第11話 夏の終わり
今年の夏の始まりは、米津玄師さんの新曲の発表から始まった。
今年の始まりに米津玄師さんに夢中になって今年の夏は米津玄師さんを思いながら迎えれれることに期待して、そしてそれが叶った。
8月には最新アルバムのリリースと共に一か月限定のラジオが始まった。
ラジオを聴く。
統合失調症のせいで集中力もなく鬱もあって物事に熱を持てないわたしだから、ラジ
オ、楽しめるかな、なんてちょっとびくびくしてた。
米津玄師さんの声は、わたしより年下なのに大人っぽくて、自分の人生に対する誇りや志を持つ強さを感じた。
不登校に、大人の裏切りに、家族との気まずさ、人間関係の亀裂…汚れ切って全てを失ったかのようなわたしへの優しいレクイエム…のように声が流れわたしの身体の中へ浸透していった。
しんでもいいかな?ゆっくりとねむりにつきたい、そんな怖気ついて子供じみた弱音を吐きたくはない。せっかくラジオの機器を通してお近づきになれた、巡り合わせなのだから。
ただ、とにかく話してる内容を頭で解読して少しでも米津玄師さんを理解したいし知りたいとラジオに齧りついた。ラジオの放送の時間は夕飯の時間で、わたしは夕飯の時間は変えずにご飯を食べながら聴いてた。
普遍的ないつもの習慣を変えるのは恐ろしくて食事の時間を保ちながらラジオを聴いた。
夜眠りにつくときも、朝目覚める時も、夢の中でも、ずっと米津玄師さんの声が離れない。統合失調症になって人間と距離を置くようになったわたしは久々に近づいた人の声が、頭の中、全身にいっぱいになった。
耳の中で溢れるようにこだまする声を愛しく、そして新しい世界への変化だと幸せに感じた。
夏の終わりは、あっという間だった。
米津玄師さんはラジオで終わりを告げた。
「…いいよ あなたとなら いいよ
誰も二人のことを見つけられないとしても…」
最後に流された楽曲『カナリヤ』は、また繋がるだろう米津さんとの絆を想像させてくれ、わたしたちを温かく包んでくれた。
―――――――—――――—
終わった後に、思うはずった。
なぜこんなに才能が有り魅力的な人と自分には距離がありこんなに違うんだろうというネガティブな嘆きや、それでも追い続けたいという恋慕…もうお近づきの機会はないのかな、いつまた近づけるのかな?という寂しさや期待…
さながら、想定してた感情をもつ、時間を 、失った。
え?
米津玄師さんのラジオ月間が終わるちょうど同じ時期に、
わたしは、
米津玄師さんへの思慕とはまた違う、
自分自身という現実の世界で
荒波に呑まれていったのである。
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