31:俺と彼女の関係に答えは出ない
◇ ◇ ◇
「あんた、性格悪いだろ」
「失礼ですわね。大学では一部生徒から女神なんてもてはやされてますわよ」
性格が悪いことは否定しないってことは、そうなんだな。
こう、ガン攻めしかされないというのもいけ好かない。
「ふーん大学生? どこ大学?」
「慶應ですわ」
お、おう。結構いいところ通ってるじゃねぇか。
いや怯むな。いい大学通ってるからってなんだってんだ。むしろ好都合じゃないか。
「さっきの質問、俺にとっては答える義理もない。だが──」
「ですが?」
「交換条件に応じてくれるなら、答えないこともない」
「へぇ……」
彼女は自分の胸を隠すように両手で守ると、半目で俺を睨み付けた。
白い肌が心なしか紅潮しているように見えるのは、照明のせいだろうか。
「貴方変態ですわね……」
「──は?」
自分の発言を振り返る。どこにも落ち度などないはずだ。なぜそんな言葉が出てくるのか。
響花といい、マリーさんといい、なんで俺の周りの女の子はみんな頭ピンク色なのか。
「俺はただ、響花の勉強を見てほしいとお願いしようとしただけだが……」
「…………」
その言葉にマリーさんは暫く硬直し、一口水を口に含んで、ゆっくりと飲み下した。そしてニコリと微笑むと、
「このド変態」
「なんで罵倒されなきゃならないんだよ……」
頭ピンク色で変態なのそっちだろ! いったい何を考えたんだよ! ここで突っ込むとやぶ蛇だから突っ込まないけどさぁ!
ひとつ咳払いをして切り替える。
「あいつ最近色々あったせいか成績落ちちまってな。どうにかしてやりたいが、俺じゃ勉強は教えられないし。あんたなら教えられるんじゃないかと思ってな」
「そうですわねぇ。確かにできなくはないですけど……」
彼女はスマホを取りだし何かをチェックし始めた。
しかし、すぐに眉をしかめると首を横に振った。
「んー……保留というのはいきません? しばらく予定が空きそうにないですわ」
「そうか……まあ考えてくれるだけありがたい」
俺はひと息ついて椅子に背を預け、
「じゃあ俺の答えも保留ということで」
「は?」
彼女の顔が跳ね上がる。
「そんなのアリですの!?」
責め立てる視線が俺に突き刺さる。だから美人は睨んだらいっそう怖いんだよ。
「アリかナシかで言えば、ナシなんだが……まあなんだ……」
俺はその視線に怯むことなく見つめ返しながら、苦笑いをする。
「すまないが、その質問の答えは待ってくれないか」
マリーさんに回答する義理はない。
無いが、その──俺は響花とどうありたいのかという問いは答えなければならないと思った。
それはマリーさんに言うためではない。
俺と、響花のために必要なことだ。
その答えを出さなければいけなことを俺は、たぶんずっと前から気づいていて、そして恐れていた。
その答えを出すことで俺は響花を傷つけてしまうのではないか。その答えを出さないままであれば、このぬるま湯のような関係のまま続けられるのではないか。その方が俺も、響花も傷つかないのではないか。
そう思う反面、それは無理だなと思う。
俺は……たぶん響花もこんな、友達なのか、叔父と娘なのか、恋人なのか、はっきりしない関係に我慢できなくなると思う。
だからそれまでに、俺の気持ちはどうなのか、この関係をどうしたいのか決めなければならない。
「──全く」
マリーさんから諦めに似たため息が出た。
「いい歳だというのにだらしないですわね」
「ああ、そうだな。その通りだと思うよ」
その時、店の奥のドアが開いた。
◇ ◇ ◇
「お待たせしましたお客様。ご注文はいかがされますか?」
響花だ。マリーさんと同じ黒い半袖のワイシャツに、タイトスカート、フリルのついた腰しただけのエプロン姿で、やや緊張しながら伝票とペンを持って立っている。
少し離れたところに立っている長い茶髪の女性は、恐らくこの店の店長だろう。軽く会釈をして挨拶をする。
「ふむ……」
「うーん……」
俺とマリーさんは響花の姿を爪先から頭のてっぺんまで一通り眺め、
「地味だな」
「地味ですわね」
そうコメントした。
「じ、地味……?」
「あー、やっぱりそう思う?」
店長が苦笑いしながら俺たちに同意する。
「響花は黒髪だからな黒一辺倒だとそう感じるかもしれん」
「うーん、髪でも結んでみる?」
「あ、良いですわね。リボンとかあると良いかもしれませんわね」
店長が響花の黒髪を高い位置でまとめ、まとめた髪を縛るようにマリーさんが手にしたリボンで蝶々結びにしてポニーテールにする。
「あ、あの……」
響花は珍しく困惑の表情を浮かべ、背後に回った二人に声をかける。
「髪、染めてきましょうか?」
「ダメよ」
「ダメですわ」
「絶対にダメだ」
「光ちゃんまで!?」
「──しかし、もうひとアクセント欲しいですわね」
「なら髪止めは?」
「あら、良いですわね」
花柄の飾りがついたヘアピンで片方の耳を出すように、まとめる。
それを見て俺たち三人はようやく納得の表情で頷いた。
「まあまあじゃないか」
「いいえ、ちゃんと可愛らしいですわよ」
「看板娘が増える気がするわぁ」
「あの……それよりご注文……」
ああ、なんのために来てたのか忘れていた。
「研修?」
「うん。そう。いきなり実践に放り込むのは酷だろうからって」
「面接はどうだったんですか?」
俺が店長に確認すると、店長は指でOKサインを作り、
「とりあえず採用ね」
ホッと胸を撫で下ろす。
「そうか……ならブレンドコーヒー。ホットで」
「じゃあ私はアイスティーをいただきますわ」
「ブレンドコーヒーと……アイスティーですね。えっと、か、かしこまりました」
慣れない手つきで伝票にオーダーを記載していく。
「それじゃ長島さん次はキッチンでコーヒーと紅茶の入れ方教えるわね」
「あ、はい!」
再び店の奥に向かっていく店長の後ろに響花もついていく。
「さて、私も様子を見に行きますわね」
そう言ってマリーさんも席を立つ。
「ああそうそう、さっきの約束──」
去り際、マリーさんは振り返ってなんだか楽しげに微笑んだ。
「忘れないでくださいましね」
「ああ……そっちこそな」
「それは大丈夫ですわ!」
◇ ◇ ◇
「もう夕方か」
店から出ると太陽はだいぶ西に沈みかかっていた。
熱風とも言える風が頬をなで、クーラーで冷やされた体が一気に汗ばんでくる。
「明日からかぁ……大丈夫かなぁ」
私服に着替えた響花が伸びをしながら、後ろからついてくる。
「大丈夫だ。変なドジさえしなきゃ。最初はみんな優しくしてくれるもんさ」
「うう、そうかなぁ……」
「そうだな……人前に半裸で出てくる勇気さえあればなんとでもなるだろ」
そういうと響花は夕暮れでもわかるぐらい顔を赤くさせ、次の瞬間には頬を膨らませた。
「もう! そう言うこと言う光ちゃんは嫌い!」
「ぐっ……ぐっ……殴るなよ」
本人は軽めのつもりなんだろうが、意外と鋭いパンチが背中に何発かささり俺は身もだえをする。
「光ちゃんが変なこと言うから悪いんですー」
そう言いながら響花は俺のとなりに並ぶと、ニコリと笑った。
怒ってるんだか喜んでるんだかわからんやつだな。
「バイト合格記念に何か食っていくか……」
「わ、いいね! ラーメン食べたい!」
「ラーメンか……いい店を知ってる」
「おっ、ホントー?」
職場から近い場所でよく利用している店だ。味の好み的にも響花に合うだろう。
その道すがら、日陰で露店商がアクセサリを売っているのを見かけた。
響花の視線がそちらに向き、それに釣られて俺も視線を向ける。
俺と響花の足が同時にピタリと止まった。思わず顔を見合わせ、俺はなんだか気恥ずかしくなって視線をそらし、響花はそれを見てやはりニコリと笑った。
「光ちゃんはアクセなんて興味あったっけ?」
「あー、いや、なんだ」
顔を覗き込む響花の視線から逃れるように俺は目を逸らし続ける。
「いらっしゃい。なにかお探しですか?」
そこに店員が声をかけてきた。ちょうどいい。
「あの、髪止めってありますか?」
「髪止めですか? どういう髪止めのものでしょう?」
「ああ、ええっと……」
ああそりゃ、髪止めっていっても色々あるよな。
「アメピンタイプってありますか?」
俺がなんと言おうか言いよどんでいると、響花が助け船を出してくれた。
「それでしたらあちらの方にいくつかありますよ」
店員が指し示してくれた方を見れば、確かに装飾がついたピン止めタイプのアクセサリが並んでいる。
「なんか、すまんな」
「ん? んーん。それより、光ちゃんも同じ考えでなんか嬉しいな」
「……アクセ付けた方が良いって言ったの俺だしな」
「ふふ、光ちゃんのそういう所、好きだよ」
良い歳をして……けれど言われ慣れないその言葉に一瞬心臓が跳ねる。
「……こういうの、どれが良いんだろうな」
それが悟られないように俺はヘアピンをいくつか手に取った。
「光ちゃんが選んでみて」
「え……良いけど文句言うなよ?」
「それは無理」
なんだよそれ。まあ実際に身に付けるのは響花だし、本人が文句言うものを買うつもりもない。
俺はいくつか手に取ったものを響花にかざして確かめてみる。
そこからはまあ、文句の連打だった。
「え? ハートはなくない?」「蝶って派手でしょ?」「リンゴはないと思う……」「うーん、悪くないけどちょっと重いかなぁ」
「手厳しくないか?」
「私は光ちゃんのセンスが不安になってきたよ……」
装飾はシンプルな方が好みらしい。
なら、これはどうだろう。
「お?」
朱色の、シンプルだけどウェーブ形になっているヘアピンだ。
響花は渡されたそれを、耳を出すように髪を留め、鏡でその姿をチェックする。
「んー……うん」
何回か角度を変えて鏡を見て、ようやく響花は納得したようにひとつ頷いた。
「いいんじゃないかな。どう?」
「ふむ……可愛いんじゃないか?」
そう言うと、響花は少しだけキョトンとした顔のあと、頬を染めてそっぽを向いた。
「…………そう、ストレートに褒められると、なんか反応に困る」
「自分で振っておいてそういうなよ……」
「ごめん」
「まあ、いいけどさ──すいません。これ貰えますか?」
「ええはい。五百円になります。そのまま付けて行きますか?」
「ええ。そうします」
思ったより安いな。俺は財布から五百円玉を取りだし店員の手のひらに置いた。
「それじゃ行くか」
「うん」
「ありがとうございましたー」
気だるげな店員の声を背に、俺たちは再び歩き出す。
夕焼けに照らされるビル郡の下を、さっきのアクセサリ屋やバイト先の事など、他愛もない話をしていく。
俺と響花はどういう関係に見えているのだろうか。
そして、俺はどうしていきたいのだろうか。
その答えは、正直まだわからない──。
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