魔女の弟子と勇者
田舎町の隅っこにある、レンガ造りの一軒家。
そこに、左腕が義手で、右足が義足、顔に大きな傷のある男が訪ねてきた。
「お嬢ちゃん、いるかい?」
こんこんとドアを鳴らすと共に、男はそんなことを言った。
慣れた手つきと穏やかな声。きっと、家の住人とは親しいのだろう。
しばらくして、家のドアがぎいと音を立てて開く。
出てきたのは、真っ白な髪を持つ儚げな少女だった。
「こんにちは、勇者さま。ほぼ毎日通っていて、暇なのですか?」
透き通るソプラノの声で、容赦のない言葉を吐く。
「お嬢ちゃん、はっきりと言い過ぎじゃないか」
「思ったことを言ったまでです。実際、暇なんでしょう?」
お師匠さまを忘れられないくらいには。
感情のこもってない、淡々とした声で少女は告げた。
「……引退したんだよ。そもそも、腕と足を一本ずつ失った時点で、戦力にはならない」
「救世の勇者さまが、左腕と右足を失ったくらいで、戦力として価値を失うわけないでしょう」
「世界を救ったのは、お嬢ちゃんの師匠だよ」
「勇者さまがいてこそですよ」
自己評価がすこぶる低い勇者。
何の感情も見せない、救世の魔女の弟子。
ふたりの空間には、いつも哀愁がまとわりついていた。
●
「お茶が入りましたよ」
慣れた手つきで、少女はティーカップにお茶を注ぎ、勇者の前に出す。
自分の分も入れると、勇者の正面の椅子に座った。
薔薇が描かれているティーカップを勇者は持ち、お茶を口に含む。
「お嬢ちゃんのお茶は本当に美味しいな」
「ありがとうございます」
少女もティーカップを持ちながら、お礼を返した。
ふたりの時間は静かなものだった。
お茶を飲み、お茶菓子を食べ、なんとなくぼんやりし、気が向いたら互いに言葉を交わす。
穏やかな、何の意味もない時間がすぎていくのだ。
「……どうして、あいつは毒を飲んだんだろうな」
「……またそれですか」
勇者はふとした瞬間に、同じ言葉を漏すのだ。
共に戦った魔女の最期に疑問を持つ言葉を、愚痴を言うように漏すのだ。
少女は眉をわずかに寄せ、いつも通りの言葉を返す。
「悪の王を倒し、世界を救うためでしょう」
「お嬢ちゃんの師匠は、そんな自己犠牲精神に満ちた奴だったか?」
「そう聞かれると、否ですけど」
「そうだ。あいつは自己犠牲なんて綺麗事、好きじゃなかったはずなんだ」
「そうですね。お師匠さまは、綺麗事なんて嫌いな、変な人でした」
努力家で、どんなことでも果敢に挑み、どんな手段を使っても欲しいものを得る。
普通の人には理解できない思考をする、言ってしまえば変な奴だった。
はっきりと物を言う人で、人とのつながりは面倒くさいと言ってしまう。
感情が豊かで、面白い事があるとけたけたと笑い、気にくわない事があると怒声をあげた。
好きな物は、本と花と春の日差し。嫌いな物は、宗教と雨と死だった。
夜空を映したような闇色の髪と、闇夜に浮かぶ灯火のような炎色の瞳。
好んでだて眼鏡をかけ、とんがり帽子をかぶった。
魔女は生きることがとても楽しそうだった。
「そんな奴がさ、どうして道連れなんて選んだんだと思う?」
そんな魔女を知っているからこそ、勇者は不思議で不思議でたまらなかった。
自分の力がなかったことを恨んでいるようでもあった。
「……勇者さまは、悪の王の、お師匠さまの、いない世界が、とても退屈で、嫌いなんですね」
唐突に放たれた言葉に、勇者は動揺して、少女から目を背けた。
「結局、そういうことなのでしょう、勇者さま。だから、縋るようにして、私の所に来るのでしょう?」
もういない魔女の気配を探して。
魔女との思い出に浸るように。
魔女がいなくても回る世界にいたくなくて。
心の傷を癒やすように。
勇者は魔女の忘れ形見である、少女の元を訪れる。
少女の言うことは、図星だった。
だけど、それを認める訳にもいかなかった。
「…………そんなことない」
「そんなことあるんですよ」
勇者の言葉に否定する言葉をかぶせる。
「別に私はそれが悪いことだとは思いません。気にもしていません」
少女ははっきりと言う。
少女の凜とした青い瞳には、真っ直ぐに勇者を捉えていた。
「私はこれでも、世界最強と言われた魔女の弟子です。貴女の心の傷くらい見えます」
「……勝手に見るな」
「無理な相談です。嫌なら、魔女の家に訪ねてこないでください」
「……それもそうだな」
勇者は青い瞳に根負けしたように、ため息を吐いた。
この少女は、師匠に似て、一度決めたことは絶対に譲らない。
「勇者さま。私は、お師匠さまが毒を飲んだ理由、なんとなくわかるんです」
少女の言葉に、勇者は「本当か」と言って食いつく。
目には期待の色と不安の色が混じっていた。
「私たち魔女は、似たもの同士ですから」
だから、他の魔女が考えていることが、なんとなくわかる。
魔女のことを理解できるのは、結局魔女だけなのだ。
「どうしてあいつは、毒なんて飲んだんだ?」
勇者は静かな声で聞いた。
その中に、様々な感情が混ざっていて、そして打ち消し合っていた。
「勇者さまは、魔女の生まれ方を知っていますか?」
「生まれ方……?」
「はい。生まれ方です。魔女は、生まれつき魔女で在る訳じゃないんです」
「そうなのか?」
知らなかった事実に勇者は、目を大きくして驚いた。
無理もない。魔女の誕生の仕方は、魔女によって巧みに隠されているのだから。
「魔女は、寂しさから生まれるんです」
「寂しさ?」
「はい。寂しいという感情が、身体を埋め尽くした時、人間は魔女に生まれ変わるのです」
「そんなことが……」
「事実です。私も、両親を失った“寂しさ”から魔女になりました。そしてすぐ、お師匠さまに拾われました」
師匠に拾われたことを懐かしむような声音で、少女は告げた。
「魔女はね、かなりの寂しがりやなんです」
少女は、無表情を崩し、へにゃりと笑う。
その笑い方は不格好で、変だったけど、何故だか惹きつけられる、そんな類いの笑顔だった。
「だから、お師匠さまも自殺するように毒を飲んだのだと思います。他にも悪の王を倒す手段はあったのに。それでも、毒を飲んだのです」
「寂しがりやだから、あいつは毒を飲んだっていうのかい?」
戸惑いを隠せないほど動揺している勇者の言葉に、少女はこくりと頷いた。
「恐らく他の魔女に聞いても、同じようなことを言うと思います」
「あいつはどうして寂しかったんだ……?」
嫌いな死を、自己犠牲なんて綺麗事を、打ち破ってしまうほどまでに、魔女を埋め尽くした“寂しさ”とは、一体何だったんだろうか。
勇者は震える右手を、もう二度と震えることのない左手で押さえた。
「それはお師匠さまにしかわからないことですけれど、いくつか考えられる理由があります」
勇者が死んでしまうことを恐れた。
勇者との旅が終わってしまうことを恐れた。
勇者がいつか死んでしまうことを恐れた。
少女は思いつく限り、理由を述べた。
「…………そんな理由で、あいつは毒を飲んだのか」
「そこまでは私にはわかりません」
しかし、と少女は言葉を続けた。
「私が同じ状況に立たされても、毒を飲むと思います」
どうして、と勇者は消え入りそうな声で尋ねた。心なしか、涙を含んだような声だった。
「言ったでしょう。魔女は、寂しがりやなんです」
理由はただそれだけ。魔女にとって、それだけで十分なのだ。
「魔女って言うものは、たいそう寂しがりやで、怖がりなんだな」
「そういうものなんです、魔女って言うものは。寂しさには敏感なのです」
少女はそう言って、冷めてしまったお茶を飲んだ。
勇者は、馬鹿だな、と涙と共に漏した。
寂しさから生まれた魔女は、世界を救うために毒を飲んだ。
他に方法があっても、それでも魔女は毒を飲んだ。
それでも魔女は毒を飲む。
だってそれが、魔女だから。
救世の魔女の弟子と救世の勇者のふたりの時間は、こうして穏やかに過ぎていく。
それでも魔女は毒を飲む 聖願心理 @sinri4949
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