「目を閉じる」

 でも、私のまつ毛の森に棲むオオツノジカはどうなるんだろう? まぶたの中の海原を回遊するオキゴンドウの群れや、眼底に隠れて暮らす深海性のクラゲとか甲殻類たちは?

 リビングのソファから動かない私を見て、もう寝る時間でしょう、と母さんは言った。その指摘はもっともだと思ったけれど、環境への影響を懸念して、私は次のフェーズに進めずにいた。晩ごはんを食べてお風呂からあがった直後に、突然自分のまなこが生命のゆりかごだと気がついた。数えきれない動植物が、私の小さな視覚器官のいたるところで生態系を構築していた。這うもの、飛ぶもの、泳ぐもの。ふつうの「見る」とはちょっと違う感覚だけど、私にはそのすべてが見えた。

 パジャマに着替えて、歯磨きをした。おやすみなさい。宣言して、二階の子供部屋へともどる。ぱちぱち瞬きしてみるが、大量絶滅の兆候はない──今はまだ。

 ベッドに入ってすっぽり毛布をかぶったから、気温は上昇するだろう。寝相は良くないほうなので、地殻が変動するかもしれない。

 また明日。私はゆっくり目を閉じて闇をもたらす。時代に境界線を刻む。

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