25:俺と彼女の朝




 目覚ましの音と共に私の意識はゆっくりと浮かび上がる。


 うっすらと目を開きながら枕元の携帯を探しだし、目覚ましのアラートをオフにする。


 一つ大きく欠伸をして、私は起き上がる。


 後ろについた手から人の温もりを感じて、私はその方向に視線を向ける。


 光太郎さんの寝顔がそこにはあった。まだぐっすりと眠っている。


 昨日、帰ってくるのいつもより遅かったもんね……。


 案外間抜けなその寝顔に、私は笑みを残してベッドを這い出る。


 ハンガーにかかっている制服を持って洗面所に向かう。


 洗面所で顔を洗い、歯を磨く。寝巻きから制服に着替えて、制服の襟から後ろ髪を引っ張りだし、指で鋤いて後ろに流す。


 洗面台の鏡を見ながら髪を手で束ねて……結ぶかどうか少し悩む。


 光太郎さんはどっちが好きなんだろう。たまに結ぶと視線を感じるが、あれは珍しいからだろうか。


 うーん、今日はいっか。そう思って指を離す。


 洗面所から出てエプロンを身に付け、キッチンに立つ。


 卵を二つ溶いて、半分をフライパンに流す。


 焼けてる間に冷凍庫から冷凍食品をいくつか取り出し、二人分の弁当箱に詰めていく。


 一通り詰め終えたら、レンジで少しだけ加熱する。

 

 その間に焼けた卵焼きを巻いて……巻い……あ、破れた。ま、いっか。少し不格好ながらも巻き終えて、残りの溶き卵をフライパンに流し込む。


 ご飯を弁当箱に詰めて、真ん中に梅干し一つ置く。


 レンジからおかずの入った弁当箱を持ってきて、最後に切った卵焼きを弁当箱に入れれば、二人の弁当の完成だ。


 弁当が出来たところで、光太郎さんを起こしにいく。


 カーテンを開け、真夏の朝の日差しを部屋の中に取り入れる。


 手で日差しを遮りながら空を見上げる。今日も晴天で暑くなりそうだ。


「ほら、光ちゃん! 起きて!」


 光太郎さんの体を揺する。


「う……ん」


 光太郎さんが寝返りをうつ。ごろりと私の方に向いて、朝日に眉をしかめた。


「光ちゃん。会社遅刻しちゃうよ」


「あー……きょうか……」


「え? 何?」


 聞き返すが、光太郎さんは目をつむったままだ。どうやら寝言らしい。


「もう、夢にまで私の事見てるの?」


 と、呆れた声を出してみるが、なんというか悪い気はしない。悪い気はしないから口元が緩んでいるのが自分でもわかる。


 ここで他の人の名前出してきたらつねって起こすところだったけれど、私の名前が出てきたからなるべく優しく起こそう。


「ほーら、光ちゃん!」


 少し強めに揺する。光太郎さんの首が前後に揺れるが、起きる気配がしない。


 今日の眠り深いなぁと思って再び揺すると、


「んあ……」


 ようやく光太郎さんの目がうっすら開いた。


「あ、やっと起き──」


 しかし、光太郎さんは体を揺すっていた私の腕を掴むと、


「きゃっ」


 その掴んだ腕を引っ張った。自然と、私は光太郎さんの上に覆い被さる形になる。


「響花……」


 もう片方の手が私の腰に回され、抱き寄せられる。


 光太郎さんにこんなに密着するのははじめてで、しかも光太郎さんが抱き寄せて来て私の頭の中は真っ白になる。


「ちょ、ここここ、光太郎さん!?」


 ね、寝ぼけてるんだよね!? そうだよね!?


 と思いながら顔を見れば、目が開きそうになっては瞑りを繰り返している。


 やっぱり寝ぼけてる!


 いや、寝ぼけられてやられるのもなんというか乙女心的に複雑と言いますか、こういうのは素面でやってほしいというか、ああ、もう! なんで寝てるのこの人!


「いい加減に、起きな──」


「いい……匂いが……」


 起き上がろうとした頭は光太郎さんの手で押さえられ、そのまま私の頭に顔を埋めるように抱き締められる。


「~~~~っ!」


 光太郎さんの胸板は、なんというか案外大きくてごつごつしていて、当たり前だけれど女の子とは全然違うことを思い知らされる。


 腰に置かれた手は案外力強くて、逃げようとしても体をガッチリと捕まれている。本当にこれ、起きてないんだよね?


「ちょ、ちょっとー。光太郎さーん。お、起きてー」


 私はもぞもぞと光太郎さんの体から離れようとするが、一向に起きる気配がない。


 顔を押し付けた光太郎さんの胸からは、トクントクンと一定のリズムで心臓が鳴っている。それはなんだか心地よいリズムだった。


「…………」


 あと五分……。

 

 うん、あと五分だけ。こうして心地のいいリズムに耳を傾けているのも、いいかもしれない。


 そう思って私は光太郎さんの胸に顔を埋めた。

 



※  ※  ※




 朝だ。そう思ったのは瞼の裏に日の光を感じたからだ。


 その光から逃げるように寝返りを打とうとして、何か抱きかかえている事に気づく。最初は枕でも抱き締めていたのかと思ったが、それにしては大きい。


 大きいし、響花のシャンプーの匂いがするし、暖かいし、無機物にはない独特の柔らかさがある。


 俺は目を開いてその方向を見た。


「──!!?」


 制服姿の響花が俺の胸に抱きついていた。


 いや、抱きついているというより俺が抱きつかせていた。


「おあっ!」


 慌てて手を離す。


 それに気がついて、響花は胸に頭を預けたまま、首だけ動かして俺を仰ぎ見た。


「やっと起きたの」


「響花……これは、どういう状況なんだ?」


「見ての通り、寝ぼけた光ちゃんに抱き締められてたんだけれど?」


「よいしょっと」という声とともに、響花は俺の腹に手を当てて起き上がる。仕返しだろうか。「ぐえ」という変な声が出てしまった。


 それに……お腹に当たっていたあの柔らかくも張りのあるものは胸だったか……もっと堪能しておくべきだった。


 彼女は仁王立ちになって俺を見下ろすと、少しだけ眉を逆立てた。


「何回も起こしたんだからね? それなのに光ちゃん寝ぼけてて──」


 逆立った眉もすぐにハの字に変わると、頬を染めて顔を背ける。


「急に抱き締めてくるから……夜ならいいけど、朝は忙しいからダメだよ?」


「あー、いや、寝ぼけてたとはいえ、すまん。何か変なことしてなかったか?」


 夜ならいいのか、という言葉はとりあえずスルーしておく。


「うーん……抱き締めて、私の頭の臭い嗅いだことぐらい?」


「端的に言って犯罪なのでは……」


 それは絵面的に許されるのだろうか。


 そう言うと響花は悪戯っぽく笑い、


「そうだね。光ちゃんは責任とらないとね!」


「責任って……なんの?」


 一応、わかってて聞く。というかこいつはわかってて言っているんだろうか。


「もちろん、これ」


 響花は左手を掲げると、その薬指の根本を指で挟んで見せた。


 俺は首に手をやり、数秒言葉を選んで、


「冗談でそういうことを言うもんじゃない」


 と、たしなめた。


 響花が何か言う前に起き上がる。そうしながら壁にかかった時計を見た。


「って、結構ギリギリの時間じゃねぇか」


「光ちゃんが起きないのが悪いんだから!」


 全くその通りである。


 急いで朝食のパンを詰め込み。顔を洗って着替える。


「はいこれ、お弁当」


「お、おお……ありがとう」


 鞄を引っ付かんで部屋を出ると、既に玄関で待っていた響花がハンカチで包まれた弁当を差し出してくる。


「いつも悪いな」


「私の分のお弁当もあるから、いいの」


 笑顔で差し出された弁当を受け取り鞄の中にいれる。


 響花、俺の順で靴を履いて玄関のドアを開ける。


 既に外は暑く、冷房で冷やされた部屋とは違い、熱気のある風が入れ替わりで頬を撫でていった。


「エアコン切った?」


「ああ、大丈夫だ」


 玄関のドアを閉め、響花が鍵をかける。


「それじゃいこっか、光ちゃん」


 グレーのプリーツスカートを翻して響花が先にいく。夏服の白いブラウスは下がうっすら透けているが、キャミを着ているようで少し安心した。


 アパートの階段を降りたところで彼女は日傘を差して、俺が降りてくるのを待つ。


 駅までの道を二人で並んで歩く。


「毎日毎日こう暑いと嫌になっちゃうねぇ」


「女の子は大変だな」


 日焼け止め塗って、日焼け対策に日傘を差して……男の俺ではそこまで美意識を保てない。


「男の人でも化粧水くらい塗った方がいいって聞くけどね」


「そうか……?」


「そうかもよ? だってほら」


 響花の手が俺の目元に伸びる。急なことに俺は驚いて仰け反るが、響花は気にしていない。


 その細い指が俺の目元に触れた。


「ここ、シミがあるよ」


「え、マジか」


 思わず触れられた場所に指を持っていく。


 響花の指に俺の手が触れるが、今さら二人ともこんなことでたじろいだりしな──


 ──伸ばした俺の手を響花が掴む。そのまま手を下ろし、俺たちは手を繋ぐ形になる。


「……響花、本当にシミあったのか?」


「え? それは本当だよ?」


 にっこりと彼女が笑う。


「……少しだけだぞ」


「ふふ、ありがと」


 駅につくまでの少しの間、手を繋いで歩く。


 指に触れるのははじめてじゃないが、こうして手を繋いで歩くと言うのは、はじめての事だ。


「嫌じゃないのかよ。結構汗かくぞ」


 夏の暑さもあいまって、どうしても手に汗をかいてしまう。


「それは……お互い様だし」


 チラリと横目で響花の顔を見ると、夏の暑さから来るものではない熱で頬が赤くなっている。


 恥ずかしかったらやらなきゃいいのに、と思うものの、女の子と手を繋ぐのを嫌がる男はそうそういない。


「手……」


 握られた手に視線を向ける。


「冷たくて気持ちいいな」


「そう? そういう日なのかも。光ちゃんの手は……暑いね」


「……夏、だからな」


 駅が見えてきて、俺たちはその手を話した。


 改札を抜け、ホームに降り立つ。


 最近気がついたのだが、どちらも池袋方面なのだから、乗る電車の時間を合わせれば俺も響花も同じ電車に乗れる。


 ホームに滑り込んできた電車に、先に降りる彼女をドア側にして乗り込む。電車の揺れで押し寄せる人混みを自分の背で受け、響花を守る。


「やー、なんか毎日、悪いね」


「登りは混むからな……個人的には見知らぬ女子高生が近くにいるより気が楽だ」


「そうなの?」


「いや、なんか怖いじゃん。色々と」


 響花は小首をかしげているが、知らないままの君でいて欲しい。


 程なくして電車のアナウンスが響花の降りる駅を知らせた。


「それじゃ、行ってくるね」


「はいよ。しっかり勉強してこい」


「……うん」


「目を逸らすんじゃあない」


 ドアが開き、手を振って響花が出ていく。


 降りる人以上の人々が乗り込み、自然と俺は車両の真ん中に押しやられていく。


 今日もまた、一日が始まる。


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