26:俺と彼女のお弁当




 十二時を過ぎると、周りの空気ががらりと変わる。


 仕事中の真面目な空気とは打って変わって、雑談や談笑の声が聞こえてくる。


 屋外に連れだってランチにいくもの、コンビニのおにぎりにかぶりつくもの、弁当をもって休憩スペースに向かう集団、カップラーメンを持って給湯室に向かうもの、そして自席で弁当を広げるものだ。


 俺はコンビニ弁当派だったのだが、数週間前にめでたく弁当組にクラスチェンジした。


 コンビニ弁当の雑な味付けも好きだけど、毎日は飽きてくる。


 そこでこの手作り弁当だ。食事のバリエーションが増えると言うのは、やはり日々の生活に彩りを加えてくれる。


 弁当を包むハンカチを広げて、二段重ねの弁当を開く。


 真ん中に梅干しの白米の箱と、おかずが盛られた箱。基本冷凍食品なのでおかずはちょっと茶色に片寄っているが、唯一の手作りの卵焼きがちょっと嬉しい。


 こういうのでいいんだよ。こういうので。


 作るのにすごく時間がかかりそうなキャラ弁や、変に拘った料理入れられるより、昨日の残り物や冷凍食品でいい。そう、響花にも伝えてある。


 朝忙しいのにそんな手間かけさせられないからな……。


 ただでさえ身の回りのこと色々やって貰っているのに、あまり負担を増やすようなことはさせられない。


「北条くん、最近手作り弁当が多いね」


 隣の席の先輩がにこやかに話しかけてきた。眼鏡をかけた、ちょっとかっぷくのいい先輩だ。名前は三田さんと言う。三田さんは、俺と同じように弁当を広げていた。


 あちらの弁当は、プチトマトや手作りっぽい唐揚げと、ずいぶんと作り慣れた感じのある弁当だ。


 まあそれも当然のはずで、先輩の奥さんなら既に結婚して二十年と言っていたから、それこそ年季が違う。


「先輩のところの愛妻弁当に比べたらつたないものですよ」


「ハハハ、愛妻かぁ……」


 失言だったか。少し遠い目をされた。


「北条くんのは初々しくていいね。いやぁ……それにしても、北条くんに彼女がねぇ……」


 プチトマトを口にいれながら先輩がしみじみと言う。


 彼女……彼女? 彼女にしていい年齢じゃないだろうなぁあの子は。年齢倍離れてるぞ。


「そんなに意外ですかね……」


 しかし、ここで否定すれば話がこじれる。合わせておくのが無難だろう。


「あれ? センパイ、ついに彼女出来たんですか? うっわ……あ、おめでとうございます」


「神田さん。お前、今うっわって言っただろ」


 後ろにいた後輩の女性が俺と先輩の会話に混ざってくる。この子も弁当組だ。


 俺がひと睨みすると、彼女は誤魔化すように「気にしないでくださいよ」と笑った。


 貧乳だがスレンダーで背も高く、茶色に染めたボブカットと、泣きホクロが特徴的な綺麗な子だ。


 が、俺は知っている。クリームコロッケが美味しそうな、今彼女が食べている弁当は母親製であることを、だ。


 見た目は女子力高そうなんだがな……。


「センパイもあれですか? 婚活ってヤツですか?」


「まあ……そんなとこだよ」


 出会いを考えると、あれは、パパ活? という気もしなくはない。しかし、それをこの場で言えるわけもない。


「センパイ水くさいじゃないですか。この間の飲み会じゃ、そんな事言ってなかったのに」


「言う必要があるのか?」


「ありますよぉ」


 ねぇと、神田さんは三田さんに同意を持ちかける。


 おい、やめろ、三田さんを味方につけるな。


「そうだねぇ。課長も北条くんが結婚しないのは気にしてたからね」


「はぁ……そうですか……」


 と、言われても。


 彼女作れや、結婚しろやとは簡単に言ってくれるが、そういう恋愛事や結婚なんて事柄にリソースを割けるほど余裕がなかった。


 仕事しながら恋愛や結婚、そして子育てまでできる人たちは凄いと思う。


 だから三田さんなんかは凄い尊敬している。


 ずっと独り身でも、何となくわかる。彼ら、彼女らは何とかしてきたわけではない。何とかしなければならなかっただけだ。けどそうしていけるほど、その想いは強かったのだ。


 その想いはきっと純粋なものだけではないだろう。それは今後の生活だったり、社会の目だったり、あるいはなし崩してきな不可抗力だったり、遺産や、金目当てなんてのもあるだろう。


 それでも彼らは立派にこの世界のルールのなかで生き方を模索し、相談しあい、活動してきた。そこまでエネルギーの回らない俺には遠い世界だと思った。


 今の俺はどうなんだろうなと、弁当の白米を口に放り込みながら思う。


 響花の事で考えることや、悩むことはたくさんある。


 けれどそれが俺を圧迫している気はしない。


 楽しいかどうかはわからないけれども、今までとは違う生活に嫌な気分はしない。


 今のところなんとかなっているが、何とかしなければならない日がやがて来るのだろうか。


 ──いや、違うか。


 何とか、という受け身ではない。


 何か、をしなければならない日がやがて来る。それが何なのか、今の俺でははっきりとしないが、その日は必ずやって来る。


 響花の作ってくれた卵焼きを味わいながら、そんなことをぼんやりと思う。


「センパーイ、遠い世界に行ってますよー」


 神田さんが目の前で手を振っていた。


「……疲れてるんだよ」


「まだ午前終わったばっかりですけど」


 神田さんは食べ終わった弁当箱を閉めると、俺の方に向き直った。その目は正しく目の色が変わったと表現するにふさわしく、俺は嫌な予感がする。


 助けを求めようと三田さんに視線を向ければ、既に昼寝に入っていた。


「それで、センパイの彼女ってどんな人なんですか!?」


「はぁ……」


 男女問わずどうして人の彼氏彼女に興味を持つのだろうか。別にどんな人だっていいじゃないか。コメントに困るぐらいの人だったらどうするつもりなのか。


「写真とかないんですか!?」 


「お前に見せる必要ないだろ」


「えー、ありますよぉ」


「ない。一切ない。これっぽっちも理由が存在しない」


 そもそも写真を持ってないなんて口が避けても言えない。


 とりあえず、なんとしてでもはぐらかさないと。


 彼女ですらない女子高生に弁当作ってもらっているなんて知れ渡った日には、何を言われるかわかったものではない。


 特に女性に伝わればあっという間に、よく分からない女性ネットワークでフロア中の女性社員に伝わるだろう。


(ヒソヒソ……あいつロリコンらしいよ……)


(ヒソヒソ……若い子たぶらかして家政婦紛いの事させてるって……)


(ヒソヒソ……メイドプレイって事? うっわサイテー)


(ヒソヒソ……通報した方がいいんじゃない?)


 なんてコトになれば社会的な……死!


 そんな事態だけは避けねばならない。


「いいじゃないですか写真の一枚ぐらい」


「しつこい。それに新人の頃教えただろ?」


「? なんですそれ?」


「知りたいことは自分で調べろ。それが正解への近道だ」


 そう言うと、神田さんは物凄く嫌そうな顔をした。


「それ、全く役に立たなかった助言じゃないですか」


「……それは、知らん」


 そうか。役に立たなかったのか。少しショックだ。っていうか今更言わないでくれよ。いや、今更だから言うのか。


「もーいいです。あることないこと言いふらしてやりますから」


「それはマジでやめてくれ」





※  ※  ※





「響花。最近弁当だよね」


 クリームコロッケを一口で頬張りながら、敦子は私の弁当を箸で指した。


「敦子。お行儀悪い」


 ウェーブのかかった癖っ毛を首の後ろでひとつにまとめた私の友達の敦子は、私の指摘などどこふく風で私のお弁当を見ている。


 これは何かおかずを欲しがっている目だ。


 学校の教室。いろんなグループが各々お昼御飯を食べている中、私も友達とお昼をとっていた。学習机をテーブルにして、私と敦子、それと美咲の三人で囲んでいる。


 美咲も私の友達の一人で、眼鏡をかけたおさげの子だ。見た目も言動も大人しくて、元気のいい敦子とは対照的な子でもある。


「卵焼き美味しそう。はいウィンナー」


「お? じゃああたし、コロッケ!」


「え? あ、ちょ──!」


 机においた蓋にウィンナーとクリームコロッケが置かれると、二人の箸が私の卵焼きを奪っていく。


「私、良いって言ってないのに!」


「んぐ……いいじゃん。減るものでもなし。普通の味だ」


「ん……っ。減ってるけどね。普通」


「う、ううううー。奪われたあげく感想が普通ってのがちょっとムカつく」


 怒りに任せてウィンナーを一口で食べる。美味い。


「そうだ! 今日こそカラオケいこーよ! テストも終わったしさ!」


 敦子が少しはしゃぎ気味に言う。


「うん。今日は塾もないし」


「あー……えっと、ちょっと待ってね」


 美咲が静かに同意する中、私はスマホを取り出して光太郎さんにメッセージを送る。


 向こうもお昼だったのか、すぐに返信が返ってきた。


「うん。オッケー。いこっか!」


 そう笑顔で答える。が──


「ねぇ、響花。前から気になってたんだけどさぁ」


「ん。いったい誰の許可? 確か今は独り暮らしでしょ?」


「え……」


 ギクリとする。私と光太郎さんの関係は彼女らには秘密だ。


「もしかして……彼氏ですかにゃあ?」


「そうなの?」


 二人して私のスマホを覗き込んでこようとする。私は慌ててスマホをオフにして胸元に伏せた。


「ちょ、やめてよ。プライベート侵害!」


 二人はやれやれといった感じで座り直す。


「しかし、響花にもついに彼ピかー」


「水くさいよね。言ってくれてもよかったのに」


「いや、彼氏じゃないから……」


「え? じゃあ誰なの?」


「親戚のおじさん」


 すかさずそう答えた。聞かれたらそう言おうと準備していたのもある。だが、ここで少しでも迷ったらきっと遠慮のない追求が来る。


 大丈夫。半分しか嘘は言っていない!


 しかし二人ともまだ疑いの眼差しだ。


「ほら、私、そのアレじゃん? だから親戚が少し面倒を見てくれてるの」


「あー……」


 そう言うと二人はようやく納得の表情を浮かべた。


 私の両親が亡くなっていることは二人とも知っているから、アレで通じるのは気が休まる。


 でも、私のおじさんの関係か……。


 今の関係は、なんと言えばいいのだろう。付き合っているわけではないから彼氏彼女とは違う。けど同棲はしている。親と子とも違う。


 強いて言えば確かに親戚の叔父さんと姪だけど、血の繋がりがあるわけでもない。


 変な関係だと私でも思った。



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