第9話 黄昏れどきと蘇り―悪魔との恋の終わり

 『遠くで星達 息をひそめて見守ってる

  二人の体 かすかに揺れて思いだしたよ…』 globe『Wanderin' Destiny』

 

 それは15年程前のわたし。

暗い黄色のライトだけが仄かに照らす薄明りのカラオケルーム。

一緒に来ていた友達は、歌い疲れて暗色のソファに寝ころんでいた。

わたしは

 「もっと歌っていいよ。」

 と言う友達の好意に甘えて、一人独壇場でリモコンから手を放さず曲を何曲か入れて歌い続けた。


『しあわせになりたくて

 子供のころの夢

 気づいてくれなかった

 あなた以外 誰も

 二人で歩いて

 どこまでも歩いて

 友達なんかいらない

 あなた以外 誰も』 globe 『Wanderin' Destiny』


 ミステリアスで切ないメロディと歌詞…

歌詞の意味をわかって歌ってたんだろうか…。

傍らにいた友達が何を思っていたのか…

そんな大事なことも考えられていたのだろうか。

カラオケ、そんな場所で当時のわたしの理性はふっとんでいた。

心のままにただ歌い続けてた。

拍手してわたしの歌を聴いてくれた友達はもういない。


 フリースクールで起きた経験や、人とは違う不遇な人生は、こんな風にわたしに寄り添ってくれた友達とも遠ざけた。

わたしは誰も愛せなくなって塞ぎ込んだ、そんな時間が必要になった。


“何もかも失くしてもいい”

“ただ、あなたの愛を真実だと信じて慕っていたい”

感情ばかりが先行して実質もない幼き心。

だけども紛れもなく当時所属していたフリースクールのかんざし先生(他の先生も)を信用し、愛情を捧げようと曲りなりに真剣だった。


 わたしは、“悪魔を愛した”。

かんざし先生の不登校生を救うという信条に偽りはなかったのかもしれない。だけど、かんざし先生の持つ煩悩や性格は、どこか間違いを犯し誰かを元居た境遇以上に更に苦しめた。

若いまだ年端もいっていない片親家庭の未成年女子を狙って不純異性交遊をしていたらしかった。当該者とはいいきれないわたしは、雰囲気で怪しげであったが事実をはっきり聞いたのはフリースクールを辞める1ヶ月前である。

今までずっと信じていたのである。

わたしが未成年の頃一度だけ朝方キスされたことを、愛情があったんだと。

でも、信じたところで、簪先生は所詮ただの一介の個人に過ぎなく、自分の煩悩は煩悩、建前は建前、体裁は大事、という冷たい線引きの中で、“ささいなこと”で傷ついたわたしの心は弾けて消えた。


 結局、フリースクールの先生が自分のことを理解して支えてくれるというのは幻想だった。“友達なんかいらない、あなた以外誰も”なんてそう簡単に縋っていい言葉じゃなかった。


 

――――—―――—

  すべてが去り終わって、現在、

国や社会に頼ることで人生を手に入れ始めた。

障害者福祉サービスや障害者雇用…“こんなシステムがあったんだね”、わたしは知らなかった。一朝一夕に出来たとは思えない。わたしが利用できる今の時代が来るまでに、多くの障害を負った人たちが苦労し、それを傍で一緒に悩みその人の人権を保護し生活していけるように苦慮してくれた人がたくさんいたんだと思った。


それを嬉しいと感謝しても、無駄に重ねてきた年齢を変えることはできないし、失ったものを取り戻すのは難しい。

同級生との関係やアルバイト先で問題を起こしてきた体裁は変えられないし、孤独は孤独のまま。

暗い気持ちは地底深くを探るように存在し、ただ毎日をこなすこと、それぐらいしか自分を幸せにする方法は思いつかなかった。


 勤務時間中、仕事がなく暇な時間があった。

何もすることもないので、与えていただいた仕事用パソコンから従業員用のホームページにアクセスした。会社のトピックスや関連ニュースの記事などが掲載されていた。わたしは事務補助と雑用の仕事をしているのであるが、元々製造業の会社で、わたしにはわからない難しい業界用語が飛び交っていた。

ちょっとずつ言葉を調べながら解らない難しい文章を流し読みしてた。暇な時間はずっとそうして過ごしていた。

これで時給が支払われるのであるから、有難いのであるが、暇な時間はちょっと辛い。自分という存在の無意味さを少なからず気にしてしまうし、読んでいる会社の記事は難しくて頭に入らなかった。


 そんな風に文章づめにされていたせいだろうか、

それだけでなく、米津玄師さんが読書家だと知ったので、その音楽や歌詞の世界をもっ分かち合いたくて、活字が苦手だけれど小説を読みだしたり、いつもよけいていた新聞を手に取って読み始めた。

新聞は思ったより楽しく読める。

あれだけ勤務時間中、会社の記事の文章が攻め込んできていたから文章を目にすること、頭に入れることに慣れてきたんだろうか。

分からないけど、仕事場で、もてあます時間も無駄ではなかったと思った。感無量、胸の内が少し暖かくなり、軽くなった。


 ある日、テープをサイズ通りに切って欲しいと雑用を頼まれた。

 「ゆっくりでいいよ。」

 と上司はいつものように優しく言ってくれた。

お言葉に甘えてもそれでも早いにこしたことはないと思い作業に取り掛かった。

不器用でハサミと定規を使うのが苦手なわたしだったが、綺麗にできるように丁寧に、そして出来るだけ迅速に取り組んだ。シャープペンで印した線は、消しゴムで消して直されたあとがほんのりと残り、ハサミは方向をほんの少し曲がりそうになっていたが、できた。

ふーっと安どの息が漏れて、(わたしは、幼い頃よりずいぶん器用になったもんだ。)と嬉しくなった。

 次の日、わたしの席の机の上に二つテープ巻が置かれていた。

 「この二つも昨日と同じ様に作ってね。」

わたしはなんだかもう心の奥底で笑ってしまった。

幼少の頃不器用で人と同じ様に折り紙も折れない、裁縫もできない、そんなわたしが、ちょっとした手作業をこんなに頼まれるのだ。

更に翌日も、テープ巻きが机の上に置かれていた。

わたしは確かにここ―職場に存在している。笑いが止まらなかった。

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