第10話 完

 明け方のうちに目を覚ました。

 もう少し眠ろうと思って目を閉じても、まぶたの裏に見えるのは思い描く成功ばかりなので、春花は体を起こした。

 机に向かい、呪文を書く。まずは下書きとして、日本語で順番をメモしていった。今回はいままでになく長い呪文になる。それらの順番をひとつが違っただけで計画が破綻の危機に陥ってしまう。万全にしておく必要があるのだ。


 必要な要素のリストアップが済んだら、次は第二の下書きとしてフローチャート図を描く。情報科目で少しだけ教わっていたうちの、どの形がどの動作かが曖昧だ。しかし今回は自分だけがわかればいい。菱形と楕円を並べて、線で繋いでいった。


 日が昇り、マリも起きてきた。

 この日は春花が机に向かっているとわかったので、食事の支度ではなく春花の部屋にきた。見守りながら、時折り辞書の必要なページを開けたり、水のおかわりを置いたりした。


 マリの役目は、今は見守るのが第一だ。書かれた内容から、春花がやろうとすることのある程度は理解できた。それがどんな結果に繋がるかもだ。

 ただ邪魔をせずにいる。それがいちばんの協力になる。


 植物は魔女とのつながりが強く、友好的だ。扱う難度が低いし、長期的に残ってもくれる。難点としては、不利な範囲に対しては誤魔化しすらも効かないことだ。他のあらゆる方法を用いて、決して不利になってはいけない。


 その特徴から、魔女の間ではあまり人気がない。元々が難題を突破する熱意に溢れているので、せっかくだから派手なものをと考えられがちなのだ。


 正午だ。

 呪文を書き上げて、最後に確認している。ここで間違いがあっては大変なことになる。幸いにもすぐに見つけたので、改めて書き直す。ここまで使っていたノートは、この日だけで三冊目を開けた。


 間違いがないとわかったので、ひと休みのティータイムにした。そのあとで清書として、一直線になぞれるように書く必要がある。そこでの書き損じを防ぐため、ただ書き写すだけにしたのだ。


 春花は無関係なページを破って外す。始まりを見間違えるリスクも除いておきたい。その間にマリが茶菓子を用意した。


 目を使い通しの春花に対し、マリは目を休ませるよう助言をした。副産物として、ケーキの味に集中できる。クリームにいくつかチョコレートの欠片が混ざり、それとは別に果肉らしき食感もある。それが何かを気にするのではなく、ただ味に集中した。甘さ、ほろ苦さ、少しの酸味。


 食べ終えたあと、しばらくは黙ったままで隣に座った。側面同士を触れ合わせて、腰や太腿に手を伸ばす。本当の楽しみを後にとっておくような、いますぐに満足したら長期的には損になるような、そう思わせる手つきで少しだけ味わった。


 意を決しなおしたところで、呪文を書いていった。仕上がりの再確認をする。書き間違いは今度もなしだ。


 いよいよ呪文をなぞっていく。壁一面に、床一面に、そしてひと部屋分を超えて廊下まで使った。何度も往復して、ようやく最後までたどり着く。その間、どこからか音がきこえていた。クジラが海中深くで潮吹きをしたような、大量の水泡が割れる音だ。


 なぞり終えてからは聞こえる音が地鳴りに変わった。木々がざわめく。鳥たちが飛び去る。姿勢を低くして手すりを掴み、互いの腕を絡ませ、転落を防ぐ。


 巨大な樹が芽吹く。まるで移動してきたかのように伸びていく。幹の中で家をまるごと包み込んだ。

 暗闇となった家の中まで埋めるように幹の外側が迫り、春花とマリの身を入れる小さな一室を作った。広さは寝台の上ほどの、部屋と呼ぶには狭い空間だ。六つの方向はすべて木の内壁であり、書いていた呪文やその他のものはすべて覆われてしまった。


 一室の中ではまず、足元からのびる、蔦に似た部分が両者の肛門に滑り込んだ。うっかりにでも外れないように、先端が膨らんだ。中での硬さに反して壁面に繋ぐ部分は柔らかな蔦になっている。


 動く邪魔にはならない。長くはないので壁に繋がれているようにも見えるが、そもそも狭い部屋だ。最大限に離れても蔦はまだ余る。二人分が何度か絡まってもだ。


 この蔦は、根が吸い上げた水分を中にいる二人に送ってくれる。人間は腸からでも水を吸収できる。そして根の先は水源の近くを陣取っている。これでもう。水分不足の心配はない。


 日光も外敵もない空間なので、消耗しうる体力は中で使うだけとなった。その補填となる少量の栄養も水と同時に摂れるようになっている。そのように呪文を書いた。


 都合のいい共生関係だ。呪文のおかげで、樹は大きく強くなる。樹のおかげで、術者が守られる。側からみれば一方的な寄生にも見えるかもしれない。しかし発端では対価を先払いしている。


 この小部屋でさっそく、春花とマリは肢体を絡めあった。


 一方で外側がどうなっているか。

 巨大な木がいきなり現れて、動物たちは警戒心を剥き出しにしている。

 根が畑を横切って河辺まで伸び、他の方向へも相応の広がり方をしている。その範囲には別の水源もある。根は深いところを伸びているので、すでにいた木たちとの衝突はなかった。


 家ごと飲み込む太い木ではあるが、高さはさほど目立っていない。周囲の木もわずかながら大きくなった。もしくは、そんな錯視を誘発する形をしている。葉を茂らせる枝の向きが上か下か。周囲の木のさらに周囲に、さらに小さな木がある。


 動物たちも次第に警戒を解いていった。

 虫が葉を食べる。小型の動物が虫を食べる。中型の動物が小型の動物を食べる。それらの各段階で、なんら異常がなさそうだと見て覚えていった。それどころか、調子がよさそうにも見えた。


 共生関係のために、動物たちの楽園になれる要素を取り入れる改造をした。単に美味なほか、少しだけ心を安らがせる。そうして近隣の環境を整えるほど、この場の安全さも高まる計画だ。


 誰にも見つからなければ、誰にも邪魔をされない。


 中の二人は、もう天候の心配も食事の心配もなく、ただお互いを求め合うのみでいられる。何一つとして恐れるものがなく、誰一人として割り入ることがない。必要なすべてが揃っている。

 二人は、永久に結ばれたのだ。


「そろそろひと休みしようか。続きはまた明日」

「また明日。さて、明日は何をしようかしら」

「もう決まっているでしょう」

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『魔女がおなごを愛でるだけ』 エコエコ河江(かわえ) @key37me

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