第4話 再会―会える人、二度とお目見えできない人

 窓辺からギラギラと朝日が差し込んできた。

布団の上でうだるような暑さを感じ、熱を払いのけるように寝返りを打った。

(今日は休日なのに…。)

少し恨めしいような気持ちで瞼を半分開くと、日の光はカーテンの隙間をぬって入り込み輝いてわたしを包み込んだ。朝の神聖な光のベールに、夏の始まりの好奇心がふっと沸いた。

朝起きて、洗濯を済ました。

朝食を食べ終わると、

(サボテンは元気にしてたかしら。)と思い、日向ぼっこをさせるために外へと出した。

リビングに戻り、扇風機の風を浴びながらうだうだとスマホをいじったり、音楽を聴いたりしてお昼までだらだらと過ごした。

そして再び今度は昼ご飯を済ませるとまた外を出てサボテンの様子を眺めに行った。


 (…!)

外に出ると驚愕した。サボテンの土がどこかへ無くなり根が丸見えである。

サボテンはぐらぐらしながらなんとか立っている。

そして周囲を見渡すとサボテンの土がこぼれた痕があった。

少し離れた所に父が居た。父は車の洗車をしていた。

わたしは父を見つけるなり聞いた。

 「お父さん、サボテン倒したの?!」

 父は無言である。

わたしは家に戻り母に問い詰めた。

 「お父さんが庭の花に水をあげた時、

  一緒にサボテンに水をあげたら土が溢れちゃったみたい。」

 と、母は少し意味がわからないことを言った。サボテンは湿ってなかった。明らかに倒されたあとだと思われる

 「土は拾って入れたんだって。」

 と母は続ける。

 「嘘だ、土が全然なくて根が丸見えだったよ!」

 これ以上母と話していても拉致は明かない。かと言って父と話し込むのは怖い。


 わたしは再び庭へ出ると、父に、

 「サボテン代、2000円返して。」

 と詰め寄り、

父は終始無言で家に戻ってお札を二枚リビングのテーブルの上に置いて、また外へ去って行った。


 心が捩れるような痛みを感じた。わたしが自分と新しい何か―新しくアーティストを愛そうと思いその心を一緒に育もうとアーティストのCDと一緒に買ったサボテンである。何かを愛さなければ生きる希望が持てない。だけれど、何かを好きになるのは苦しい。そんな自分の弱さを育んでいこうと買ったサボテンは、終始無言の親の雑な手の中で崩されてしまった。

賠償金、それ以上に、「ごめんなさい。」の弁明と言い訳が欲しかった。

親の愛情を信じられなくなる夏の日の始まり―夏至の日だった。


 サボテンにサボテン用の土を混ぜて作り鉢植えに土を乗せ直し水を注いだ。

そして玄関に丁寧に置いた。

(どうか、枯れませんように…。)そう願ったらまた胸の奥で痛みが発した。ふらふらとリビングへ向かうと、仏壇の横で、写真の中の兄がいつもの笑顔を見せていた。

わたしは目をきゅっと瞑るとまた開いて、外へ出た。

財布とスマホとハンカチ…それだけ持って自転車に乗り兄の元へ…お墓へ向かった。


 太陽は頭上高く上り、ギラギラとわたしを照りつけた。夢中で自転車をこぐ足に汗が絡まり足をとった。

お寺の墓場へ着き自転車を隅の方へ置いた。

するとキラッと煌く太陽の光に、もわっと重だるくも柔らかい風が横切った。


 「えっ?」

 ふと何の前触れもなく声だけが出た。

兄の墓石の背側から見たのだが、横からグレーの帽子が覗いている…

(?)

親戚には見えなかった。

恐る恐る近づくと線香の煙が立ち上っていた。

近づくとグレーのキャップがくっきりと見えキャップのツバはゆっくりと上に向き目を覗かせた。

…それは、いつか眺めたことのある男性のお顔だった…。

シンプルにネイビーのTシャツを着てカーキ色の9分丈パンツを履いていた。

相手側も少し目を開いて瞬きをし、そしてゆっくりと言った。

 「久しぶり。元気にしてましたか?」

 どこか距離のある丁寧な言葉遣いだった。

彼は誰かというと、そう、東京で一週間共に過ごしたブティックに勤める元彼だった。


 墓石の脇に、まだ包まれたままの花束が置かれていた。花束の中央には大きな白い百合が占め、その白がその場を浮き立たせるようにに咲いていた。白百合の周りを黄色い菊が静かに彩っていた。

わたしは花束を手にすると包んであるフィルムを外そうとした。

 「何か言わないの?」

 彼は少し怪訝な顔でわたしのおかしさをたしなめた。

 「ごめんな…さい、声が出なくって。ありがとうございます。

  お花を今生けますね。」

 わたしは顔を持ち上げて彼を眺めた。どうして、ここにいるの?なんて聞く気力さえなく、離れ離れの時間、彼は何をしていたのかも聞くのも怖かった。

 「相変わらず、口数が少ないというか、話すのが苦手なのね。

  月菜さんが、ここのお寺にお兄様のお墓があるって言ってたの覚えていて

  今日やっと来たんんだ。

  元気にしてた?」

 彼は自分ですらすらと説明し話し始めた。

わたしはこの時間を失わないように息を深く呑んでから答えた。

 「わたしは元気です。わざわざ遠くからお越しくださり、ありがとうございます。

  以前は連絡がとれなくなりすみませんでした。」

 「ははっ。こちらこそごめんね。」

 彼は少し笑った。

 唇を押さえた手から何かがきらりと光った。

(指…輪…?)

 彼はわたしの視線に気づいたようで笑顔から真面目な目つきに変わった。

 「今年の秋、結婚することになった。」

 わたしはその言葉に開いた口を塞げずに目も見開いてしまった。彼は続けた。

 「本当は初夏に結婚しようと思ったんだけど、

  コロナウィルスの影響で延期になった。

  緊急事態宣言が発令されている時は営業ができなかったとはいえ色々と

  キャンセルや対応に追われて慌ただしくて余裕がなかった。

  でもそれでも、君のことが思い出されて、あんな風に疎遠になってしまったし、

  君も不器用だから色々苦労しているんじゃないかなと思ったんだ。

  お兄様のお墓の場所は分かったから、せめてお兄様にでも挨拶をして

  君の今後の幸せを願おうと思ってね。」


 「ありがとう…。」

 わたしは胸いっぱいの思いを声に絞って言った。そうしてまた息を吸い込んで言った。

 「ご結婚おめでとうございます。とても素敵な方と結婚されるのでしょうね。

  お幸せになってくださいね!」

 「ありがとう。」

 彼は嬉しそうにお礼の言葉を言った。


 わたしは花瓶と花束を水道に運びお花を生け始めた。

彼は隣に寄り添いまた話しかけてきた。

 「瞼が少し重そうだね。

  …泣いてたの?」


 (!)

(なんで気づいたんだろう。否、顔に思いっきりでてたんだろうか…)

わたしは慌てて手で瞼を触り優しくこすって笑顔をつくり直して答えようとした。


 『別に?』

 彼の声とわたしの声が重なった。

わたしはまた目をぱちくりした。

 「はは…そういうと思ったよ。隠さなくていいよ。

  もう最後かもしれないし、辛いなら辛いって言っていいよ。

  傍にはいてあげられないけどね、今しか…。」

 わたしは思わず彼の肩にもたれかかりたくなった。それをまた深呼吸して胸をピンと張り直して呟くように言った。

 「親とちょっと喧嘩しちゃって。」

 そう言って生けた花をお墓に持って行って飾った。

彼はじっとわたしの目を覗き込んできた。

その目に見つめられわたしは話さずにはいられなかった。

 「わたしの大事なサボテンを壊されてしまったの…。」

 彼は少し黙り、そして

 「そう、辛かったね。」

 と言った。

わたしは胸の奥がぎゅっと苦しくなるのを抑えきれなくなりまた吐き出した。

 「お父さんは、いつもそうなの、何かあっても謝らない話さない無言…

  やっと答えてくれてもぶっきらぼうに一言『そうだ』としか言わない。

  お兄ちゃんが統合失調症になって親と喧嘩した時の事だって、ひっく…」

 わたしは目から涙が込み上げてきた。

 「大丈夫?」

 彼はわたしの背をさすった。

 「お兄ちゃんの事殴ったの?って聞いたら『殴ったよ』としか言わないの。

  そんな酷いことがあって弁明もしてくれない。

  一体お父さんの何を許して何を愛せばいいの?ひっくっひっく…。」

 彼はわたしの背をさすり続け、そして頭を優しく撫でた。

 「そうか。親もコミュニケーション不足か。辛いね。

  なんとも言えないけどね、今泣きたいだけ泣いてしまっていいよ。」

 わたしは墓石の前にへたり込み、そして顔を覆って泣いた。

彼はしばらくわたしの背と頭を撫でていてくれた。


 少し時間が経ってわたしは泣き止んだ。

彼はわたしを見つめ、そして空を仰ぎ言った。

 「晴天だね。正にもう夏だね。」

 「夏至ですもの。」

 わたしも答えた。

彼はにこりと笑って言った。

 「ねえ、ここの町、有名な神社があるんだよね?

  せっかく遠くからきてもう来るチャンスも無いかもしれないから行きたい。」

 わたしは突然のお願いに少し驚いた。

 「いいですよ!案内します。」

 少し面喰いながらも答えた。

彼と付き合ってた時、彼は始終仕事で、わたしは大学。彼のアパートを往復するくらいで、土日も彼は仕事でどこも出かけられず夜だけ二人で過ごしていた。たった一週間だったとはいえ、あんなに一緒にいたのにどこもデートらしいデートが出来なかったのは、運が無かったのかなぁなんて思った。それでも満たされた時間だった。


 「ここから駅が近いから歩いて駅まで行きましょう。

  駅から電車で3駅ほどで神社の最寄り駅に着きますよ。」

 そう言い、二人は並んで駅まで向かい、神社へと行った。


 ここの神社は“縁結び”の神社であることを、彼は知っているのだろうか?

そしてそれなりにカップルのデートスポットとして賑わっていることも…。

初めて男の人と並んで歩く神社の鳥居はいつもより大きく境内は広く感じた。


 鳥居をくぐった先に橋が掛けられ、池には色とりどりの鯉がいた。わたしの恋心をくすぐるように鯉は池の中を滑らかに泳いでいた。

手水舎で彼と二人で清らかな水で両手と唇を洗った。

そして大きな楼門の前へ来た。目の前に大きな社殿が見える。


 いつか来た日に、白無垢姿の女性と和装の男性が神社の御神木の前で写真撮影をしているのを見かけた。その時の白無垢から除く白い肌とお顔を…彼の横でも同じように花嫁様がするのだ…。切ないような感慨深い思いが胸を締め付けた。


 「月菜さん。」

 気が付くと彼は楼門をくぐりわたしに手を差し出していた。

わたしは少しびくりと震え躊躇ったが、折角なので彼の手にわたしの手のひらを乗せた。そして彼の手に寄りかかりながら楼門をくぐった。


 「結婚式はどちらで?」

 唐突にわたしに聞かれて彼は少しドキッとしたが、

 「東京のホテルでするよ。会社の人や友人親戚を招いて壮大にね。」

 と明るく答えた。

 「わたしもいつかこんな自然が綺麗なところで結婚式を挙げたい。」

 わたしはひるむことなく甘えて言った。

 彼は少し肩をすくめて…

 「月菜さんならきっといい人が現れるよ。」

 と優しく囁いた。

 参拝してお賽銭をした。手を合わせる彼のお顔は清らかで、結婚を控えた幸福に満ちた横顔だった。

わたしはなんて願っていいか分からず、とりあえずお互いの出会いに感謝と今後の幸福をお祈りした。


 来た道を戻る途中、わたしは思いの丈を彼に聴いてもらった。 

 「本当はわたし、不登校した時も、

  数年前も統合失調症を発病して、暴れて親に嫌な思いをさせたの。

  だからお互いぎくしゃくする理由はあるんだ。

  従って親が悪いとも言い切れない、

  でも、自分が駄目で悪いとも言い切るのは酷すぎる。」

 言ってわたしは彼の目をすがるように見つめてまた続けた。

 「生まれてきた、それだけで辛いこともあるよね?」

 彼はその言葉を聴き目をしばたたかせて頷いた。

 

 「生まれながらにして

  自分の能力や運命を選べずに不器用で苦労することもあるよね?

  自分や親だけを悪く思っても仕方ないよね。」

 彼は絶えず優しくうなずいてくれた。

 「以前も頑張ってたじゃん。怠けてたようには見えなかったよ。

  きっと努力は報われるよ。今も就職はうまくいってるのでしょう?」

 彼の励ましにわたしは自分を受け止めてもらえたという喜びを感じ気持ちが少し明るくなった。 

「うん、やっと軌道に乗ってきたところ。

  それまでは統合失調症を発病していて大変だったけどね。。」

 彼はわたしを包み込むように笑った。

 「きっといい方向へ進むよ。」


 駅に着くと、彼は特急電車に乗るので鈍行電車に乗るわたしとは別れ、別のホームへ向かった。

別れ際彼は

 「再会できて嬉しかった。今までありがとう。」

 と謝辞を伝えてくれた。

わたしも彼に深々と頭を下げお礼の言葉を述べた。

わたしは去って行く彼を小さく見えなくなるまで見送った。

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