(十一)
昭和二十年八月十五日。
その日の私は、朝早くから家族とともに畑で芋ほりをしていたが、なにやら正午からだいじなラジオ放送があるとのことだったので、ただちに仕事を切りあげて家へもどった。
近所の人たちもわが家へ寄りあつまってきて、勢ぞろいで放送を待っていたところ、正午になって天皇陛下のお言葉がながれた。まず皆が「天皇陛下はこうしたお声をなされていたのか」とどよめく。
電波が悪くてとぎれとぎれにしか聞こえなかったが、内容はこうだった。
『……朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ……忠良ナル爾臣民ニ告グ』
はて、いったいこれから、何についてお話をされるのだろう。
いっせいに皆が威儀をただし、ラジオから聞こえる雑音まじりのか細いお声に傾聴した。
『朕ハ帝國政府ヲシテ、米英支蘇四國ニ対シ、其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ』
共同宣言とは、どういう内容の宣言だろうか。
『一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セルニ拘ラズ戰局必スシモ好轉セズ、世界ノ大勢亦我ニ利アラズ……斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ……共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ』
つまりそれは――
『惟フニ今後帝國ノ受クベキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラズ……然レドモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ビ難キヲ忍ビ、以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス……宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信ジ、任重クシテ道遠キヲ念ヒ、總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ、志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スベシ、爾臣民其レ克ク朕ガ意ヲ體セヨ』
難しい言葉の連続であるため、意味をよく理解できないまま頷いている人がほとんどだったが、結句これは、日本が戦に負けた――ということになる。
私はしばらく呆然として、体から力がぬけて動けなくなっていたが、近所のことにしか感心がない暢気な人は、「これでやっと戦がおわった」「明日からは普通の暮らしにもどれる」と安堵の溜め息をもらしてしまっている。
いや違う。
戦は、終わったのではない。
日本が敗れたのだ。
国が戦で敗れるということは、国家の主権を失い、亡国となることを意味する。
これはたいへんなことだ。国全体が外国の奴隷になってしまう。
だからこそこれまで、数え切れないほどの酷い犠牲をはらって戦いつづけてきたのではなかったのか。日本列島にある主要な都市は、すでに見るも無残な焼け野原となり、多くの罪なき民間人が亡くなっている。
奥州だって例外ではない。先月には仙台が空襲をうけ、近隣の町でも爆撃があった。海沿いの港では、軍艦から激しい砲撃を雨あられにうけたとも聞く。
なぜいまさら。
どうしてこの時機なのか。
降伏をするのであれば、もっと早くにやればよかったはず。
いったいこれからの日本と、私たちは、どうなってしまうのだろう。
国が盛大に奨励していたせいで、いまや外地には東京都の人口にすら匹敵する何百万もの人が暮らしている。なのにこうして国が急に降伏をしてしまったら、誰が国民を守るのか。どうやったらそんなにたくさんの人たちが、無事で帰ってこられるというのだろう。まさか、自力で帰ってこいというわけでもあるまい。
なによりも彼は、わが夫となる壮一郎さんは、生きてもどってこられるのだろうか。
坂道を転がるように戦況が悪化するにつれ、郵便もまともに届かなくなっていたが、明日にでも戦死の報せがこないことだけを祈る日々がつづいてきた。
もしも万が一、彼が捕虜にでもなってしまったら、
もしも万が一、彼が処刑でもされてしまったら、
もしも万が一、もう彼と会えなくなってしまったら、
私は、どうするべきか――
いや、やめよう。
彼はまだ生きているに違いない。
それはいざ本当にそうなってしまったときに考えればよいこと。
まずは今だ。
いま私ができることをしなければ。
栗田のお父さまとお母さまは、さぞやご心配であられるだろう。夕方にでも今朝掘った芋をもって、お宅をたずねてみよう。そして壮一郎さんのご生還をともに祈り、励ましてさしあげよう。
いま私ができること、やるべきことは、それしかないと心に決めた。
※ ※ ※
昭和二十一年十月下旬。
もう日付すらよく分からない。
僕は、
ずっと本国へ帰る引揚船の順番待ちをしているのだが、なにぶん百万人も待っているので、果たして僕が乗るのはいつのことになるのかよく知れない。こうした時は、短気を起さずに待つしかなく、仮に待っているあいだに病死あるいは餓死をしたとしたら、そうした運命であったと諦めるよりほかない。
そもそも大陸には、百五十万を超える多くの日本人が暮らしていたのだ。にもかからわず、後先の道筋をつけないまま突として降伏をしてしまったから、外地にあるすべての人々が危険に晒されることになってしまった。
本国にある人たちは、よく分かっていなかったのだと思う。
道徳や宗教、価値観、法が異なる外国人に囲まれているという実態が、どういうものであるかを。
武力を使えなくなれば、法の秩序は担保されない。戦国時代さながら、無法のやりたい放題の標的となる。戦に敗れた国の国民とはただただ惨めなもので、抵抗することはおろか、身を守ることすらかなわず、地球上で安全に生きるために必要不可欠な国の主権を剥奪されるのだ。
略奪、
暴行、
強姦、
誘拐、
拷問、
苦役、
虐殺――
人間が行いうるありとあらゆる非道が、アジア各地にとり残された日本人の身のうえに、豪雨のごとく降り注ぐことになったのだ。
夫は妻や娘が乱暴を受ける様を止められず、夫は奴隷のように連れ去られ、まともな食料すら与えられぬまま人足としてこき使われ、家族散り散りになったまま名も知れぬ地で虫けらのように死ぬ。
まさしく無間地獄。
歩いても、どんなに歩いても、向こうからまた新たな地獄が押し寄せてくる。
なぜ国は、軍は、外地にある六百から七百万の国民および兵の生還を、第一に考えなかったのか。もちろん国内が酷い空襲を受け、新型爆弾まで投下されて惨状にあることを僕も知っているが、だからといって突然に無条件降伏すればどうなるか、惹起される事態は火を見るより明らかだった筈だ。
当地における引き揚げ中の犠牲者は、すでに十万とも二十万ともいわれる。これらの人々が感じた絶望と苦痛を、死ぬ間際に見た光景を、国はどれほどわかっているのか。
否、概数としては把握しているだろうが、一人ひとりの名前と悲しみまでは未来永劫わかるまい。むしろ知ろうともせず、南方で無茶な作戦をやった時のように誰も責任を取らぬまま、見なかったこと、なかったことにするのが関の山だ。
いやはや、呆れたもの。
国が行け行けと奨励するから外地へ渡った国民を見捨て、命をかけて国を守ろうとした者たちを助けず、一体全体この国はどうなっているのだ。
日いずる国日本とは、誰のためにある国なのだろう。
まずもって満州は、ソ連が国境沿いまで来て睨みあっていたが、兵も大量に待機していたので降伏するほどの窮地にはなかった。
ところが本国が無条件降伏をしてしまったから、日本軍は戦う根拠と武器を失ってしまった。当然の結果として、さながら戦国時代の切り取り勝手のごとく、ソ連が安心して三方から新京へ押しよせてきて、国民軍や八路軍も続いて蝿のように群がった。
驚いたのは上層部の面々のこと。
あれやこれやと名目をこじつけ、さっさと航空機に乗って逃れる者まで出たのだから、開いた口が塞がらなかった。
また一方、蒙古方面では民間人を守るため、降伏後も武装を解除せずに抵抗していると聞きおよぶ。ゆえに僕は蹶起した有志らとともに、引き揚げる国民の道中を守るため戦闘を継続した。
だから僕の戦争は、八月十五日から本格的にはじまったことになる。
しかしながら装備はやっと掠めてきたものだから、大砲や戦車はなく貧相なもの。歩兵の無力な寄せ集まりでしかなかったが、支那人シンパの協力を得ながら各地を転戦しつつ南下した。新京から葫蘆島までは直線で六百キロ弱であるが、何度も往ったり来たりしたので、道程は千五百キロを超えたであろうか。
とはいえ実際に守ることができた民間人は、残念ながらごくごく一部に過ぎない。僕たちは行く先々で、おびただしい数の憐れな骸を目にすることになった。
拉致されて殺害放置された婦女、
脳や内臓が飛び出した遺体、
子を抱えて自害した親子、
生きたまま炭になるまで焼かれた人、
親を失ったか、置いて行かれ泣き叫ぶ子供や赤子――
外国の兵や暴徒から乱暴をされ、絶望した婦女たち数百名が各地で集団自決したとも聞いた。刃物による自害とは、相応に腕力がなければなかなか上手くいかないものだ。その死に際の苦しみたるや、いかばかりであったろうかと思う。
だがそうなるのも当然至極のこと。どんなに祈っても、待っても、誰も助けに来てくれないのだから。
どれもこれも思い出したくないことばかりであるが、とりわけ恐ろしく感じたのは、それらの吐き気をもよおす惨状を見聞きしても、しだいに弾力性を失い、なにも反応しなくなってゆく己の心だった。
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