第14話 ひとりではないこと~生きるため、風は吹く~
「おはようございます!」
彼女は、唐突に現れた。
およそ1年ちょっと前ー
いいえ、彼女が職場に入ってくることは事前に聞かされていた。手短にだが。
新しい女の子が研修に来る、それだけ聞かされていた。
それを聞いて、まだ就職前で研修一月目だったわたしは、少しびくっとするのを堪え、もう一言聞いた。
「年齢はいくつくらいの方なのですか?」
「30歳くらいかな。」
女性の上司はそうさらっと答えた。
わたしの同僚として研修に来るということは、つまり…
わたしと同じ“障害者”。上司ははっきりと話してはくれないがそういうことである。
「新しい女の子が研修に来るね。」
わたしの所属している就労移行支援事業所のスタッフの方もそうわたしに言った。
「仲良くなれたらいいです。」
わたしはできる限り明るく答えた。
「おはようございます!」
と挨拶してきた新入りの女の子は愛らしい瞳でわたしを見つめた。
彼女の名前は、
“今日からここに研修に来れて嬉しいです!”瞳の色はそう語っていた。わたしよりも年下の彼女は華奢な身体をしていて支えてあげなければならないような母性をくすぐった。
愛奈さんは、清掃や古紙やゴミの分別などの仕事を担当した。
精神障害者のわたしと愛奈さんは、休憩室を二人だけのために用意してもらってあり、二人でそこを利用した。わたしはパソコンを使った事務仕事が主なので、愛奈さんと一緒に仕事することはほとんどない。休憩室に一緒に居る時だけ会話をすることがあった。
彼女は、
「わたしはとてもおバカな学校出身なんです。でも、姉が医者なの。」
と身の上を話した。
「わ、わたしも大していい学校出てないよ。」
と、わたしも答えた。
「母も父も優秀で、母は会社の管理職、父はお医者さん。
わたしだけ馬鹿でお母さんもお父さんも苦労したけど、
姉だけは手がかからなくて。それが救いなんです。」
(父母、兄弟が優秀なんてうらやましい。家族がかしこいと自分も引き上げてもらえるよね。)わたしは、羨ましく感じた。
「わたし、簿記の資格持ってるんです。それで就職したけど、なんと3日で解雇されたの。」
愛奈さんは更に話を続けた。
(えっ、簿記?!)
わたしは、簿記の資格を気になって調べたことがあった。経理の関係の資格で数学が苦手で嫌いなわたしには頭がくらくらする内容だった。
(彼女も、口では自分はおバカと言うわりには、賢いのね。)
わたしは、愛奈さんの障害が何なのか更にわからなくなった。精神障害なのか身体障害なのか…知的障害ではないだろうとなんとなく思った。
愛奈さんとは、事務の仕事が手すきの時に、一緒に掃除をしたこともあった。わたしが掃除機を使うことになり、かけ始めると、
「掃除機は引いた時に吸い込むのよ!」
と厳しめに言われてしまった。
また、わたしは午前と午後にある昼休憩とは別の10分間の休憩時間に、急いで水筒から水分を取ろうとしたらむせてしまい少し吐いてしまった。すみませんとその場で謝ったが、また別の日にも吐いてしまう。わたしは、元々不器用で食事をとるときも綺麗に食べれないとかそんな恥ずかしい欠点があった。仕事の疲れで慌てて二度も同じことをくり返してしまった。二度目はさすがに愛奈さんは怒り、
「綺麗に飲んでもらわないと困る。」
と言われた。
(わたしも障害を持っているのよ。)
わたしは愛奈さんに叱られ、心の中で呟いた。
そんな愛奈さんは、休み時間や、仕事がない暇な時間にまで!無地のルーズリーフを取り出して絵を描いていた。仕事を与えられてないのだから、与えない会社側の責任だが、堂々と絵を描いていてびっくりした。出勤し、始業前も無地のルーズリーフに向かっていた。暇な時間さえあればいつ何時も描いていた。
絵はずば抜けて上手、とまではいかないが、絵心があり、見ていて楽しい。女の子の絵一つとっても色んなポーズで描かれ、次から次へと違う構図で描かれいた。
彼女は席を外した時も、絵を描いたルーズリーフを隠しもせずに置きっぱなしで、鉛筆も転がっていた。椅子も出しっぱなしだった。
ダメダメなわたしに注意する愛奈さんもまた、出来ることと出来ないことがあり、短所があるんだなと思った。そこも含めてとても愛おしい。
わたしは愛奈さんと過ごしていく中で、わたしも小説を書こうと思った。絵は描けないけど。とりわけ文章が上手でなくても、好きで書き続けることはとてもポジティブで自分の長所を増やしていくことだと思った。愛奈さんはわたしにきつく注意したけど、そういった愛奈さん自身も、出来ないことや失敗を今まで注意されてきたんじゃないかと思う。家族がみんな優秀な中で自分だけ障害を抱えてしまい、そんな苦しい日々の中で自分を愛する方法として、“絵を描き続けること”を見つけたんだと思う。
今日、愛奈さんは机に広げたルーズリーフの上で、デッサン見本の写真の本を眺めていた。机の上に消しカスと鉛筆が転がっていた。愛奈さんの描き途中の絵に視線を落とすと、女の子の絵は、ニコリとわたしに笑いかけた。わたしは、必死になってデッサン見本を眺め、そして毎日更新されていく彼女の絵から、自分の生き方についてを考えさせられた。そして、愛奈さんの絵からそうっと私自身の“
わたしは、愛奈さんとは、近づきすぎてはいけないディスタンスも感じてはいたが、そうしたわたしと彼女との間には、障害を抱えたもの同士として、“どう生きるか”の指標をお互いに見つけ合う“良い風”が吹き合っていた。
天地天命、人として生く 3 月読の調べ 夏の陽炎 @midukikaede
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