「アクアリウム」

 父の顔はよく憶えていない。生前、東京のマンションに招待されて泊まりに行ったことがあるけれど、幼いわたしは今よりずっと人見知りだったので、まともに彼の目を見なかった。かわりにわたしの視線は、1DKを泳ぎまわる水生生物たちに注がれた。

「まるで水族館みたいだろう?」

 水槽でいっぱいの部屋を指さして、父は照れくさそうに笑った。ひときわ大きなガラスの箱には、色とりどりの熱帯魚と、エビやウミヘビ、そのほか見たことのない生き物が、しあわせそうに同居していた。

「いろんな生き物をひとつの水槽に混泳させて、トラブルが起きないようにバランスを保つのは、とてもむずかしいんだよ」

 父の口ぶりはさみしげだった。

 自慢なのに。

 結局、用意していた質問をひとつも口にできないまま夜がきて、わたしは父のベッドで眠った(父はソファで寝た)。闇の中で、わたしたちはクラゲになった。ふかいふかい海の底では、金銀財宝を抱きしめたまま沈んだ船が、ぷくぷく泡を吐いていた。

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