第13話 泡のような日々

 ペプシのゼロカロリーコーラをコップに注いだ。

シュワーと泡が立ち上り、口当たりはさっぱりとして後味は甘い。

冬のせいもあって一杯飲むと身体が冷えたので慌ててエアコンをつけた。


 コーラは亡き兄が愛飲したものだった。といっても当時はゼロカロリーはほぼ出回ってなく普通のコーラだったが。

ビールは苦い、人生のように なんてキャッチコピーが一昔前にあったが、わたしにとってコーラもそんな感じ。コーラよりミルクティが好きなわたし。運ばれる口は、わたしでなくて兄だったはずのコーラ。

いるかな?なんて探そうとはしなかった。兄の幻覚はわたしを幾分も苦しめた。それは、わたしの想像で繕った本物ではない兄で、二つ年上だったはずの兄はわたしより若いままであった。

そして最近、わたしの統合失調症の病状はいい。仕事も一年以上経ち、落ち着いたのかもしれない。いつも就職に悩んでいたからその悩みもほぼ消えて安心したからかもしれないし、職場環境もいいからかもしれない。


 先日、母親がLINEで送られてきた動画をわたしに見せた。

送信者は父で、数秒程度の仕事場の映像だった。

数年前、父に仕事のことを聞いてにらひどくみつけられ、父親の職場のホームページでお客様の問い合わせメールでそのことを訴えた。入力フォームには名前と職業欄があったので偽らず入力した。ので、娘からのメールだというのは知られている。

そんなことを気にしていたようで今更…だが、動画をさり気なくわたしに見させた。


 わたしが怒っているのは、お尻に服ごしにペニスをあてたことだった。その時のその瞬間だけでそれ以上はなかったが、父親の性欲がわたしを襲った瞬間でありわたしは頭がおかしくなるほどショックだった。

母は最初は勘違いだと言って聞いてくれなかったし父親からは謝罪はない。わたしも父にはそのことを聞けずそれから父を無視し始めた。父親の歯磨きや入浴で出る生活臭や体臭はもうわたしは受つけられないほど気持ち悪く、父親が物を片付け忘れるだとか食器の洗い物が流しに置いてあるだとか、そんなの些細な欠点も吐き気がした。


その後も夕飯を家族で食べに行った時に、父は酔った調子でわたしの肩をたたく。普通の親子のコミュニケーションのようだが、尻にペニスがふれた事件があったからもう受け入れられない。謝罪が無いままでまた行われた過失。わたしはその場で

「お父さんに肩さわられた。肩さわられた。」

と喚いた。

父は昔の事に対して反省もなく傷ついたように言った

「これくらい普通だろ。」


 夕飯の勘定は父持ちだった。


わたしは何度となく母に抗議した。お父さんのペニスがお尻に触れたことを。

母は少し取り乱しそれでも引かないわたしに母はやっと言いはなった。

「でも一度だけだったんでしょ?その後はないんでしょ?」


 …一度でも嫌である。


 母親も最低だと言葉なく絶望するわたしに母は言い直した。

「思春期で神経質な時のあなたの心に寄り添えなかったね、ごめんね。」


思春期とか関係ない。気持ち悪いものは気持ち悪い。父―それは母が愛した情人である以上にないのである。お金だって稼いでくれるのだから。


 父はずっと普段は実家に居なかった。10数年前に会社が経営統合し、本社が移りそれから父の単身赴任が始まった。

そんな父も定年になり、雇用形態も変わった。仕事も前より忙しくなくなり、やっと実家に帰って来た。仕事は正規社員ではなくなったが、継続して雇われ今度は自宅から新幹線通勤になった。娘との確執で父も多少実家での暮らしが不安だったのかもしれない。わたしが統合失調症の陽性状態がひどい時は父が帰省していた時、父が側に近づいてくるのも嫌がって

「あっちに行って。」

と喚いていた。

ある時は、父の咀嚼音が

「気持ち悪い。」

と言い(今でもまるでレイプされるような気持ち悪さがある)

日課の兄へのお経の声もストレスで父の声なんて聞きたくないと言った。


 仕事も家族も含めた人間関係すべてもうまくいかなくて、やっと腹をくくって統合失調症の服薬治療をする決意をしたら、急にイライラも減った。

どんなに父が嫌いでも、生活費も賄ってくれ、家もあり、不自由ないことを有り難いと思わなかったら終わりだと思った。わたしはただ、性的なことを父にされなければ、父を大事にしただろう。それにそれまでは父を尊敬し慕い身体を気遣ってきたと思っている。だから余計にショックは大きい。

わたしは父が家に戻ってくることにも文句を言わなかった。言えるわけはないだろうという道理を冷静に考えられた。もし、わたしかもっと月収稼いでいたら言いたいことや自分の真理を貫いて家を出れただろう。


もし~だったら、なんて後を尽きないほど思うが…

目の前に浮かぶのは、デパートに置かれていたパンフレット…。

発展途上国の外人や難民への支援を呼び掛けたもの。学校教育も受けられず、10代で身を売らなければならず、児童労働を課されるかわいそうな子供たちの存在。月々2000円から、支援しませんか?と書かれていた。

しばらくパンフレットを眺めて悩んだが、統合失調症がひどかった時に見たので、自分より不幸な人がいるなんて嘘に違いない、と現実を理解できなかった。真実と思えば胸が張り裂けそうなのに、わたしは収入も少ない、自分を世話するのでいっぱいいっぱいだった。

統合失調症の病状が落ち着いた今は、そんな厳しい世界があるんだと理解し始めた。それに比べてわたしは住む家にも困らず衣食も足りていた。親は子供の頃は旅行に連れていってくれ、観光を楽しみ美味しいご馳走もあった。そうした事実を、父がわたしにしでかした一つの過ちによって無かったことにもできないし、自分は幸福なのかもしれない。だから、父が自宅に戻ってきたことを静かに受け止め、咀嚼音や父の生活臭や生活音をぎゅっと堪えた。


それで喜んだのか何なのかわからない。

父は週末の仕事帰りにファミレスでステーキをテイクアウトしてきた。わたしの分だけ買ってきた。

先日、母に

 「ステーキが食べたい。」

 と戯れに言っていたのを聞いていたらしい。

そして父は酔っぱらっていた。

わたしは弁当を一瞥いちべつしたが何も言わなかった。父と馴れ合うのはもうごめんだった。酔った父はぶつぶつと何か言っていた。

わたしはその隙にお風呂に行った。

静かに黙り込んで風呂を済まし、顔のお手入れを脱衣所でしていた。

その時、突然戸が開いた。父が立っていた。

 「ちょっと!入ってるんだけど!戸が閉まってたでしょ?!」

 わたしは怒った。

 「ごめん。」

 と父は慌てて戸を閉め居なくなった。

わたしは用を済ませるとリビングへ行き、

 「戸も閉まってるのにノックもしないってどういうことよ?!

  お父さんはわたしの身体を触ったことがあるのよ?

  気持ち悪いよ!!」

 と激しく抗議した。心は震えてた。

 その時、

 「ごめん、ごめん。」

 と素直に父が言った。


 今まで父には言えず母に身体が触れたことを抗議してきたが、父からの謝罪はなかった。また数か月前に、わたしが大事にしてたサボテンを父に台無しにされてしまったが弁償代だけで謝罪の言葉もなかった。それが今回はきちんと父は謝った。

ここ1カ月自宅で暮らし始めて娘が文句言わず一緒に居れて父も落ち着いたのかもしれない。

…がそんな子供じみた理屈なんて。身体を触れられたショックなんて一生わかってなんてもらえない。

だけど、わたしは中学卒業前からずっとメンタル疾患。家で物を壊したり親と激しく喧嘩したり散々だったからね。成人前には更に悪化してそれが父が身体に触れたことが原因だったとしても相手に理解なんてあるわけないだろう。

こんなに人生がめちゃくちゃなのは自分のせいなのかな?

母親の指示通りに選択して失敗したことも多々あるが、母は悪かったと謝らない。わたし自身が不器用で自分が悪いと思うのも辛い。

父は稼げてわたしは低所得…。社会は父の方を認めてる。現実通りなのかもしれないが、もう自分を責めるのはやめよう。

親を無理に愛さなくてもいい。でも喧嘩は堪えよう…。


 亡き兄は20年の時を経て存在自体が微かな記憶となり、父母は年老いて白髪が増し髪は薄く体つきも姿勢が少し悪くなった。年々足が痛いとか母は言い、父は腰が痛く、二人は病院にかかった。


幼い頃は疑いもしなかった。自分は絶対聖人のような弱きを助ける誠実な人になるんんだと。今は自分を支えるだけで手いっぱいで他人を思いやれているのかどうか。

ただ、障害者雇用で務め社会に受け入れてもらいながら、静かに両親からのすれ違いの多い愛情を受け止め、人に迷惑かからないように生きよう。

それに尽きる、かな。

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