エピローグ:花火



 もう日は山陰に沈もうとしているところだった。居間の窓から夕日に染まる庭を眺めながら、俺は響花を待っていた。


 垂れ流しているテレビではニュースで帰省ラッシュの話が上がっている。もうお盆も終わりの時期だ。


 今日は花火大会のある日だ。見たいと言った響花の希望通り、出店などがある場所まで連れていくことになった。


 そういうことならと、お袋が響花を浴衣姿に着替えさせているところだ。


 ぼーっと待っていると、居間の引き戸がカラリと音をたてて開かれる。


「光太郎さん。お待たせ」


「ん? おお──お?」


 少しだけいつもと印象の違う響花がそこには居た。


 白地にピンクの花柄の浴衣姿も印象を変える要因ではあったが、前髪を一対ひと房残して髪を後ろでまとめた姿と、いつもよりちょっとだけ大人びた化粧が、はつらつな彼女の印象を落ち着いたものに変えていた。


「いやぁー、よかったわ。私のお古の浴衣だけど丈が合ってて」


 響花の後ろから現れたお袋が満足げににしている。


「ありがとうございます。光恵さん。髪まで結ってもらって……」


 振り返った響花の髪は、ただまとめてあるだけでなく、編み込んでからひとまとめにしており、手が込んでいるように見えた。


 いつもはポニーテールにしたときぐらいしか見えない、白いうなじが、ちょっと眩しく感じる。


「いいのよ。女の子はおしゃれするものだもの」


 得意気に胸を張り、お袋は俺に視線を向ける。


「ほら。何か言うことはないのかしら?」


「あ、ああ──その、なんだ……綺麗だと思うぞ」


「もう! もっといい褒め方はないのかしら?」


「って言われてもだな……」


 歯の浮くような台詞を並べ立てればいいのだろうか。それも違うだろう。素直に思って出た言葉が「綺麗」だったのだ。


「光恵さん大丈夫です。光太郎さんいつもこんな感じですし」


「ごめんなさいねぇ。誉めるのが下手な息子で」


「悪かったな。──ほら、響花。もう行くぞ」


「うん。行こっか」


 玄関に移動して、下駄箱から(母親のものではあるが)女性もののサンダルを出し、俺は自分の靴を履く。


 響花がサンダルを履くのを見て、俺は玄関を開けた。


「それじゃいってきます」


「いってきます!」


「はい。行ってらっしゃい」


 見送りにきたお袋に、そう声をかけて外に出る。先程より夕焼けが濃くなり、ひぐらしの声がもうすぐ夜が来ることを知らせていた。


 響花を見ると、なんだか上機嫌そうな表情と対面する。にまーっと悪戯っぽく笑みを浮かべると、


「光ちゃん、さっきから見すぎ」


「……そんなに見てたか?」


「ずっと目で追ってるのぐらいわかるよ?」


 そうか……まあ男の視線なんてそんなものだろう。それに響花の言葉を否定はできない。浴衣姿を見てからチラチラと意識をしっぱなしだ。


「こういうの、好き?」


 響花が浴衣の裾をつまんでくるりと回って見せる。ふわりと制汗剤に混じった響花の匂いが鼻に届く。


「……嫌いじゃない」


 首をかしげて聞いてくる響花の顔が眩しくて、俺は目をそらして答える。


「素直じゃないなぁ」


「やかましい。ほら、行くぞ」


 響花の手を取って俺は歩き出す。照れ隠すぐらいなら素直に認めてしまえばいいものを──……。


「ん? どうしたの? 急に立ち止まって」


「…………あー、なんだ」


 首もとに手を置きながら、


「その浴衣、凄い似合っているし、髪型も化粧もいつもと違う感じで綺麗だし……その、なんだ……俺は素敵だと思う」


 自分で言ってて歯が浮きそうになって、やっぱり俺は響花から目をまともに見れなかった。


 でも、誰のためにこうして着飾ってくれているのかを考えたら、せめて言葉足らずでもいいから言うべきことだと思った。


 響花はちょっと意外そうに目をぱちくりとすると、


「あ、ありがと……」


 と、頬を染めてそっぽを向いた。


「うー……なんだか負けた気がする」


「何にだよ」


 響花の悔しそうな声に苦笑する。


 夕焼けとは言い訳がつかなくなるほど辺りは暗くなっているのに、響花の白い肌と紅潮した顔が面白いほどはっきりと見えた。


「悔しいからこうしちゃお」


 響花はそう言うと、握っていた手を俺の腕に伸ばし、軽く抱きつくようににして、俺と腕を組む。


「うぉ──」


 半袖の俺の腕に、浴衣の滑らかな肌触りと共に、女の子特有の柔らかい感覚が当たり、思わず上ずった声が出る。


「ふふん」


 戸惑う俺とは裏腹に、響花は得意げに笑って見せた。そういう表情をされるとせっかく大人びた化粧をしたのに年相応に見えてくる。なんとなく、それが妙に安心した。


「くっつかれ過ぎると、案外歩きづらいもんだな」


 そんなことを今さらのように気づく。


「そうだね。じゃあ腕だけお借りして……こんな感じで」


 少し響花が身を離し、俺の腕に手だけを乗せるような形で収まった。


 同時に腕に当たっていた胸も離れるわけで、俺は顔には出さないようにしながら名残惜しく思う。


「私ひぐらしの声を聞くのはじめてかも」


「案外あっちでも聞こえるぞ。たぶん、気が付いてないだけだろう」


 セミとはまた違って、少し涼やかな音だと思う。都会の方ではセミも夜遅くまで鳴くし、もしかしから鈴虫の鳴き声と勘違いをしてしまうかもしれない。


 都会とは違うと主張するかのように、近くの森から、遠くの山から響き重なるようにしてひぐらしの鳴き声が聞こえてくる。


「夏も終わりだねぇ」


「ちゃんと夏休みの宿題終わらせたか?」


「そっちはだいだいバッチリ」


「じゃあ次は受験勉強だな」


「うえええええ……! まだ来年の話じゃん!」


「備えあれば憂いなし。覚え方を間違えてたところを覚え直すだけでも違うものさ。しかし、そうだな──」


 俺は響花と歩幅を合わせながら歩き、考えるように首に手を触れ、


「頑張ったらご褒美をやろう」


「えー? 例えばどんな?」


「響花が欲しいものなんでもひとつ買ってやる」


「ふーん……それってモノじゃなくてもいいの?」


「ん? まあいいけど……モノじゃない欲しいものって何だ?」


「それはねぇ──」


 響花は内緒話をするように俺の耳元に顔を寄せ、


「──光太郎さんが欲しいな」


 何だか妙に艶かしくそんなことを口にする。


「いや、お前、それは──っ!」


「あははーっ! 光ちゃん顔真っ赤ー!」


「そ、それはお前もだろ! っていうか意味わかって言ってるのか?!」


「そんなの……当然でしょ?」


「あー……。ったく、とにかくそういうのは学校卒業してから!」


「そんなこと言って、光ちゃんは我慢できるの?」


「そんなの出来るに──」


 ニヤリとして響花が俺の顔を覗き込む。


 俺はつい目をそらしてしまった。


「あー! 目そらしたー! ふぅーん、そっかー。光ちゃんは私とそういうことがしたいんだぁー?」


「ぐ……」


 当たり前だろぉ! と叫びたいのを必死にこらえた。


 そこでようやく、俺はからかわれたのだと気づく。


「でも意外だったなー」


「なにが?」


「告白されるより押し倒される方が先だと思ってた」


「お前……俺をなんだと思ってるんだ」


 半目になって睨む俺に対して、響花は笑ってごまかす。


「正直もう枯れてるのかなって」


「色々我慢してたんだよ……」


「ふーん? でも、もう我慢する必要ないんじゃない?」


「…………」


 ──殺し文句だった。


 ここが道端でなければ理性が崩壊するところだった。


「お前、さっきからとんでもないこと言ってるからな?」


 ニヤけそうになる口の端に必死に力をいれて、精一杯の抵抗を試みる。


 耳まで熱くなって、自分でもわかるほど顔が赤くなっているのがわかる。まともに響花の目を見れず、星が見え始めた空をあおぐ。


 チラリと横目で見た響花は、俺と同じように耳まで真っ赤にして田んぼの方を眺めて視線をそらしていた。


 恥ずかしいなら言わなければいいのにと思うと同時に、そう言わせたのは俺の方だなと思い直す。


「まあ──ご期待に沿えるようには頑張るさ」


 組んだ腕から伝わる熱が上がった気がした。

 

 


◇  ◇  ◇





 祭りの会場は思った以上に人がごった返していた。


 会場とは言っても、近場であげられる花火はここら辺に住んでる人ならだいたいどこだって見える。主に屋台が軒連なって集まっている場所だ。


 唐揚げ。お好み焼き。焼きそば。たこ焼き。チョコバナナ。色とりどりの味が置いてあるかき氷。一等なんて当たるか怪しいくじ引き。金魚すくい。ボールすくい。今はちょっと珍しい射的なんかもあるし、アクセサリー屋やガラス細工の出店も出ていた。


 俺が物心ついた頃からあるお祭りだが、記憶していた頃より出店の数が多くなっている気がした。


「うーんいい匂い! お腹すいてきたね!」


 浴衣姿のカップルや、親子たちの中で響花がお腹をおさえる。


「なにか買うか。何がいい?」


「えっとね……たこ焼きでしょ? 焼きそばでしょ? あ、唐揚げもいいな! 玉こんにゃくも美味しそう! チキンステーキも捨てがたいし、かき氷も鉄板だよね!」


「…………食い過ぎだ!」


「だってどれもこれも美味しそうなんだもん」


「気持ちはわかるが、ちょっと抑えろ。残り物食べるの俺なんだから──む、鮎の塩焼き……」


 火種を囲むようにして炭焼きにされた鮎が目についた。地元で獲れたあの鮎はすごく美味しかった記憶がある。


「光ちゃんだって目移りしてるじゃん!」


「ひ、一つぐらいいいだろ」


 組んだままの腕を引くようにして屋台の前に立つ。


「すいません。鮎二つください」


「へい! らっしゃい! 鮎二つで千円ね──って光太郎じゃないかい」


 店主のひげ面のおっさんが俺の顔を見て、目を細めた。どこかで見たことがある顔だなと記憶を探り、中学の時のクラスメイトだったことを思い出す。


「久しぶりだなぁ! 同窓会以来か?」


「ん? ああ。それぐらいだな。たぶん」


 中学の同窓会なんて十年以上前の話だ。よく俺の顔なんて覚えていたものだと思う。


「そっちの娘さんは……」


「ああ、彼女は──」


 響花に目を向け、響花がにっこりと笑い──


「ああ! お前さんの子供かい! いいねぇ仲良しで! うちの子なんざ最近顔も合わせてくれなくてなぁ!」


 響花の笑顔がピシッと凍りついた。


 あ、これ地雷踏んだなと、内心頭を抱えた。




◇  ◇  ◇





「いい加減機嫌直せよ」


「うー……」


 唐揚げ棒にかぶり付きながら響花が不満げにうなり声を漏らした。


 先ほどの鮎の屋台からずっとこうだ。


 屋台の連なっていた会場を通り抜け、俺たちは再び田んぼを望む田舎道を歩いていた。


 時おり屋台の方へ駆けていく子供たちとすれ違う。道端に止まった車からは誰もが空を見上げ、花火を待っている。


「ちゃんと間違いは訂正したろ?」


 娘じゃなくて婚約者ですと言ったときの店主のおっさんの顔が忘れられない。天地がひっくり返ったような顔とはあのことだ。


「でも、頑張って大人っぽく見えるように化粧してきたんだけどなぁ」


「綺麗で良いと思うぞ? けど俺らおっさんからして見たらやっぱり若く見えるもんだよ。どれだけ大人っぽくしても、な」


「そうなの?」


「そうだよ。例えば……毎年新入社員が入ってくるわけだが、彼らを見るたび、若いなあって思わされる。みんなそれぞれ見映えよくしていてもな」


 けれど、と俺は続ける。


「大事なのは見た目じゃない。話してみてはじめて、こいつ大人だな。しっかりしているなって思わされることも多い。その逆もあるけどさ」


 だから、と一旦間をおき、


「無理に背伸びする必要はねぇよ。今日みたいなのも素敵だが、等身大の響花が一番いい。お前は、お前が思っている以上に大人だと俺は思うよ」


「…………」


 響花は目を丸くして俺を見たかと思うと、直ぐにそっぽを向いてしまった。


 その反応に、おや? と思う。


「もしかして、照れてるのか?」


 顔を背けても真っ赤に染まった耳が、その感情を主張している。


「だって、不意打ちなんだもん」


「素直に誉めただけなんだがな」


「あんまり誉められるのって慣れてないかも。私、すっごい平凡な子だし」


「なんだそれ。ギャグで言ってるのか」


「え? なんでよ」


 ジロリと睨まれる。


 けど、どこの世界におっさんから告られる平凡な女子高生がいるのだろうか。


 あぁ、ここにいるか。 


「そういえば、私たちどこに向かってるの?」


「ああ、言ってなかったか」


 丁度その場所に到着し、俺はその場所を見上げる。


「────花火大会の特等席だよ」


 見上げた視線の先には、くすんだ朱色の鳥居とその先に延びる石階段がある。


「ちょっと登るけど、足とか大丈夫か?」


「うん。平気。光ちゃんこそ、普段運動してないのに大丈夫?」


「平気に決まってるだろ。まだそこまで老いてねぇよ」


 なんて言いながら、二日後は筋肉痛だろうなと覚悟している。


 響花の手をとって、歪んだ石階段を登り始める。


「しかし、さっき勢いで言っちまったが、その、なんだ」


 響花が足を滑らせても大丈夫なように、手をしっかり握り──しかし、顔は見れずに俺は聞く。


「婚約者ってことでいい……んだよな?」


「うん? 私は別にすぐに籍をいれちゃってもいいけど? 妻って言えるよ?」


「いや、そこは最低限響花の卒業までは待つよ。それに在学中に籍なんていれたら、それこそ学校中の注目の的になるぞ」


「うへぇ。それはヤだな」


「別に焦って籍を入れる必要はない。もうちょっと一緒に暮らして、ゆっくり考えて……それからでも遅くはない」


 不安定だった階段を登り終える。木々に覆われてた視界が開ける。境内には社務所なんてものはなく、やや雑草の見える玉砂利と苔の生えた石畳が、古びた社まで続いている。


 境内に入る鳥居をくぐり、手の先にいる響花に視線を向ける。


 開けた境内に風が舞い込み、ふわりと響花の黒髪がなびいた。


「もしその時が来たら改めてプロポーズさせて欲しい。その時に響花の返事を聞かせてくれ」


「…………」


 俺の言葉に、響花は迷うように目を伏せた。


「……──はぁ」


 数秒の後、響花は諦めたかのようにため息をはいた。


「もう、光太郎さんは臆病だなぁ。そんなんだから今まで結婚できなかったんだよ?」


「ほっとけ」


 俺は響花の言葉に苦く笑った。


 響花は俺の手を指を絡めるように握り直す。


 ぎゅっと力を込められた。


「光太郎さんがそんなこと言っても、私はこれからも光太郎さんの所に通いつめるし、お弁当だって毎日作ってあげるから」


「ああ……。でもたまには休めよ」


「それに、いっぱい遊びにいこうね。私、光太郎さんとまだまだいっぱい、いろんな景色がみたい」


「ああ。けど、おっさんだから少しは加減してくれ。ぶっ倒れる」


「こ、これからも一緒に寝るからね?」


「ああ。けど急に別に寝るのなんて無しだからな。たぶんすげぇ傷つく」


「私頑張るよ。光太郎さんがもう一度、ちゃんとプロポーズしてくれるように。待ってるから」


「それは俺もだ。響花が胸張っていられるようにしないとな」


「そ、そそ、それに、その、よ、夜の方も」


 握り合った手から手汗が伝わってくる。


 流石に笑ってしまった。


「うわ……人がせっかく勇気だしてるのに酷くない?」


「悪い悪い。そっちはまあ──気にするなよ。頑張るのは俺の方だ」


 それはもう、色んな意味で……。


「うん……。じゃあ期待してる」


「おう……」


 期待されてしまった。


 悪戯っぽく笑う彼女に俺は軽く冷や汗をかく。


「さてっと──もうそろそろ花火始まるかな?」


 響花は空を見上げた。


 時計を見れば確かに始まる時間が近い。


「階段のところで座ってろ。たしかそこが一番よく見えるはずだ」


「え? あ、うん」


 小首をかしげる響花を置いて、俺は社の賽銭箱まで向かい手を合わせてから、響花の元に戻る。


「どうしたの?」


「場所をちょっとだけ借りますって断り入れてきた。バチとかあたったらたまらないしな」


「へー。律儀だねぇ」


「考えが古いだけだ」


 響花と並んで石階段に座る。


「……他に人、居ないね」


「まあここは地元民だけが知ってるスポットみたいなもんだし。けどそうだな……俺がガキの頃はもっと人が居たけど……」


 ここを知る人も、少なくなったと言うことだろうか。俺みたいなおっさんは家庭を持ってて家で見て──子供は少なくなる一方だから知られることもなく──。それは少し寂しいことではある。


「あ! 光ちゃん、打ち上がったよ!」


 指を指した先、空に上がる花火の導火線が見えた。蛇のようにうねって上がった火種は空高くまで飛び、フッと消えると──


 空に大きな大きな円く赤色の菊が開き──同時に、轟音と振動が俺たちに伝わってくる。その音と振動は遠目で見るような打ち上げ花火とは比べ物にならない。痺れるような振動は、まさに衝撃だ。


「わっ!」


 その音と振動に響花はびっくりして身を震わせる。驚いた顔を俺に見せると、珍しくはしゃいだ笑顔を見せた。


「凄い! こんな間近で花火見るのはじめてかも!」


 光とほぼ同時に来る打ち付けるような衝撃は、花火との距離がそれほど離れていないことを現している。小高いこの神社は都合よく境内からの見晴らしがよく、こういった打ち上げ花火がより間近で味わえる。


「ほら、二発目上がるぞ」


 再び導火線が空に見え、次の瞬間には緑色の星が弾けた。


「ひゃー!」


 花火を見て、来る振動に響花は楽しげな声をあげる。


 そうやって大玉が何発かを俺たちは楽しむ。


 オープニングの大玉が終わると、次は落葉や柳などの小さめの打ち上げ花火が始まる。


「……綺麗だね」


「そうだな……」


 小さめの花火だが、それでもよく見えた。


 この場所で花火を見るなんて何年ぶりだろうか。


「────」


 後ろについた手に暖かくて柔らかいなにかが触れる。チラリと見れば、響花の手が重なっていた。


「光ちゃん……ここ、他に誰も居ないんだよね?」


 重なった俺の手を響花が握る。


 俺を見上げる響花の目は少しだけ潤んでいて、なにかを期待しているかのような色をしていた。


 そんな目をされたら……我慢できなくなるだろ。


 花火の色に照らされる彼女の頬に、撫でるように手を置く。


 顎を気持ちあげて、目を閉じた響花の唇に、俺はそっと唇を重ねた。


 触れるだけだった昨日のキスより、少し深く唇を押し付け、唇で甘噛みするように響花の下唇を挟む。


「ん……」


 お返しと言うように、響花も真似て俺の上唇に吸い付いてくる。


 そんな応答を数回繰り返し、俺は唇を離す。


 花火で照らされるより赤く、上気した表情の響花がそこにいた。


「きょ──」


 俺が言葉を発するより早く──


 響花が俺に抱きついてきた。とっさのことでその勢いに耐えられず、俺は響花を抱えて背中から倒れる。


「──光太郎さん」


 俺に覆い被さった響花が、艶っぽい声を出す。花火を背にして、火照った顔はどこか妖艶で──しかし、可愛かった。


「お前、花火見逃すぞ」


「……光太郎さんは、私と花火、どっちがきれい?」


 ちょっと子供っぽく唇をとがらせながら、そんなことを聞いてくる。


 思わず、鼻で笑ってしまった。


「ばーか」


 響花の背後で、三重の花を咲かす花火と、真剣な響花の瞳に、俺は目を細める。


 ああ、本当に綺麗だとも──。


「お前しか、見えねぇよ」


 それは今までも。


 そして、たぶん、これからも──。

 

 

 

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