『魔女がおなごを愛でるだけ』

エコエコ河江(かわえ)

第1話


 春花はため息をついた。使えそうだったスマホは充電を忘れていた。

 今は公園の東屋でどうにか雨を凌いでいる。小さなトートバッグから道具はなにも出てこない。天気予報では、夕方までの降水確率は40%と言っていた。しばらく待っていれば残りの60%の地域になるかもしれない。とはいえ風が弱いので、あまり期待はできない。

 予報の通り夕方まで待つか、待てなければ濡れて帰ることになる。広場に見える時計はまだ2時を指していた。

 仕方がないので、どこかから外れて落ちてきた鯉のぼりが雨に打たれながら飛ばされるのを眺めていた。雨が静かに東屋の屋根を打つ。

 ここは商店街から遠い。しかも雨の日の公園だ。ほとんどの人にとって近道にもならない。誰かが通る期待はできない。

 雨の日に散歩をする趣味を、街の誰か1人でも持っていたら、通りがかるかもしれない。春花には1人だけ心当たりがある。春花自身だ。

 とはいえ傘も無しで散歩をするのは全く好みではなかった。


 ゆっくりと近づいてくる人影が見えてきた。

 暗い色で末広がりのシルエットは女性的に見えた。慌てた様子でも雨をしのぐ様子もない。つまり東屋への用事ではないのだろう。

 近づくにつれてもう少し姿が見やすくなった。透明のビニール傘の下に赤髪が目立つので、異邦人か、そうでなくとも春花とは縁が遠い文化圏と予想した。

 体が正面を向いているので、向きなおって待った。春花に用事がある。心当たりこそないが、歩き方でそのように伝えている。

 さらに近づくと、ひとつ勘違いに気づいた。

 あの女性はビニール傘を持っているのではない。雨が頭上で避けているのだ。

 不思議な光景に対し、春花にはひとつ思い当たる噂話があった。

 この地域にはときどき、どこからか魔女がやってきて、かわいい女の子を連れていく。その子はもう帰ってこないか、一度だけ何かを取りに戻る。引き留めても自分が帰る家はこっちだと言って、親元を離れるのだと。

 この手の話は大抵、犯罪者を怪異として語っていると思っていた。それがいかにもな姿を見せられて、もしかしたらと頭によぎった。




 服は柔らかそうな生地を重ねて、歩くたびにひらひらと靡いている。それがドレスではなく普段着と思えたのは、靴でカジュアルな雰囲気にしているからだ。

 「はじめまして」

 女性は東屋の下に着いてから口を開いた。

 少し離れて立つおかげで、彼女の身長が高くても首が痛まないようにしてくれている。そうして醸し出す雰囲気とアルトの音色から、安心させる優しさが読み取れた。

 だからこそ警戒しなければならない。

 「ご用事でしょうか」

 「ナンパをしようと思って。かわいらしいお顔に寂しそうな翳りが見えたから、どうかな」

 「女だけで入れるホテルは、この近くにはないですよ」

 「それよりもまずは、おいしいものをご馳走したいな、と思ってね」

 心が揺らいだ。春花は今、空腹を自覚している。

 春花が高校を卒業するのと同時期に、両親が仲違いをした。それ以来の食事は、ほとんど食材そのままで、たまにファストフードを食べられる程度だ。

 「決まりかな」

 「まずは、と言いましたが、その後はどうするおつもりですか」

 「きみはかわいいからね。ずっと家にいてくれてもいいよ」

 「ご自宅に」

 「もちろん。未成年じゃあ、ないよね」

 「私のことをご存知の様子でしたが」

 「半年くらい前に見かけて、しばらく目で追ってたんだ。お買い物するときに、売り場のちょっと傾いた箱を見かけたら、わざわざ戻ってまで直してたよね」

 「熱心な観察をしている方」

 「もちろん。賢い子は好きだからね」

 「ところで傘がない様子ですが」

 「ふふ。わたしの頭上をごらんなさい」

 東屋の隅にある、屋根から水が流れる真下に立った。

 見間違いではない。流れていた大粒の水が、頭上で角度をつけて曲がり、脇に流れていく。しばらく見せてから、誇らしげな顔で戻ってきた。

 「びっくりしたでしょう」

 そう言うと同時に、ポケットから小さな手帳を取り出した。

 ページのひとつを開いて指で何かなぞった。チラッと見えた内容は、日本語でないのは明らかだった。縦書きの文章だ。

 「これできみも同じように歩けるよ。試してみて」

 なんだかよくわからないまま、とりあえず手を伸ばしてみた。

 屋根から出すと、目の前で確かに水が左右に逸れていった。手を戻して服に触れてみても濡れた跡はつかない。

 「わかったね」

 「何が起こったのです」

 「詳しくはそのうち。それじゃあ、行こうか」

 来たときと同じように歩いていったので、その背中を追いかけた。

 「待ってください。お名前を、聞いてもいいですか」

 「そうだったね。わたしはマリ」

 「万字春花です」

 「春花ちゃん。よろしくね」



 商店街の雑踏からはまだ遠い。

 集合住宅の裏手にある、配電か何かの整備をするための道へと入っていった。明らかに普通の家に向かうのではない。

 この先に続くのは近道ではない。

 かと言って、何かに連れ込むにも不便な場所だ。

 車では狭い入口を通れないし、箱に押し込むには音が響く。

 知っていながら普段は通らない小路。

 マリは半端な場所で立ち止まって指を伸ばした。指しているのは草むらの真ん中にある水たまりだ。

 「覗いてみて」

 何があるのかと思って覗きこんだ。

 何も浮かんでいないし、沈んでいるわけでもない。鏡のように景色が反射しているだけだ。

 木彫りの立て看板が置かれていて。

 「あれ」

 春花は異変に気付いた。

 水溜りに映る景色が、顔を上げた先とは違う。木彫りの立て看板も、二階建てらしき家も、道を作るように咲いた花も。

 頭を振って見比べてみたが、看板は銀色の金属と樹脂で、建物は12階建てのマンションで、花はまだ咲いていない。

 この景色を見て、子供の頃に読んだ絵本を思い出した。

 鏡が不思議の国への入口になっている話だ。タイトルも詳しい流れも忘れてしまったが、印象的なページはずっと脳裏に焼きついている。

 新しくも懐かしい体験に心が高揚した。

 目の前にいるこの人物は、いったい何者なんだろう。

 困惑する春花を尻目に、

 「準備ができたらわたしの手を取って。この先に行きます」

 と言って左手を上向きに開いた。



 水たまりに踏み込んだ。

 マリが先導して足で水面を揺らがせた。

 靴が沈み、膝が沈み、長く軽そうなスカートは浮くどころか引っかかる様子もなく沈みこんだ。感覚は市民プールで足から飛び込んだときに似ている。

 濡れたら服がへばりつくはずだ。しかし今回は濡れていなかった。

 踏み込む前までと同じ、すっきりした服装のままで、植物の匂いが強い地を踏みしめた。

 振り返ってみると、木のひとつが水を掴んでいた。虫眼鏡の形で。

 浮かんだ水を見上げてみる。

 その先にはさっきまで背にしていたマンションが見えた。

 角度を変えれば金属と樹脂の看板も、2階に住む人のベランダも見える。

 ここで通じているのがあきらかだ。

 「今更だけどさ」

 春花が振り返るまで待った。

 「すぐ着いてきたよね」

 「あんな技を見せられたので。安心できる人か、さもなくば無理矢理に連れ去られるか。そう思いました」

 「賢い子だね。おいで」

 マリは両手を広げた。

 この姿勢はハグを薦められているのだと理解した。慣れない事態に期待と懐疑がせめぎ合った。

 内側から魅了し吸い寄せる蠱惑に対し、理性で体を抑える。

 目の前に提示されているのは、春花が求めて、そして諦めていたものだ。顔と手を順番に見つめるばかりで動けずにいた。

 見かねて別の動きをすると思った。

 予想外に、それでいて期待通りに、同じ姿勢と柔らかな表情のままで待っていた。恐る恐る一歩だけ前に出てみる。右足を出したら、左足を揃えるつもりで、勢い余って二歩目になった。

 これは水槽に小さな亀裂ができればすぐに広がるのと同じで、選ぶと決めたらそのあとは一直線だ。

 春花の心境が揺らぎ、目から涙が溢れた。そして耳をマリの首に当てる形で飛びついた。

 「よし、よし」

 「うあっ、うあっ‥‥」

 「かわいい子、不器用なところもかわいいよ」

 「マリさんっ」

 「涙と鼻水は服で拭いていいよ。服だったら、汚れても洗えば済むからね」

 落ち着くまで同じ体勢のままで、背中をさすっていた。



 「おへやに行こっか」

 「行く‥‥」

 2人の間に隙間が空いた。

 惜しむように指に力が入ったので、すぐに春花の右手を取る。もう片方の手で目に残った涙を拭きとった。微笑をみて春花も落ち着いた。

 4歩ほど歩いたところでもう足取りが重くなった。

 疲れとは違う。ただ気怠いだけだ。マリにはその理由に見当がついている。求めているものといったら。

 春花の膝裏に腕を回して抱き上げた。

 懐では左右の手を重ねて、赤児のように見上げている。改めて微笑を見せると、春花も安心してその身を委ねた。揺り籠の足取りで扉へ向かった。

 この扉は軽く押すだけで開けられる。三和土たたきで靴を脱がせて、居間のソファまで運んだ。柔らかな綿に2人分の体重を預けて、脚を支えていた手を腰に回した。

 「かわいい春花ちゃん、来てくれてありがとね」

 「私も、優しくしてくれて、ありがとう」

 「かわいい子には優しくしようって言うもんね。もーっと優しくしちゃうぞ」

 「うれしいです、とっても」

 春花も腕を使い、抱きついた。

 今度は身長の差が補われて、互いの顎を肩に乗せ合う形になった。

 背中や肩で手のひらを感じるたびに、凝り固まった情動が解れていく。

 「ずっとこうしていたい」

 「もちろん、そうしていいんだよ。春花ちゃんのために準備してあるんだから」

 「どうしてそんなに、よくしてくれるの」

 「わたしはね、かわいい子が幸せに包まれてるのが好きなんだ。だから満たされてない子を見つけたら、ほっとけなくてね」

 「おかしな理由。おかげでうれしいです」

 「わたしもうれしくなっちゃうなぁ」

 「じゃあ私も、もっとうれしくなる」

 「いいこだね」


 春花は周囲に目を向けるよりも、目を閉じてたっぷり味わう方を選んだ。

 この居間は調度品の少なさもあって広々としている。四隅にはそれぞれ置き時計、扉、調理台、そして背が低い引き出し式の箱がある。ソファに座ると正面に窓があって、しかも時計を右脇の死角に追いやるので、部屋の大きさをさらに超えて時間も忘れる開放感を用意している。

 こうした計らいに春花が気づくのはもう少し後のことだ。



 置き時計が鳴った。鐘の音ではなく、水が静かに流れる音だ。

 「6時だよ。夕ごはんにしようね」

 「はい。‥‥ねえ、マリさん」

 春花には伝えたいことが山ほどある。多すぎて言葉に詰まってしまうのだ。

 春花はこれまで、歩いていて待ってもらえたことがなかった。両親のどちらよりも短い脚を動かし、必死に追いかけてきた。その途中で同年代の子を追い抜いて、その親とすれ違うこともあった。家に着いても忙しなくあれこれする背中ばかりを見ていた。

 「ありがとう」

 やっとの思いで振り絞った。マリはこれを聞いて、そっと頭を撫でた。

 「おいしいお料理を作るよ。待ってられるかな」

 「うん」

 「強い子だね」

 立ち上がるマリを目で追った。

 調理台はソファから側面が見えるように配置されている。

 袖を捲って、帽子を被り、手を洗う。

 奥にある冷蔵庫へ向かう前に春花の方を向いて、目が合ったので手を振った。

 些細な動きが春花にはたまらなく嬉しかった。

 取り出した食材を切り分ける。ただし道具は包丁ではなく、春花の場所からは4本の指で1度なぞっただけに見えた。

 フライパンに入れたように見えたが、火を使う様子はない。こちらは知識があった。省略してIHと呼ばれる誘導加熱式に違いない。

 香ばしい匂いと音がわかるようになってきた。

 食器を取り出して、フライパンの中身をひっくり返して、別の食器を取り出す。春花が自分はこうしたいと思い描いた姿そのものだ。待つしかない時間で小さな作業を済ませておく。単純なのに、これまでに誰からも見たことはなかった。

 「できたよ。おいで」

 食べる前から充足感を味わっている所に声が届いた。

 「ええと、おにくと野菜の炒め物です。お口に合ったらうれしいな」

 詳しい名前に頓着していない様子に、春花は思わず笑みをこぼした。

 「いただきます」

 「めしあがれ」

 春花は最初に、一口大に切り分けられた肉を口に運んだ。

 奥歯を押し付けるたびに、切り身に対して垂直な繊維がぴったりと剥がれて、間に抱えていた味付きの液体を吹き出していく。見た目からも予想した通り、間違いなく牛肉だ。しかも上質な柔らかさをしている。

 御飯が進む。この米も品種にこだわりを感じた。これまで食べたものとは味も粘りも違う。品種だけでこうまで別物とは知らなかった。

 春花が元気に食べる姿をマリは笑顔で見つめていた。

 気づいて顔を向けると

 「元気に食べてくれてうれしいな、と思って」

 と照れ顔で言った。

 この会話も、もうひとつのおかずとして胃袋から胸まで満たすのだった。


 

 「ご馳走様でした」

 「お片付けは任せてね」

 立ち上がってトイレの場所を案内してから、流し台の洗い桶に食器を沈めた。

 引き出しを開けて、入れておいたメモ帳の2番目の魔法陣をなぞり、元どおりに閉める。

 洗い桶の水があたかも意思を持ったように蠢き、透明なドジョウの群れが細長い胴体を擦り付けるようにして、食器に残った油分や澱粉を洗い流していった。

 小さな塊としてまとまったら三角コーナーへと飛び込んで、そこで役目を終えたようにただの水として排水口へと流れていく。

 残った水でそのまま濯ぐ。

 マリが魔女と呼ばれるのは比喩でも誇張でもなく、実際に水を自在に扱う術を持っているのだ。その動力源あるいは魔力源は服として身につけている。綿をあれこれの樹液や体液で染めて、その綿をスカートや肌着や、冬場ならマフラーにしている。

 側から見れば無制限に扱えるようにみえても、実際は使うごとに資材を消費していく。

 そこで量産しやすい単純な服にしているのだ。

 洗い終えた食器を棚に戻すと、蠢く水たちは調理台へと飛び出した。

 餌を求めるように這い回り、こぼした汁や繊維の切れ端を体内に取り込んでいく。

 たまに集合して1匹がまとめて抱えて、三角コーナーへと飛び込み、残りの群れが場所を変えて掃除する。

 この繰り返しで部屋中を綺麗に保っている。

 最後の1匹は排水口のトラップも掃除してからただの水に戻った。

 これらの様子を途中から、トイレから戻った春花も目にした。

 「マリさん、この子たちはなんでしょう」

 「あら、びっくりさせちゃったかな。わたしの魔法だからよいこたちだよ。安心してね」

 「てことは、あの噂の通り、本当に魔女なのですか」

 「どんな噂かは知らないけれど、そう呼ばれることもあったね。春花ちゃんには名前で呼んでほしいけど」

 「もちろんですとも」

 「うれしいな」

 マリの腕と腰の間に、春花の手が滑り込んだ。これを受けてマリも頭と肩を撫でる。

 初めて会った日でありながら、すっかり安心しきって甘えている。

 そんな子はマリには2人目だ。

 胸元で静かに呼吸の音を立てている。

 「おふろに入る元気はあるかな」

 「うーん、もう眠い」

 「それじゃあベッドに連れていってあげよう。明日は必ずおふろね」

 「うん」

 階段を上り、春花のために用意しておいた部屋に入った。

 扉は開けたまま、常夜灯をつけたままで準備していた。つまみを操作して弱めの明かりをつけた。

 春花は着ていた服と靴下を脱ぎ、ワンピースの寝巻きを着た。

 「あとはわたしに任せて、ゆっくりおやすみ」

 「はい」

 寝台の枕に頭を乗せた。

 「おやすみなさい」

 「おやすみ」

 明かりを消して扉を閉めた。

 時計は8時を指している。突然のことで春花も疲れていることだろう。

 日課の仕込みをしてから、マリも1階の寝室へ向かった。



 柔らかな寝台で目を覚ました。

 掛けた布団を掴むと、体積を縮めてようやく手に収まった。

 ここは春花の部屋でありながら、記憶にあったそれとは異なる。昨日の出来事を振り返った。それだけで胸が熱くなる。早く起き上がりたい。窓からは柔らかい光が朝を伝えている。体を起こす。

 もう昨日までとは違う。部屋に見えるものは、広く確保された空間と、優しい薄緑色の壁紙だ。高揚している。裸足で床を踏む。

 目の前には姿見が用意されていた。

 寝巻きのワンピースは、淡い桃色をしていて、袖口と襟口だけが白になっている。他の飾りはないのに、すっきり上品にまとまった印象をしている。

 扉を開けると真っ先に、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。音と匂いを辿って階段を降りた。

 春花は朝にはお決まりの、下半身からの知らせを受けている。

 しかし今日は、トイレよりも先に開けたい扉がある。

 春花は居間の扉をゆっくりと押した。

 半開きのうちにマリの声が聞こえてきた。

 「おはよう。よく眠れたかな」

 「うん、いっぱい寝て元気だよ」

 「よかった。もうすぐ焼けるから、トイレだけ済ませちゃって」

 「はーい」

 パンが焼ける匂いを嗅ぎながらトイレへと向かった。

 朝日で照らされたトイレは昨晩とは少し違って見えた。

 まだ2度目なのにもう使い慣れた風な足取りで膀胱を空にする。手を洗いながら鏡を見ると、表情が穏やかに感じた。

 どれだけ観察しても形は同じはずなのに、とにかく違って感じたのだ。

 「いただきます」

 「めしあがれ。今日もかわいいね」

 「えへへ。おいしい!」

 トーストがサクサクと音と共にどんどん減っていった。1枚の大皿に2人分を積み上げているのだ。

 マリはさりげなく、コーンスープを食べる早さを調整して、春花が次のトーストを取る直前の残りを多く見せた。

 そろそろ満腹が近づく頃にはその逆で、減る勢いを早く見せた。

 「ごちそうさま。今日もおいしかった。あ、そういえば」

 「どうしたの」

 「昨日の私、おいしかったって言ったっけ」

 「どうだったかな。けども顔に書いてあったのは確かだね。それに、いま聞いたから2倍うれしいな」

 「おいしいものがいっぱいで、すごくうれしいの」

 「よーし、わたしももっと張り切っちゃうぞ」

 「あと洗い物を、こんどは最初から見たい!」

 「いいとも。よく見ててね」

 マリは洗い桶に皿を沈めた。

 そこからは昨日と同じく、引き出しの魔法陣を指でなぞった。

 水が蠢き、食器から浮かんだ食べ物の破片を集めていく。

 「ここにいろいろ書いてあるのを、これで動かしてるのよ」

 「この楔みたいな文字が」

 「そう。どこにでも書きやすいようにね」

 「私がなぞっても、動いたりとか」

 「できるけど、その服じゃあだめ。詳しくは省くけど、特別な生地で織った服が必要になるんだ。このスカートとか」

 春花はこれを聞いて、スカートの手触りを確認した。

 触り心地はこれまでに知っている生地と同じに感じる。

 一度だけ、どこかが切れたような感覚があった。

 目を近づけて観察すると、網目が途中でずれている部分を見つけた。

 「わ!」

 水が形を持って飛び出した1匹が春花の足に飛び込んだ。

 衝撃はないものの、足の裏を舐めるように通り抜けたので、驚いて飛び退いた。

 「よしよし。びっくりした声もかわいいね」

 腰を抱き寄せた。

 「食器洗いのついでに、部屋の些細な埃もお掃除しちゃうんだ。足の裏にくっついてたんだね」

 春花は黙ったままで、マリにしがみついている。背中をさすっている間も、飛び出した水たちが部屋を駆け回った。

 やがて最後の1匹が排水口の掃除をして流れた。

 「こわがりさん。もう大丈夫だよ」

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