(二)

 拝啓

 降雪の候、お体の具合はいかがでしょうか。手足を霜焼けなされておられませんか。お風邪をめしてはおられませんか。そうした時は、どうぞご無理をなさらず、まずは温かいものを食べて早寝早起き。とにもかくにも体が資本。勉学はほどほどになされ、将来の夫からの命と思って万事ご用心のうえ、日々お過ごしください。

 さて私はといえば、どこにあろうとも父から贈られた辞書を持ちこみ、任務の合間にも蛍雪の光を頼りに、目下試験に向けてはげんでおります。

 それから大陸の言葉も勉強中です。いつか響子さんへ漢詩をご披露できたらなどと思っておりますが、ひどく難しいですから、時間がかかってしまうでしょうか。

 しかしながらもちろん試験だけでなく、天皇陛下と大東亜臣民、御国を守るため、及ばずながらこの身を捧げる所存でございます。

 皆々様と響子さんの御多幸こそ、我が励み。

 くれぐれもお体にはお気をつけて。 

                  敬具

 昭和十七年十二月十九日

            栗田壮一郎

菅花響子様


  ※ ※ ※


「あら響子、また栗田さんからのお手紙を読んでいるの。あまり何度も触っていると、文字が消えてしまうわよ」


 道子姉さまは、呆れ顔でいつものように柔らかく笑う。薬と水を運んできたお盆を静かに置き、私の肩にふわりとかいまきをかけた。


「ほら、冷えるわよ」

「ありがとう」

「具合はいかが。熱のほうは――下がったみたいね」

「はい、おかげさまで。昨日よりもずいぶんと楽になったの。明日からは女学校へ行けると思うわ」

「そう、それはよかった。じゃァ、ぶり返すとよくないから、今日は薬を飲んでしっかりとお休みなさい」

「はい――」


 また私は、熱をだしてしまった。

 女学校の最終学年の新学期をむかえ、少し気を張りすぎたのかも知れない。とはいっても、まだまだ四月初旬。今にはじまったことでもないのだけれど、ほんとうに情けない体で嫌になる。小さな頃からたびたび熱を出しては、家のなかで寝て過ごしてきたもので、今では、天井板の木目の本数や節の数さえ知っている。

 だからだろうか。不景気で家計が傾いていたというのに、父はお金を工面して、私の望みどおり女学校へ送ってくれた。「田畑の仕事ができなくとも、当世は教養をそなえていればもらい手などいくらでもある。響子は近くの農家ではなく、町にある商家の嫁入り先を探してやろう」とも言ってもらえたのは、救われるような思いがしてありがたかった。

 私は道子姉さまの言葉にしたがい、ふたたび布団へ横になる。

 ふと鈴音のような小鳥の声に誘われ、明るい窓の外をボンヤリと見た。

 満開――

 ひらりちらりと毎秒幾寸かで漂う花びらが、窓で切りとられた視界を通りすぎてゆく。と同時に、私の脳裏には、あの日の風景が鮮明にうつった。

 あの人――栗田壮一郎さんと初めて出会った淡い春の日。

 桜が満開だった。


  ※ ※ ※


 隣町にある女学校からの帰りみち、私は女中の早久さくとともに農道をたどっていた。土手にばっけが生えていたので、今夜は味噌とあえて食べようなどと二人で寄りみちをしたりして、暢気にきた道中のこと。

 道ばたにある古い桜の木を、早久がため息まじりに見あげる。


「あらあら、みごとに咲きましたねぇ」

「ほんとうに、綺麗ですこと」


 しばらく二人は言葉をうしなう。

 眺める角度をかえてみたりして「こちらがいい」「いえいえ、こちらもなかなか」と目に焼きつけていた。

 ところが――

 いつの間にか人が近くまできていて、挨拶をしてきた。


「こんにちは。いや、お見ごと。とりわけ今年は厚みを帯びて咲きましたね」


 ふと、朗らかな声の主を見ると、そこに立っていたのは、軍服に身をつつんだ私とおなじ年ごろの男子だった。

 すらりとした長身。

 五尺八寸はあるだろうか。厚くて広い肩幅と、軍服の袖がはちきれんばかりの二の腕。

 深くかぶった軍帽の黒いひさしの下から、涼やかな切れ長の目をのぞかせ、惚れぼれと桜を見あげていた。微笑むたび、頬に小さな笑窪が浮かんで並びのよい白い歯がチラリと光る。

 男子と話すのには慣れていない。さてはて、こうしたときは何とお返しするべきか逡巡する。やっと二回ほどためらったあと、


「――そうですね」


と、かぼそい声に乗って言葉が這いだしてくれた。反応がとても気になり、視界のはしでたしかめてみたが、彼は無言のままゆっくりとうなずいただけ。もっと気のきいた愛嬌のある返答をして、会話を途切れさせない工夫をすべきであったと反省していたら、恥ずかしくなってカァッと耳が熱くなった。

 ところでさっき、彼は「とりわけ今年は厚みを帯びて咲いた」といっていたから、この村の人だったろうかと疑問に思いはしたが、ついぞ私は、どちらのお宅の方なのか名をうかがうことができずにいた。一向に助け舟をだしてくれない早久を恨めしく思ってしまったほどでもある。

 私の迷いをよそに、彼は「では――」と言いながら、帽子のひさしを太い指先でつまみ、小さく頭をさげる。私はほっと安堵した気もちが半分、あとは名のらずに分かれてしまう非礼を悔いる気もちがほとんどだったろうか。

 彼は背筋をぴんとのばし、周りの景色をながめながらゆっくりした歩みで去ってゆく。太い首と背骨がつながっている様は、まるで生命力で溢れて天をめざす若木のよう。

 短く刈りこまれたには、歩くたび、たくましい筋が浮いていた。

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