17:俺と彼女と離れる距離②
※ ※ ※
バカな私は、大人は大変だなと最初は他人事のように考えていた。
けどお風呂に入り、歯を磨いて寝る準備をするにあたって、なんだか胸の中のモヤモヤが大きくなっていくのを自覚していた。
そのモヤモヤはベッドに潜っても眠れないほど、大きくなっていた。
落ち着かない……。
暗闇の中、起き上がる。下を見ればこの時間であれば光太郎さんが寝ているが、今は居ない。そういうはじめての事に、戸惑いを覚える。
胸の中のモヤモヤが少し大きくなる。
これは恐らく、寂しさだけではなく──恐怖にも似た感覚だ。
そんな感覚に陥る正体は、わかっている。それは──、
──もしかして、私のせい?
今、光太郎さんがこんな時間に仕事に駆り出されているのは、私のために無理をしたせいではないか。そんな気持ちが芽生えてくる。
先ほどの会話を思い出す。
私がこうして待っているから、彼は仕事を早く切り上げようとして、何か間違いを起こしてしまったのではないか。今日の呼び出しは、それの尻拭いではないのか。
私のおかげだと得意気に言った自分の言葉が、途端に恨めしく感じてくる。
おかげなどではない。私のせいだったんだ。
どうしよう……と思うと、スマホにL○NEの着信音が鳴り響いた。静かな部屋の中、いっそうそれは大きく響き、私はびくりと肩を震わせる。
着信は光太郎さんからのメッセージだった。
『光太郎:ちゃんと寝たか? 俺が居ないからって夜更かししすぎるなよ』
私はそのメッセージを無視し、ひとつ尋ねた。
『きょーか:もしかしてお仕事のトラブルって、私のせい?』
数秒もしないうちに既読がつく。
『光太郎:何言ってるんだお前。自惚れんなよ。そんなわけないだろ。これは俺の問題だ』
『光太郎:アホなこと言ってないで寝ろ。もう二時過ぎてるぞ』
『きょーか:光太郎さんは?』
『光太郎:俺ももう寝る』
なんとなく、嘘だと感じた。もし寝るのであればたぶん私にメッセージなんて寄越さない。
そんなことが分かってしまうくらいには、彼のことを知っているつもりだった。
『きょーか:わかった。寝るね。おやすみ』
『光太郎:おやすみ』
これは彼なりの気づかいだ。たぶん、光太郎さんも私がひとりで居ることに気をかけてくれたのだろう。今、仕事で忙しいだろうというのに、だ。
でも裏を返せば、それは彼の負担になっているということでもある。
当然だ。私は、光太郎さんの生活に割り込む形でここに居る。
…………光太郎さんに迷惑はかけられないよね。
私はひとつの決断をすることにした。
その日は、眠れそうになかった。
※ ※ ※
俺はようやく再び家に帰ってこれた。
結局二十四時間ほど駆り出されていた。
といってもずっとパソコンにかかりっきりだったわけでもなく、仮眠はとっていたし、本社と事務所を行き来する移動時間だったりと、だ。
いやでも稼働超過だろこれ。振休もらえるとはいえ、結局休日出勤も確定したし……。
まだ問題は解決したわけではないが、少しばかり光明が見えてきたお陰で、少しは気が楽になった。
鍵を開け、部屋の中に入る。
「ただいま……」
「あ、おかえりなさい……大丈夫?」
玄関で響花が出迎えてくれる。そのいつもの事にホッとしつつも、少しの違和感を感じる。
「なんか、元気なくないか?」
「そう? そんなことないよ?」
「俺が居なくて寂しかったとか?」
「あはは、そうかもね」
軽口を叩いてみるが、いつものような反応が返ってこない。どこか大人しい。そう感じた。
いつもの響花であれば顔を真っ赤にして怒って真っ先に否定しそうなものだというのに。
「お腹空いてる?」
「ああ。腹へった」
「それじゃ、ご飯にしよっか」
そう言って響花はエプロンをつけてコンロの火を入れ直した。
響花が料理を温め直している間に、会社から持ってきたパソコンを開き、メールをチェックする。特に先方からの指摘がないことに胸を撫で下ろす。
「光太郎さん、お仕事?」
料理を持ってきた響花が不安そうに眉尻を下げていた。
「ん? ああ、大丈夫だ。昨日みたいに呼び出されはしない」
パソコンを閉じ、脇に避けながら、響花を安心させるようにと作り笑いを浮かべる。
響花が持ってきたのは豚のしょうが焼きだった。少しでもスタミナ付けるようにとの事だ。
舌鼓を打ちながら食べ進めていると、どうにも響花の食の進みが悪いことに気が付く。
「食欲ないのか……?」
「あ、ううん。そんなことないんだけど……」
響花は笑って見せるが──直ぐにその笑みは引っ込み、目を伏せて箸を置いた。
「あのね、光太郎さん」
「……なんだ?」
さっきからのどこか上の空のような、よそよそしい態度に俺は察するものがあった。なんとなく、次に出る言葉が予想できる。
恐らく、続く言葉は──、
「私、明日には家に帰ろうと思うんだ」
「………………」
予想は当たっていた。しかし、当たっていても上手い言葉が出てこなかった。
何故? とか今さら? とか疑問が浮かんだが、最初に出てきた言葉はこれだった。
「もしかして、俺の仕事のこと気にしているのか? それだったら──」
「違うよ」
続けようとした言葉は、彼女の静かな一言に遮られた。
「家出し続けるのも、色々と限界だったからさ。だから光太郎さんの仕事とか関係ないよ。私が、身勝手なだけ」
そう言って彼女はどこか寂しそうに笑う。
俺は口を開こうとして──しかし、失敗した。
家出なんてし続けていいはずがない。そんなことは分かりきっている。俺はひとりの大人として、彼女の帰るという言葉を否定できない。
彼女を居候させた時点で、いつかこういう日が来るのだってわかっていたはずだ。むしろ長すぎたといってもいい。最初はすぐに出ていくものだろうと、考えていたのではなかったか。
だから、俺が寂しく感じるなんて、そんなものは間違っている。
「そうか」
結局──俺の口から出てきた言葉はそれだけだった。
彼女のことを考えるなら否定するべきではない。
それなのに、喉に刺さった小骨のような違和感があった。それがなんなのか判断するのは、俺は彼女のことを知らなさ過ぎた。
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