天地天命、人として生く 3 月読の調べ
夏の陽炎
第1話 月菜(つくな)
拝啓
わたしの淀みの心の奥底様、
泣くことも笑うことも、稲穂が実って揺れる柔らかい秋の情景に映し出され、今は、淡い新緑の緑に月見草が浮かび、初夏の到来を告げられました。
私という身と心は、相変わらず簡単な慰めでは立ち直ってくれず、自分でも持て余している毎日です。平常にしましょうと、甘いものをいくつも思い描いてそれに幾分も時間を遣っています。
私が少女の頃、ツクヨミという名前のゲームキャラクターに出会いました。名前、より、そのいたずらっぽい小悪魔みたいな乙女の魅力に惹かれましたね。
行く足が遅速な私の前を立って、不可思議なゲームの世界を自由そうに歩く姿に、1年かかったとしても朝起きて日常に立ち向かう力を私に与えてくれたのではないでしょうか?
ハンサムなヒーローとの心縺れはきっとその次でないと思い描けなく、5年余りして再びゲームの世界を開いた時、今度は主人公に憧憬と愛を抱きました。
さて、この心に沸き起こった人間という名の本能の情熱は現実世界のどこで活用できるのでしょう、ね…。
では、私の名前は『月菜*(つくな)』、いつかの天皇様の御手の様に、貴方様の心に愛と癒しの食物とお召し物を捧げられますように。
敬具
令和吉年 吉日
*名前の由来は百人一首より
『君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ』光孝天皇
―――――
わたしは夢を見ていた。起きたままだったので、それは“夢”というのには相応しくなく、そして…“胸を焦がしてた”のかもしれない。
『おかえり。』
リビングに入るとダイニングテーブルに兄がいた。瞬けば消え、声だけは残像のように残った。わたしは、“嫌”だと思った。今、わたしは所縁深い聖女になった気分で、男の方の身の丈について想像していた。
存在しもしない兄のこんな幻想なんて見てしまったら、わたしは小さき何もない統合失調症の女だとバレてしまう。
些細な事?
いいえ、統合失調症は重症化したら大変よ。軌条に戻したいの。
動揺に手が震え、オーディオの上のCDはわたしの目を(眩しさで)焼き、ほんの少し一人前の大人になったつもりで持っていた仕事道具(社員証と筆記用具)が入っていた鞄は、ぼたりとソファの下に落ちた。
ソファの上で、スマホの画面は咲惟(さきのぶ)と表示されていた。
メールアドレスの登録、その他、諸々の記載はなくシンプルに電話番号だけ示されていた。
わたしはソファの下で蹲っていた身体を伸ばし、もう一度スマホに手にとった。
「…咲惟さん…。」
電話番号に触れると発信前の画面に切り替わった。まるで、人の胸に頬を寄せたみたいに温もりと近づき過ぎた失敬さを感じ再びぶるっと震えた。
咲惟さんとは、遠い地に住み疎遠の10歳年上のわたしの従兄弟であった。
電話は一度もしたことがない。わたしは電話が苦手だった。
中学生の時に、学校の疲れを癒すように母親の携帯電話で遊んで、辿り着いた出会い系サイトの青年と電話をしたことがある。
「…もしもし…。」
しか、話せなくて…
「頑張って話してよ。」
と、慰めにもならないリアルボイスは手厳しいのに魅力的な男性の匂いがした。
もしも、咲惟さんに電話でもしたら、プライバシーが垣間見えそして厳しく注意されるかもしれない…。わたしの現状も知られたくないし報告もしていない。つい十数年前に大学生になったという挨拶状を送ったきりのわたしは、統合失調症を発病して大学を卒業できず就職にも苦労していたことを話してはいない。どんな顔をするんだろう。
更に言及すれば、咲惟さんは既婚者だった。子供を授かったという知らせは二度ほど届いている。奥様は綺麗な方だった。
通信制の大学生活を送っているという挨拶状を送ってすぐに奥様とお会いした。そう、結婚式に招かれたのであった。
わたしは、わたしの心を慰めるのに必要なCDを探さず、静かに脳内に音楽を流した。何度もリピートした曲である。もう16年程前に発売されたアルバムの一曲であった。
それは
『Liar』、作詞作曲者は、words : ayumi hamasaki music : Raita Ikemoto と記されてあった。
わたしは、西洋のパステルカラーのワンピースドレスが好き。華やかなのに嫌みのない上品な八重の洋花が好き。アンティークの西洋家具がお洒落でわたしも隣に飾ってほしい。
浜崎あゆみさんのアルバムでもそんな乙女心を掴むようなジャケットデザインがあったけど、アルバム『MY STORY』のジャケットはキツめのお化粧にお洋服の様に着こなした派手な下着姿だった。
えっとたじろいだが、そんなわたしの好みなんてどうでも良くなって手にとって購入した。
『Liar』という曲は、稚拙な生き方をしてるらしいわたしとは遠い大人の世界の歌だった。アルバムを手に取り、当時子供だったわたしには同じく理解し難いセピア色の風合いの芸術を頭の中に思い浮んだ。そしてわたしの頭の中の像はパステルカラーの華やかな西洋風のお姫様が住まう憧れの世界をセピア色に染めた。そして再びふーっと呼吸するとその想像絵が白く滲んでいくのを感じた。
浜崎あゆみさんのアルバム、『MY STORY』が発売された当時、わたしは、フリースクールの寮に住んでいた。長期休みの折に寮では禁じられていたCDを購入し、年に数回の休みの度に家で再生し、何度も歌を覚えようと歌ってみた。
そして長期休みを終え、フリースクールでの日常の生活でぽつりぽつりと
「“愛される程”」
とか
「愛している」
とか呟いて歌の歌詞と自分の言葉を重ねて浜崎あゆみさんの世界に旅をしてみようとしたり、日常生活で女優のような気分でその世界を自分の世界へ取り込んで言葉の意味や曲の音色を感じてみたりした。
今にしてみれば、結婚し、学生の時から秀才と伺い社会的な地位も持っているという従兄弟と、やっと障害者雇用で勤め始めたわたしとの差に
“非生産な日々”
を感じ、血が繋がっているだけという
“滑稽な感覚だけに陶酔”
しているかもしれない、
なんて、はしたない自分の弱さを、歌詞の散りばめた星空のような音色の良さで覆い隠そうとした。このような歌詞とメロディへの心の乗せ方がひどく間違っているとしたら、やっぱり成長してなかったかもしれない。
従兄弟の結婚式の招待状を受け取った時、親に結婚式に参加するから従兄弟の実家のある県へ向かうことを告げられた。フリースクールの寮で生活していてほとんど親とは連絡を取れなかったので、長期休みに帰った時に突然聞かされ驚いた。もう結婚式に参加する用のドレスは準備されていた。わたしは単純に従兄弟に会えるのが楽しみでドレスに腕を通すのも嬉しかった。
結婚式場に向かう為に家を出発する前夜、母は、
「涙を拭うようにハンカチを用意してね。」
と言った。抒情事に無味乾燥なわたしと言われたのかもしれない。わたしはドレスも化粧も母が買ってくれたものをそのまま準備し、ヘアセットについても考えてなかった。ただ、その時のドライブには一番大事だと思った大塚愛さんのアルバム『LOVE PiECE』『愛 am BEST』を二点用意した。
こんな自分がつまらないと感想を伺われたとしたなら、わたしは、見目も感情表現も乙女らしくならなきゃブライダルに近づけないでしょと小さく漏らすくらいだろう。実際にドライブを彩った音楽はわたしの気分を良くし、途中で立ち寄ったカフェテリアでお食事後、入り口の階段を慣れないヒールの足を滑らせるように躍らせて降りた。これだけは自分で決めて履いていたヒールだった。“もしかしたら”、“いつか、”を呼び込んでくれるようなわたしの魔法の足先だった。
結婚式場はわたしが住んでいる所より都会で、ハイセンスのホテルで行われた。誓いの口づけのシーンを見て人と人が愛し合う、ということを初めて目の前で実感したような気がした。カーンカンと軽やかに鳴り響く鐘の音に、幼少の時に読んだ少女漫画の主人公の少女が目覚まし時計を間違えて「結婚式の鐘の音」という寝言のシーンを思い出して、(ああ、これが乙女の憧れなのね。)と理解し、初めての世界を楽しんだ。
結婚式を終えてホテルに戻った後、わたしは親の気配が感じなくなった時を見計らって泣いた。しずしずと、スズランが空に届かない茎をしな垂れてお上品に花びらの筒から涙を地へ運ぶように、上手に涙を流して見せた。
“涙を拭うようにハンカチを用意してね。”と言った親の言うことを推し量ったからだ。何に涙を?と質問さえ出来なかったが、とりあえず使われなかったハンカチに対して役目を与えなかった惨めさを感じ、涙を吸わせてみた。もし何かあるとしたら、もう少し遊んで欲しかった。楽しい結婚式という場で、中にはイケメンの従兄弟の友達や清貧そうで厳格でスピーチに温もりさえある職場の上司の方もいた。
じゃぁ、更に薄々感じ取ってみよう。従兄弟は兄弟そろって有名私立大学卒業のエリートで、わたしは高校も通えない不登校児。向こうが伝統と格式のある牡丹なら、わたしは縮れた名もなき雑草の抜けた葉だろうね。
なんて嗄れた事を言ったが、本当に大事なことは、越えていかなければならない現実を乗り越えるために人と心を通わせる事だったと思う。こんな生き方しか出来なかったけど、相談したり他愛もない会話を楽しむ関係を築くことが大事だったと思う。
既婚の異性だから、もちろん電話することは躊躇すべきだろう…。目にも見えない幻想より健全な話し合いになったとは思うけど…わたしも話し方をよく習い損ねたので判らない。
幼少の頃、まだ小学生だった従兄弟は、祖母の家の近くの商店街でわたしが欲しいと言葉を漏らした髪飾りを買ってくれた。経済的に安い方を選ぶ従兄弟の手も、値段に関わらずどちらも魅力的に作られている商品の髪飾りも、わたしの心に深く印象を残した。
その後は、住む所の遠さから会うことはなかった。
年月は過ぎ、成長して中学校の卒業式の日、同級生はわたしの卒業アルバムの最後のページに目の前でメッセージを書いた。
“元気ですか?”
わたしは、卒業アルバムは二十を迎える前に焼却してそれを永遠に変わらないものにした。それから、従兄弟に年賀状を書くこともやめた。
その瞬間、瞬間に、愛を噛みしめるように息を呑んだわたしは、永遠に変わることがない情景であることに拘り過ぎていた。
現実は難しいもので、不登校していたのにショッピングモールでお洋服を見ていたら別の同級生に睨まれた。やっと身体が動き家を出れた時に、気晴らしをしていたのであるが、遊んでいるように見えただろうし、事実、無気力で楽しみ事ばかり探していた。そうやって引きこもりをしていた数えで16歳の一年間があった。
…生きるという矢面に向かい合いまた逃れるようにして、今度は薄荷キャンディを鞄から取り出した。
じゃなかったら鞄という名詞さえ忘れてやる、くらいの意気地ない自分が同時に降って沸いた。
会社に、業者の方用かよくわからない配置に“ご自由にお召し上がりください”という張り紙付きで置いてある飴もまた薄荷キャンディだった。
飴など似合いそうもない近くの席の男性が、仕事の合間に慣れないような手つきで飴の小包みを開けていた。
わたしの使用するパソコンの設定をする時、わたしに向かい合って教えてくれた方で、定規を持つ手を整えて直してくれるわたしの面倒を見てくれる上司の社員さんの一人だった。普段以上に疲労が増したから飴を舐めてたのかな…。そのように丁寧に事象をとらえてみることから人を大事にするということが始まるのではないかな。
わたしは10代の頃と変わらず便利なショッピングモールに出向き、食品コーナーで似たような薄荷味の飴を一袋購入していた。
わたしは鞄から取り出したお守りの代わりの様な飴を、一つ舐め一つ噛み砕いて…食べた。食べても食べても心情まで届きそうになく、とりあえず“思いやりと気遣い”という言葉だけでも復習して、合わせて自分の心の痛みを捌いて砕いて消化していった。
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