第3話 日本の開明―葵の御紋とその後の現代日本(に生まれた月菜は統合失調症を患う)

 心が暗雲たる渦を巻くのを隠そうとする昼、

の人の髪色に理想を呼び醒まされるような目覚め方をした。


 わたしは欧米文化と人々に静かに憧憬を抱いていた。

日本という国が近隣のアジア諸国を差し置いて、アメリカとの友好関係を強調しているミスマッチな不思議さも、戦敗国という卑劣で惨めな国柄も、欧米の国々という存在は、ポジティブに受け流してくれる美貌を持ち合わせた人々だった。


 日本人はやたらと金髪美人か背の高いスタイリッシュな外国人の風貌を真似したりアニメやゲームの主人公にしたりしたがる。

友達付き合いが苦手で体力無くすぐに疲労する幼少の頃のわたしは、友達や恋人はゲームの中の主人公だった。やっと身近に感じるのがそのゲームなのに、風貌は金髪、服装は西洋文化を継承し、職業もカタカナ(外来語)で明記されていた。

日本人というアイデンティティを確かなものしたいから、まぁ、大和文化が良かったのかなぁと自分で想像したとしても、万葉の世界の貴族の風体にしかならず、つまり、とびきりわたしの目を惹く才気と美貌の持ち主でなければ浮かばれず、暗闇のわたしの人生を照らし得なかった。


 中学生に上がる頃にはそのゲームは古くなり、シリーズの新作のゲームは、日本的価値観を投影しているような新しい試みを感じさせながらも過去作を陰らせるのは難しいとわたしは感じた。日本は暗闇の中にいると思った。

戦争責任として世界に賠償をしながら生き、生きる者の責任として日本を高度経済成長へ進めた。その国力の凄さを批評しきれない罪を背負い、生という道を歩んだ。誰が、戦争を起こし、誰が、陥れたのか、についても目をらさずに時代を重ねて現代に辿り着いていると思われる。

陰気で多くを語れず、尊敬するものを慕い、自分の可能な限りの能力を使い確実な道を探して歩んでいく。そんな主人公に心折れを感じたわたしは、いつの間にやら心の中にアメリカ風のハーフ顔のそれでいて場所を濁らせなく、自信と創意に満ちた若い男の子像を理想として想像し始めた。

 

 幼少頃のから人間関係を構築できず、勉強も追いつかず、周りの動きに合わせることのできなかったわたしは、ついに一般就労と自立の夢も手元に届かず叶わなかった。そうしたわたしが描いた空想の男性像とは、現実というものを上手に受け止められずコントロールすることも出来ないわたしの理想と甘美な夢という名前の生きる為の性だった。

 バイトを始めて、大体必ず理想の男の子と出会った。仕事ができて見た目も丁寧に繕っていて必ず光がある男性。役職があるからアルバイトのわたしの傍にいる時間が少ないせいで余計に輝きが増した。

 

 中学卒業手前から男女の交友関係には悩んでいた。振り返ってみてどうしてそんなことをしたのだろうと理由を考え直しても分からない。それはヒステリックのような情緒障害的衝動で男性を求めた。同級生とは上手に橋渡しができないわたしは、家でも繋がり始めたネットを利用した。対面では何も言えないわたしは、顔を隠した世界では容易に人に甘えたり、悩みを相談したり、女という性を表現したりできた。

(ネットは、簡単だから容易だから…。現実は、自分は見栄えなく交友もし辛く理想とは交え得ないから…。)

実際は、ネットで理想を求められたことなどない。寂しい時の慰めでしかなく、いつも理想通りに歳を重ねられなかった自分への失望と共に別れていた。

“ネットの有事の時とは、大体ヒステリーを起こした時、らしい。”

 

 そんな自分をなんとか改良しようとしたらしい。

ゴシップに支配され容姿や性格が分かり易いように映し出され、手の届かぬ存在であり、交流するには礼儀を弁えなければならないということを配慮させる芸能人という存在を、わたしは、何度も思慕した。現実に出会いがなかったのはコミュニケーションの苦手なわたしの性格故であり、不登校児であった結果でもある。そうだって、それだって、わたしは人間としての自分自身の性をないがしろにできず、時々コントロールできない痛みを伴う。

 

 男性の髪色をもう一度確かめた。お顔を拝借するにはまだ気後れがあるし失礼だろう。髪の毛は、綺麗に艶めいて、忙しい中でも周りを気遣いしっかりと手入れをした様子を感じた。

 

 万有人事、すべて偶然の宇宙に生まれた痛みではない。

森羅万象、互いの個を見つけ見つめ認め合い、それが故に創り上げ実現した宇宙である…。

神がお告げを語ったかの様にわたしは、物事を見定めてみた。親子関係や友人関係がうまくいかず孤独であり、それがわたしという人格に対するマイナスのレッテルになったとしても救われた。理想通りの、(もしくはそれに似通う)男性はこの職場にもいた。別にの人以外がそうではないとう意味ではない。ただ、平安時代に日本貴族たちが夢中になって遊んだらしい“貝合わせ”のように自分の欲しがった絵にぴったりくるものを必要とした。

 それは折り紙付きの、“自分の人生”を後始末するものだった。

幼き頃に弾けと言われて押し入れに閉じ込められて弾かされたメロディオンと、どんなに神経が疲れていてもしわくしゃにしたり汚したりしてはいけないブラウス。必要と言われた整理整頓された綺麗な部屋と、すべて読破して教養にしなければならない本たち。こうした細やかな歩みを卒なくこなしているように見える人をわたしは心の養いとして探していた。人財が欲しいなら他に委託すればいいし、わたしという個性は他者と照らし合わせることで豊かさに変わるとわたしは思った。


 統合失調症の陰性症状なのか、鬱になり自分に劣等感と排他的失望を抱くことが頻繁にあった。そうした苦しみを慰める為に、顔の見えないネットに縋ったとしても、気難しいわたしは相手に迷惑かけるだけである。わたしが、本当に欲しいものは自己の安泰であり相手に添い遂げることではなかったから余計に駄目である。

もしも、貝合わせの片方の絵がおぼろげにでも描けていたのならきっと合わせることができる筈である。侮らずに真剣に自分という名の人生を歩んできたことも自分以外の世間に対しても愛情を抱いていたことも、自己満足だとしてもわたしは自分に肯定してあげることができる。

 

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