07:俺と彼女と晩御飯
基本的に俺は仕事中ほとんどスマホを見ない。業務上の連絡ならば個人の固定電話もあるし、メールやチャットで済むからだ。よほど急ぎの用事でもない限り業務中にスマホを使うことはなかった。
そもそも、今まで急用で連絡してくる奴もいなかったし、友達から不定期に来るL○NEも仕事帰りにでもみれば十分だった。
だからいつもスマホは鞄に収まったままで滅多に見ることはなかった。
一通り明日の打ち合わせに使う資料が完成し、一息ついた所でメールが届いた。課長からだ。中身を見れば課全員に定時日によりなるべく早く帰ることとの内容だ。中身事態は毎週送っている定例メールで、よほど急ぎの用事がない限り定時上がりを推奨している。
そのメールを見て、はたと気がつく。そういえば響花へ帰る時間を連絡しとかなければならない。時計を見れば16時を過ぎており、俺は滅多に取り出さないスマホを鞄から取り出した。
スマホを見ればいくつかL○NEのメッセージが届いていた。すべて響花からのものだ。
『きょーか:光太郎さーん』
『きょーか:おーい』
『きょーか:ミドクスルー』
後半二つはスタンプだったがどうやら数時間以上気付けていなかったようだ。
『光太郎:すまん。今気がついた』
送った瞬間既読がついた。
『きょーか:おーそーいーよー』
『光太郎:やかましいこっちは仕事中だ』
『きょーか:そっか。ごめん』
素直に謝られるとちょっと調子が狂う。
『光太郎:いや、こっちも悪かった。気付いてやれなくて』
『きょーか:いやいやこちらこそ』
『光太郎:いやいやいや』
なんだこのやり取りは。
『光太郎:それより何か用か? 今日は十九時過ぎには帰れると思うが』
『きょーか:おー! すごーい、はやーい! どうしたの?』
『光太郎:そういう日なんだよ。で、用は?』
『きょーか:お醤油切れそうだから買ってきて! あとめんつゆも』
なんだお使いか。大した用事ではないようでどこかホッとする。何か事件でも起きてしまったのかと思った。
『光太郎:了解』
短く返答し──少し考える。
『光太郎:L○NE気づけなくて悪いな。仕事中はあまりスマホ見てないんだ』
なんだか言い訳がましいと思い、さらに一言付け足す。
『光太郎:今までL○NEする相手も殆ど居なかったからな』
益々言い訳染みてしまった気がする。
すぐに既読が付いたものの反応はない。いやまあ反応に困るメッセージを送ってしまったと、送ってしまってから気が付く。異性とL〇NEをするなんて仕事での事務的なやり取り以外無く、どういうやり取りが良いのか勝手がわからない。
さて、どうしたものかと考えていると肩を叩かれた。
「!?」
いきなりの事に驚きビクリと反応し振り返る。
課長が笑顔で立っていた。
思わず愛想笑いを返す。
「お仕事、しようか」
「…………はい」
俺はそっとスマホを鞄に戻した。
いつも寄る駅前のコンビニを素通りして、スーパーに向かう。帰り道とは反対の方向だが致し方ない。コンビニでも醤油とめんつゆぐらいは買えるが、なんだか負けた気がするので、調味料なんかはスーパーを選ぶ。
本当は晩飯もスーパーで調達した方がいいのだが、だいたい帰る時間帯に寄っても半額弁当どころか三割引の弁当すら置いてない。こうしてある程度早めに帰れる時なら三割引の弁当がおいてあるが、今は響花が晩飯の準備をしてくれているはずなので買う必要はない。
なのでさっさと目的の物を買って帰路につく。
スーパーを出て直ぐに、蒸し暑いなと感じた。店内は空調が聞いて涼しかった分、余計にそう感じてしまうのだろう。
日は既に西に沈んでおり僅かな残光だけが空に残っていた。それでも地上に残った熱はまだ引かず、湿気とほのかに熱のある風が頬を撫でた。
季節はもう梅雨入り間近だ。気温も湿気も高くなってきて、そろそろ背広を羽織る時期ではない。
自然と額には玉の汗が浮かび、ハンカチでぬぐう。
夏がやってくるなぁと、ハンカチについた染みを見ながらぼんやりと思った。
「あ、おかえりなさい……」
「た、ただいま」
やはりまだ自分の部屋に誰かが待っている状況に慣れない。
それよりも慣れない……というより初めて嗅ぐ匂いがキッチンには充満していた。醤油をぶちまけたような匂いだ。
制服姿にエプロン姿で響花はフライパンで何かを煮込んでいた。煮込んでいる……はずだ。グツグツ煮えたぎっているし。
フライパンの端までなみなみと注がれた黒茶色い液体は匂いからすると醤油系の何かだろう。だが具材が全く見えない。というかなんの料理か全くわからない。
「ナニコレ?」
「えっと……カレイの煮付け……かなぁ?」
「…………悪い。どこが?」
「ほら、ここにいるよ! ここに!」
響花が菜箸で液体の中をつつくとカレイの黒い皮がちらっと見えた。皮どころか身まで黒く染まりきっている。
「…………醤油とめんつゆ買ってきたけど」
「わあ、ありがとう! これ作ってたら切らしちゃって」
もしかして、このフライパンに醤油のボトル全部使ったのか。
「何でこんなことになった……?」
いくらなんでもこれが普通の料理だとは響花も思っていまい。
やはり響花もそう思っているのか、逃げるように視線を逸らすともじもじと指先を合わせて言い訳を始めた。
「いや、あのですね、カレイの煮付けを作ってみようと思ったんですよ」
「うん。で?」
「最初醤油だけ入れてつくったらやたら味が濃くなっちゃって慌てて水をいれたんだけど、今度は薄くなりすぎちゃって」
「ほうほう」
「で、また醤油をドバーッと入れたら濃くなっちゃって、また水を入れて……気がついたらこうなってました!」
「レシピを見ろぉー!」
頭を抱えた。
しかし、もう作ってしまったものは仕方がない。フライパンで煮えたぎっている醤油を見るだけで胸やけがするが、覚悟を決めよう。
「……食うぞ」
「えっ、これ食べるの!?」
何のために作ってたんだ。
「ああ、食うとも。お前が俺のために用意してくれた食事だろう? ああ、食ってやるとも」
「ほんと、マジごめんなさい。次からレシピちゃんと見ます」
全く……食材を買うお金は誰のものだと思っているのか。
皿を出すと、響花が菜箸でカレイの身をつかんで皿に善そう。何時間煮込んでいたのか、身は完全に煮崩れて切り身の形が分からないほどボロボロになっていた。
二人分の皿に黒いカレイだった何かを乗せ、部屋のテーブルに置く。
「ごめんね! お味噌汁温めるからちょっと待ってて」
響花はキッチンから何往復かして炊飯器、ご飯茶碗、箸と晩飯の準備を進めていく。
あとこれも、と出されたのはほうれん草のおひたしだった。
「へぇ……なんか意外だな」
「──お母さんが好きだったんだ」
そう言い残して響花はキッチンに消えていった。
「それに、煮付けだけだと食卓が寂しいでしょ?」
味噌汁を持って直ぐに響花は戻ってくる。
「まあ、確かに」
味噌汁を受けとる。味噌汁の匂いが鼻孔をくすぐり、安心感を覚える。こういうところつくづく日本人だなと思ってしまう。
「では……いただきます」
「いただきます」
手を合わせ、箸を掴む。
いやしかし、見れば見るほどこの煮付けは異様なオーラを放っているな。どす黒いオーラが。
隣では響花が頑張ってと握りこぶしをつくって俺が食べるのを応援している。いやお前も食べろ。
骨を選り分け、解した黒く染まった魚だったものの身を口にいれる。
「ぐ……ッ!」
目を見開く……先程のような暑さからではない、全く別の汗が額に浮かぶのを自覚する。
「ど、どう!?」
「…………」
俺は無言でご飯茶碗を持ち、大量に口の中にご飯を詰め込んだ。ご飯の甘みでその濃さを誤魔化し、何とか咀嚼する。
「…………
不味いとか、苦いとか、
絶望の表情をした響花が、意を決した表情となり煮付けのような何かに箸を伸ばす。
口にいれた瞬間、泣きそうな表情を俺に向けてきた。
「頑張れ」
響花は俺と同じようにご飯を掻き込み、何とか嚥下した。
「醤油の味しかしない……」
さて……どうしたものか。
ふと、そこでお浸しが目に入る。
「このお浸し、何もかけてないのか?」
「うん……あ、お醤油持ってくる?」
「いや、いい」
これは使えるかもしれない。
お浸しを箸で一掴みし、解さなくても勝手に解れている煮付けの身を合わせて一緒に食べる。
「こ、光太郎さん!? 無理しなくていいんだよ? ペッしてペッ!」
「……いや、これならなんとか食える」
「えっ!?」
様はシラスや鮭フレークの延長線上だと思えばいいのだ。いやそれよりは十倍ぐらいしょっぱい気もするが、水っぽいものと米さえあれば行けなくはない。
「ホントかなぁ……」
響花は真似してお浸しと煮付けを合わせて口に運ぶ。
「…………ごめん。無理」
しかし、直ぐに眉根を寄せて渋い顔をした。お気に召さなかったらしい。
それもそうだろうなと思う。
俺の方は、長年の独り暮らしで舌がバカになっているのかもしれない。もしくは歳のせいか。ともあれ、黙々とほうれん草のお浸しを使って煮付けを処理していく。
「あの……光太郎さん……」
カチャリと箸を置く音が隣から聞こえた。
「ごめんなさい。まともにご飯作れなくて……」
目を伏せ、しょぼくれた様子で肩を落としている。
「やったじゃん」
「──え?」
「出来ないことを認めて、至らないと気がついて……そういうの俺は良い事だと思うよ。そう言うことを一つずつ重ねていって、出来るようになって行けばいい」
まあ、それでもできない事ってあるけど、と最後に付け足す。
そんな俺の言葉に響花は目を丸くしていた。
「……すまん、説教臭かったな」
「ううん」
響花が首を横に振る。
「なんか、そういうこと言われたの初めて」
「んなこたぁ無いだろ。親とか先生とか、当たり前に言ってることだと思うけど」
「うーん……」
思い当たらないのか、指を口に当て天井を仰ぎ見て考えている。
「多分それより──」
響花が天井から視線を外し、俺を見た。
「光太郎さんに言って貰えたのが嬉しかったかな」
ふわりと笑う彼女に俺は、何と反応すべきかわからず、
「そうかい」
結局出てきたのは結局ふわりとした言葉だった。
「──ご馳走さま」
そう会話している間にも、俺は自分の分を平らげてしまった。響花の分が丸々残っているが流石にこれを二切れは血圧が上がりそうなので遠慮する。
「ありがとう、光太郎さん」
「こちらこそご飯ありがとさん。でも、お茶持ってきて」
さっぱりしたものが欲しくなった。そんな夕食だった。
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