第6話 猛毒家族

 オレの一番古い記憶は父親のやさしい笑顔だった。なんでも許してくれそうな溶けるような素敵な顔。それが猛毒だとわかるには時間がかかった。でも、狂気ってのは限りない家族愛なんだ。みんなにもきっといつかわかると思う。たいして仲良くもないのに家族を続けるなんてヤツの方が絶対おかしい。嫌だったら逃げ出せばいい、殺せばいい。なんで、不機嫌な顔をして一緒の家にいるんだ? わけがわからねえ。


 オヤジはなんでも許した。母親がトイレで出産した子供を、そのまま挽肉にして庭に埋めた時も、にこにこしながら見ていた。ついでに言うと、その子の親はオレだ。でも、オレが悪いんじゃない。だって小学三年生の時になにもわからないまま母親にセックスされたんだ。子供の作り方だって知らなかった。つまり物心ついた時ってのは、母親と最初のセックスをしている最中で、オレは父親の笑顔を見ながら母親に射精した。

 父親は毎朝起きると仕事に出かけ、夕方には帰ってきた。なんの仕事かは絶対に教えてくれなかったし、母親も言わなかった。学校で親について作文を書くように言われた時は、適当に嘘を書くしかなかった。


 父親はいつもやさしく笑っていたが、会話はなかった。

「よかったね」

「それでいいと思うよ」

 それくらいしか言葉を発しない。オレが学校であったことを話してもにこにこしているだけだ。でも母親よりはマシだ。母親はオレの話を無視するか、怒るかのどちらかだ。理由なんかない。オレが話していると、突然、「バカにするんじゃないよ」とオレに箸を投げつけて、殴りかかってくる。そうなったらオレはひたすら謝る。謝る理由なんかなんだけど、逆らうともっとひどい目に遭うんだ。オレを殴るための金属バットがちゃんとあるんだ。

 オレが畳の上で丸くなって謝っていると、母親は飽きるまで殴る蹴るを繰り返す。オレがちらっと見ると、父親はそんな時もにこにこ飯を食ってる。

「お父さん助けて」

 と何度も言ったことがある。言うたびに母親はすごくうれしそうに笑ってオレを蹴った。父親はなにもしてくれない。あとは傍観している。むき出しの家族が見たいのかもしれない。むき出しの敵意、憎しみ、怒り、絶望、そういうのが全部家族愛なんだ。ぬるい笑顔でショッピングセンターで手をつなぐヤツはただのウソつきだ。

 母親に暴力を振るわれた夜は吐き気がする。あいつは必ずオレにところにセックスしに来る。オレは身体中痛いってのに、無理矢理立たせてやるんだ。


 小学五年生の時に、セックスすると子供が生まれるってことを知った。親子でするのは狂ってるってのもわかった。頭が真っ白になった。自分の家がおかしいとは思ってた。だから家のことはできるだけ友達には言わなかった。でも、まさかそこまでひどいとは思わなかった。

 その日はどうやって家に帰ったかもわらなかった。気がつくと、母親とセックスしていた。

「お前はキチガイの親から生まれたキチガイなんだよ。死ぬまで狂ってろ」

 母親にそう言われてオレは泣いた。泣きながら射精した。


 誰かに助けてもらおうと思ったけど、誰になんと言えばいいのかわからなかった。ある時、担任のババアがオレの身体の傷について訊いてきた。おそるおそる母親に殴られたり蹴られたりしてると言うと、「いじめじゃないんだ」と安心したようにつぶやいて、「叱られるようなことしたんだろ」と言ってどこかに行ってしまった。いつか殺してやる。

 学校を出ると、そこに母親がいた。なぜ、学校にいるんだ、とオレはなぜか怖くなった。だって母親は金属バットを持っていたんだ。

「お前、なにをしゃべった?」

 母親は血走った目をしていた。笑いながらオレを殴る時の目だ。一番危険な時の目だ。オレは口を開いたけど、なにも言えなかった。なにもしゃべってないんだ。殴らないでくれ。

 そこに担任が通りかかった。

「早く帰れ……」

 そう言いかけて黙った。いや、なにも言えなくなった。母親がフルスイングで担任の頭を水平に殴っていた。ごん、という音がして担任はまっすぐ横に倒れて動かなくなった。校庭に血だまりができた。

「他人に家庭に口出しするんじゃねえ」

 母親はそう言うと、オレに金属バットを突き出した。

「お前も叩け。頭を砕くんだ。やらなきゃ、殺す」

 オレは恐ろしくて逃げたかったけど脚が動かなかった。声も出なかった。母親はオレの手にバットを握らせようと押しつけてくる。

「死にたいのか!」

 そう言われて、オレはやるしかないと思った。でも手が開かない。腕も動かない。

「じゃあ、死ね」

 母親がそう言ってバットを構えた時、オレは殺されると思った。思わず目をつぶる。挽肉にされた赤ん坊の姿が頭をよぎる。ごつん、と音がした時、気が遠くなった。でも痛みもなにもない。

 目を開けると母親が倒れていた。頭が割れて、脳みそらしい白いものがだくだく流れる血の中に見える。横ににこにこ笑っている父親がいた。父親はオレを見てもなにも言わず、すたすたと歩き出した。なにが起きているのかわからないでいると、下校途中だったらしい数人の子供を金属バットで殴り倒した。さらに地面に倒れた子供の頭を数回叩いて、ぐちゃぐちゃにした。

「新しいお母さんを連れてこよう」

 こいつが「よかったね」「それでいいと思うよ」以外の言葉をしゃべるのを聞いたのは初めてだった。恐ろしいとか、怖いとか、そういう感情はなかった。ただ、寒くて身体中が震えて止まらない。父親は片手で死体を引きずり、もう一方の手でオレの手を握って、校門の近くに止めてあった車に乗り込んだ。うちには車なんかない。父親が後部座席のドアを開くと、そこには知らない男の人の死体があった。そこに母親を押し込む。オレは助手席に座らされ、そのまま車は発車した。

 それからのことはよく覚えていない。父親は知らないマンションへ行って、女の人の部屋に入ると殴り倒して、その女の人と、その人の娘に注射を打った。

「新しいお母さんと妹だ」

 父親はすごく楽しそうにそう言うと、知らない女の人を犯した。犯しながら娘を犯せとオレに命令した。そんなことできない、とオレは思ったけど、ちんちんはすごく硬くなっていて、やらないとお前も新しいのと交換すると言われてセックスした。五時間くらいセックスして、シャワーを浴びてから四人で電車に乗って家に帰った。


 妹は小学五年生だった。オレはその時、六年生だったから一年年下だ。年上でなくてよかったと意味のないことを考えた。父親がふたりに毎日注射を打っていると、そのうちなんでも言うことをきくようになった。妹は学校に通うようになり、新しい母親は仕事を再開した。

 それからは以前の暮らしとほとんど同じだった。父親は「よかったね」「それでいいと思うよ」しか言わず、母親はオレを無視するか、暴力振るうかのどちらかだった。そしてオレを殴った日はセックスした。オレは妹ともセックスしなければならなかった。やりたくなかったが、断ると父親がにらんだ。笑いながらにらまれると、怖くて逆らえない。


 変わったこともあった。父親が、犬を飼うと言い出して鉄の檻を家に持ち込んでリビングの隅に置いた。犬をどこかで飼ってくるのかと思ったら、オレをそこに入れた。それからオレはそこから出してもらえなくなり、檻の外から母親に棒で突かれたり、水をかけられたりした。当然、学校にも行けない。意味がわからない。狭い場所に閉じ込められて、おもちゃにされているとだんだん頭がおかしくなってくる。自分が人間だっていう感覚がなくなるんだ。オレは泣きながらワンワン吠えるようになった。それを見て妹は手を叩いて笑った。あいつが笑ったのを見たのは、それが最初で最後だった。

 そのうち飽きたのか、父親はある日の夜、家族団らんの夕食が終わってから檻を開けた。檻から出されたオレはすぐに妹を殺した。

「オレのことを笑っただろ。お前みたいなうんこにバカにされるか」

 自分でもなにを言っているのかわからなかった。とにかく怒りがこみ上げて、止まらなかった。父親はいつものように、「いいと思うよ」と笑い、母親は甲高い声で笑いながら自慰を始めた。


 妹の死体は家族三人で挽肉にして庭に埋めた。

 母親はそこに薔薇の苗木を買ってきて植えた。やがて半年経って薔薇の花が咲くと、父親は、「飽きたな」とひとこと漏らし、母親にガソリンをかけて火をつけ、それから家に火をつけた。

「引っ越ししよう」

 いつもの笑顔でオレにそう言うと、父親は知らない車に乗り込んで手招きした。オレが茫然としたまま、乗り込むと当たり前ように後部座席には死体があった。

「新しいお母さんも必要だな。妹はいらない」

 父親はぼそっとつぶやき、車を出した。オレは無言でうなずいた。でも引っ越す前に小学校の担任のババアを殺しておきたかった。果たせなかった恨みが積み上げられていく。いつか果たして、オレも父親のような家庭を作る。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無貌譚 一田和樹 @K_Ichida

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ