第二部
24:俺と彼女と夏の到来
夏が来た。
灼熱ともいえる日差しが、洗濯物を照らしながら窓辺から差し込み室内気温を上げている。
セミはけたたましく鳴き、その声だけで暑さが倍になったかのような錯覚を受ける。
窓から覗く空は青く日差しを遮るものがない。
遠くには入道雲が大気の壁にぶつかり大きな傘を広げていが、夕立で気温が下がるとしてもだいぶ後だろう。
テレビでは連日の真夏日と今年最高気温更新を告げ、それらがまた暑さを加速させている気がした。
しかし、それらを全て打ち消すクーラーという文明の利器が人間にはある。八畳のたいして広くもないワンルームは、おかげで程よく過ごしやすい。
クーラーがないと、日本の、埼玉の夏は過ごせない。地球に殺される。
「何ボーっと外見てるの?」
頭上から声が降ってきて、その主を見上げる。
昼食の準備が終わったのだろう。響花がお盆を持って立っていた。
「おまたせっ」
膝を折って、お盆を床に下ろし、テーブルの上に出来上がった昼食を並べていく。
「やっぱり、夏と言えば素麺だよね」
一口サイズにまとめられた素麺は、大皿にざるを敷いてテーブルの中央に。氷の入っためんつゆを俺と自分の前に置き、最後に薬味が盛られた小皿を置いた。
「それじゃ、いただきます」
「いただきます」
めんつゆに薬味をいれて、素麺を入れ、ちゅるりとすする。
「んーっ」
隣で同じようにすすった響花が歓喜に喉を鳴らす。
俺も爽やかな喉ごしに清涼感を感じ、頬を緩めた。
「美味い」
もう一口箸が進み。
「美味い」
もう一口すする。
「うま──」
「光ちゃん、私の分まで食べないでね?」
「おっと、すまん」
苦笑しながらたしなめる響花に従って、箸のスピードを緩める。
「そんなに素麺好きだった?」
「いや……なんというか、いままでコンビニで買うぐらいだったけど……作ってもらったのはまた格別というか」
大皿の素麺を見る。既に半分が無くなっていた。
「こうして作ってもらえると、夏が来たなって感じがするんだ」
「ふぅーん」
「でも、毎日は流石に飽きるからやめてくれな」
そういうと響花はピクリと手が止まる。
「響花……まさかお前……」
半目で睨むと響花はついっと目をそらし
「いや、その、楽できるかなって」
「お前だって飽きるだろうが」
「あう……そういえばそうだった」
響花は照れ隠しに苦笑すると、話を変えるように窓の外を見上げる。
「しかし、暑いねぇ……今日も最高気温35℃越えだってさ」
「数値を聞くだけで暑くなるな」
「ねー」
「俺がガキの頃はそこまで暑くなかった気がするんだけどな」
「そなの?」
響花が素麺をちゅるんとすすりながら上目遣いで俺を見る。
もちろん日によるんだけどさ、と前置きし、
「真夏でも午前中はクーラーなしで過ごせたし、風はそこそこ涼しかったし」
今はクーラー無しでは朝起きたときから汗びっしょりだし、風はいつだって熱風しか寄こさない。
「俺の実家、田舎だからなぁ……関東とは違うんだろうけどさ」
それでも最近お盆に実家に帰ると、昔より暑くなった気がしないでもない。これは歳を取ったせいでそう感じるのか、温暖化のせいなのか。
「私は、子供の頃から朝も夜も暑いと思ったけどなぁ……ちなみにおじさん、それ何年前の話?」
「…………」
ずるりと素麺をすすって……視線を逸らす。
「22年前……ぐらい、かな」
「あっ、私まだ生まれてないね!」
その言葉に、俺の箸が止まった。
そ、そうかー。生まれていないかー。生まれてなきゃわからないよなぁ。そうかー。
何時からだろう。新入社員とか若い子と話していると「まだ〇〇ぐらいの頃ですね」っていう言葉にショックを受けるようになったのは。
器に残っていた素麺を一本すする。
うーん、どこか寂しさを感じる味がする。
◇ ◇ ◇
響花と暮らしはじめて一ヶ月が経った。
前回の家出と違って今回はほぼ同棲だ。
といっても最初二週間以上一緒に暮らしていたこともあり、あれから大きく何かが変わったと言うこともない。
強いていえば響花の私物が部屋に増えたことぐらいだろうか。
ハンガーラックには俺の服の隣に、響花の私服が並んでいる。
その他のインナーや下着類もタンスに仕舞われた。タンスは一番下の段を解放したが、「勝手に開けたら訴える」と恐ろしいことが書いてある。正直洒落になってない。
その他にも、彼女のsw○tchやら、お気に入りのビーズクッションやら、教科書やらが所々に置かれ始めている。
一気に様変わりしたわけではないが、自分のものじゃないものが俺の部屋に散らばっているのは、なんだかこそばゆい気がした。
家事全般はありがたいことに、変わらず響花がやってくれている。最初は掃除や、洗い物などの分担を提案したのだが、
「いいのいいの。住まわせてもらってるんだから私がやるよ。光太郎さんはゆっくりしてて」
と、笑顔で断られてしまった。
元々掃除もほとんどしなければ、洗い物も洗濯物も溜め込むタイプの俺は、その言葉に甘えてしまっている。
こうして暮らしていく中で、俺たちはいくつかルールを決めた。
一つ、レシートは持ってくること。
家計簿をつけるためだ。それは無駄に変なものを買ってこないかの抑制の意味もあったし、お金の管理を学ばせる意味でもあった。
暮らすのに一月にいくら収入があって、いくらお金が出ていくのか。いずれ学ぶ知識だとしても、早いに越したことはない。
まあそのせいで俺の月収教える必要があったが……。
一つ、彼女の親が残したお金は将来の自分のために使うこと。
それは大学への進学費用だったり、免許の費用だったり、だ。
今自分が持っているお金が、誰の為に残してくれたものなのか。そしてそのお金がどれだけ大切なものなのか。少し説教じみてしまったが言って聞かせた。金銭感覚を学ばせるのもそのためだ。
だから、そのお金はここぞというときに大事に使えと言った。それ以外の私生活で必要な服などの欲しいものは、言えば相談に乗るからとも。
まあ相談に乗るだけで、買うとは一言もいってないんだが。
最後に。週に一回は必ず家に帰ること。
それは俺の我が儘というか、感傷だった。
大義名分は家を掃除しとかないと傷むとか、防犯の為に家には定期的に帰った方がいいとかではあった。
だがそれよりも、あの家に帰ってあげないと彼女の両親が悲しむんじゃないか。帰ってあげないのはあんまりじゃないのか。
彼女の両親はもういない。だから、彼らの本心がどう思っているかそれはわからない。
俺は幽霊を見たこともなければ、信じているわけでもない。
だから、これは感傷だし、そうした方が良いなんていう俺の自己満足でしかない。
でもそうやって少しずつ彼女は、ご両親の死から向き合っていかなければならないのではないかと、そう思った。
そういう決まりごとをして、今二人でいる。
なんだか保護者じみて来てしまったなと思う。無理もない。年の離れた男女だ。どうしても年上からはそういう目線になってしまう。
食べ終えた昼食を片付け、響花はベッドの上でタブレッドで漫画を読んでいる。
楽しそうに読んでいるその姿は年相応で──けど、娘という感じはしない。姪とも違う。
当然だ。小さい頃から知っているわけではないから、娘みたいな視線では見れない。
かといって付き合っているわけでもないから、恋人かと言われたら違うような気がする。
奇妙な関係。そうとしか言いようがない。
彼女とどうなりたいのか。どうしていきたいのか。それは今はまだはっきりとわからない。
まあ……そう急く話でもないか。そう、彼女をぼんやりと眺めながら思う。
「?」
俺の視線に気がついたのか、彼女がタブレットから顔をあげる。
その口元が得意気にニヤリと笑う。
「なぁに光ちゃん。私に見とれちゃった?」
からかう彼女に、俺は真顔で言い放つ。
「ああ、見とれてた」
「へっ!?」
「響花は可愛いしな」
「ふぇっ!?」
彼女の顔が火がついたように真っ赤になった。
「顔立ちは可愛いし、髪は黒くて綺麗だし、小柄な癖に出るとこは出てるし」
「小柄は余計ですぅ!」
そういって顔を隠すように彼女は枕に顔を埋めた。
機嫌を損ねてしまったか。今晩のおかずがちょっと豪華になるのを期待したんだが。
だが、枕に顔を埋めながらも、足はパタパタと上機嫌に動いていた。どうやらカウンターの褒め殺しはうまくいったようだ。チョロいなぁと思いつつ、こんなにチョロくて大丈夫なのかと心配になる。
ちなみにその日の晩飯は本当におかずが一つ多かった。
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<あとがき>
第二部、ゆる甘な本格同棲の始まりです。
もしご興味頂けたら小説のフォローや★なんか頂けると大変励みになります。
今回も光太郎と響花のお二人にお付き合いください。
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