第10話 会社と出会って1年という時間の経過

仕事を始めてから統合失調症の陽性症状が出ている時があった。

会社の方が、わたしの病気を気遣い勤務時間延長に慎重であったことに、有難くも健常者とは違う自分にショックを受け、実際に思うように頭も働かなく障害者である現実を感じそれを受け止めきれなかった。また、病気で過去に多くの友達仲違いをしたり人間関係を築けなかったりして孤独で、そのことに後悔と自分に失望を感じた。

そういう時に調子は不安定になった。


 わたしの統合失調症の症状とは、落ち込んでそれを消すように失敗した人生を拭えるような自分の都合のいい妄想をする状態だった。ひどい時は、自分に冷たい人に被害妄想を抱き抗議をしてしまうこともあった。


 陽性症状は気分を高揚させる事もしばしばあった。

そのテンションの高さから席の近い男性社員に好意を持ち、勝手に自分の創造した物語の登場人物にしたてて恋慕した。

わたしや世界を救うヒーローの姿に身を固めた男性社員さん…。

小説の中では口づけまで交わしていた。


 冷静な普通の状態に戻ると、ハッと自分の妄想の突飛さに震え、が起きないようにと、妄想した人との間に見えない壁を作り距離をとった。


 

 最近は落ち着いている。平常な心でいて社員さんを物語の登場人物と間違えることはない。

サプリメントが効いているのか、この間のネット恋愛での失恋が効いたのか、仕事が慣れてきて自信がついたのか分からない。


ただ、社員さんを眺めてももう、心浮き立つことはない。

妻子ある人だと知ったし、自分がした妄想が恥ずかしすぎた。

まるで席の間と間の仕切りの間に深い闇色の海があるように、心に隔たりができ、ただ仕事のために付近にいるだけだった。


統合失調症という持病を持っていて障害者雇用ということは、ここまでネガティブに人との間に境界線をつくるものだったし、

事実、仕事の用がなければ本当に会話することもなく疎遠だった。


 今日、仕事を直接指示してくれる上司と少し、談笑した。

何気ない会話だった。

席に座り直しふと遠くへ目にやると向こうの席の社員さんをと目がほんのりあった。

ほんのり、というのは私がすぐに目をらしたからだ。

なんて、澄んで綺麗な瞳なんだろう。

でもそんな感想も消していた。

だってわたしの異常っぷりというのは、その遠くの社員さんも、統合失調症の陽性症状が出ているときに夢に見た理想の男性像だと気持ちが舞い上がり、その人のことも小説にまでしていたのだから。


 もう一度、遠くの席の社員さんを遠巻きに見た。

その人も既婚者だ。

べつにそんな、したいだとかそんな裏心はない、けど…。

わたしは本人を見て本人をきちんと眺めていられなかった。

いつも空想の物語の登場人物に描き直したり、ゲームの登場人物と重ね合わせたりして本当の社員さんの姿を見られなかった。


統合失調症という現実はここまで、

現実を受け止められない自分をつくるのかなぁ?


でも、近くの席の社員さんは本当にたくましくて男性的な魅力があるし、遠くの席の社員さんは本当に綺麗な瞳だった。


―年月は私にも信頼関係を築かせてくれるのかな?


すーっと息を呑み込む。現実を受け入れる、もしくは、暗い現実を打ち消すように。

妄想の世界では同じように優しい瞳の男性も、たくましい男性もわたしに親し気な眼差しを向けてくれる。一緒に笑いあえる、なんて、なんてね。

とりあえず、わたしは、“空想”と“創作”に夢中なんだ。



――――――――—――――――――――—


 「はい、これどうぞ。」

 ある日の出勤した朝、隣席の社員さんー河原さんが、小さなお菓子の詰め合わせの袋をわたしの前に見せた。

 「え?」

 わたしは戸惑いしばらくお菓子と社員さんの顔を恐る恐る眺めていた。

 「どうぞ。」

 河原さんは更にお菓子をわたしの方に近づけた。

 「この間は、仕事してくれてありがとう。」


 「あっ。」

 少し間が開いてからわたしは声を出した。

そういえばこの間、河原さん、体調が悪くて一日だけ休んでたっけ。

直属の上司さんから依頼されたいつもと違う書類の打ち込みの仕事、隣席の…社員さんー河原さんの仕事だったのね。

 「甘いの嫌い?」

 「えっ?いえそんな…。」


 「要らないかな?」


 「好きです!」

 折角の気遣いを気分が悪いものしたらまずいと声が少し大きくなってしまい、わたしは余計焦りを感じた。顔が熱くなった。

 

 「良かった。もらってね。また何かあったら頼むよ。」


 わたしは震える手でしっかりとお菓子の袋を掴んだ。

そして大事に大事に鞄にしまった。



 帰宅後、鞄から静かにお菓子を取り出した。

そうして斜めにリビングに座する仏壇を眺め、

そして真正面に向き直って仏壇と見つめ合い、お菓子をそっと置いた。



 (わたしの居場所は、だけだったのかな?)

遺影をちらりと眺めたわたしは思う。

社会は、人生を失敗し障害者になったわたしを受け入れる土壌が、

無かったわけではなかった。

わたしは、今、日本という国のこの地域のこの会社に一人の人間として生きていた。

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