのが精一杯だった。

「もうすぐ七年よ。」

「まだ、七年だよ。」

「いつになったら『もう』になるの。」

何だか腹が立った。裕の死をすんなりと受け入れている彼女が、腹立たしかった。一度そう思うともう駄目だった。呑気に合コンに参加していた事も、僕との再会を喜んでいた事も、全てが腹立たしかった。

「僕の勝手だろ。」

自然と口調がきつくなる。

「何よそれ。」

「とにかく、まだ無理なんだ。」

「せっかく家の近くにあるのにいけないなんて不便じゃない。」

冗談交じりに「不便」言う彼女の言葉に、衝動的にカッとなった。

「たかが三年の『恋人ごっこ』とは違うんだ!」


言った言葉は取り消せない。それでも、どうしても取り消したいと、柚の表情を見て思った。

「そうね…。」

傷つけたのは僕の方なのに、まるで自分が傷つけてしまったような顔だった。

そんな彼女の顔を見るのは、傷ついた顔を見るよりもはるかに辛かった。

「ごめん。」

僕は最低だ。謝る彼女の瞳に涙が溜まるのが分かって、僕は自分の喉が絞まっていくのを感じた。それはまるで、オレンジジュースを飲んだ後みたいだった。

僕はこの世で一番支えたいと、愛したいと思う人を、一番ひどい言葉で傷つけた。


 柚と別れて家に帰ると、ひどい倦怠感に襲われてシャワーも浴びずにベッドに倒れ込んだ。

「『恋人ごっこ』か…。」

我ながら何のフォローもできないくらい最低だ。二人の事をそんな風に思った事は一度もない。他の誰が思っても、僕だけは、二人の想いを近くで感じていた僕だけは、そんなことを思うはずがなかった。なんであんなひどい言葉が出たのか、自分でもわからない。本心ではそう思ってたんだろうか。いや、それはない。どちらかと言うと、ドラマで聞いた台詞をそのまま言ったような、覚えたての言葉を意味も知ろうとせずに吐き出したような、そんな感覚だった。

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