第7話
「マリさん、少し」
春花は重い顔つきで声をかけた。
夕陽と小雨が薫る中で、茶菓子を用意したところだ。そのファンシーな食器には似つかわしくない、神妙な話だとすぐにわかった。
「新しい呪文を書いたのかな」
マリのおどけた返事は、和らげるにはまだ届かない。少しでも張り詰めた空気を緩めたかったが、思った通り失敗に終わった。
こうして張り詰める理由はひとつだけだ。
「遠くの声を聞く術を書いたの。そうしたら」
「あの時の子だね。名前はなんだったかな」
二人が察知したのは、侍女めいた風貌の、ゼルレラ・ヤグスと名乗った者だ。
以前に春花を狙った様子でちょっかいをかけてきた存在が、また家のごく近くまで来ている。
そのときは辛くも追い払い、しばらくはマリの魔術で隠れていた。そうして稼いだ時間を使って、春花も魔術を身につけた。
その隠れるための消耗が激しいので、解除したらすぐにこれだ。リスクを負ってまで求めるあたり、相当な理由がありそうだ。
マリの魔術で、様子を探った。
木々の合間にある小さな空間に小さな屋根だけのテントを張り、まるで誰かを待っている様子でいる。すぐには動くつもりがなさそうではあるが、ビバーク程度の簡素な体勢なので、おそらくは合流したらすぐに来る。
とはいえ先手を打つには難があった。家からテントまでは大小の植物が入り組んでいる。森にはもちろん、野生の動物がいる。裏庭と違って管理している範囲ではないので、何がいるかわかったものではない。春花とマリでは、これを抜けて叩きに行くのは危険すぎた。
ならばどうするか。
春花もすでに呪文書を用意している。
中型のノートは普段使いの呪文用だ。暮らしを豊かにするあれこれが書かれている。
たとえば、植物が活性化して光合成を早め、暑く湿った空気から冷えて乾いた空気に入れかえるとか。このごろの気候で何度となく出番がくる。
たとえば、植物を媒介に音を運ぶとか。あまり知られていないが、植物も意思疎通をする。その能力を借りる呪文だ。受け取るために植物性の物品が必要になるので、服を植物性にするのと、服を脱ぐときには耳飾りを用意している。
呪文書はその中型ともうひとつ。常に持ち歩く小型の、緊急時や喧嘩に対応するための冊子もある。濡れを防ぐ半透明のカバーには、見ずとも扱えるよう凹凸のガイドがついている。
春花が身につけた魔術は植物を扱える。マリが扱う水との組み合わせを考えてのことだ。
お互いにお互いを助け合える。植物が水を運び、水が植物を育てる。
春花はもう庇護を受けるばかりではなくなり、今ではまさにパートナーと呼びあえる。
その技能を活用する提案を述べた。
攻めてくる時を待って、返り討ちにする。そのための準備として、気力や体力につながる準備をする。すぐに来たならよし、長めに待つなら消耗は向こうのほうが多い。
ひと通り説明したあとで、締めにもうひとつの提案を加えた。
「今日はお楽しみをしましょう」
まさに脅威に晒されている目の前で、二人の愛を育もうと言うのだ。
「攻め込みやすい隙を見せて迎撃する、と」
「もちろん安全策も用意してね。ここでマリさんの手も貸してほしい」
以前に得た情報から、ゼルレラの魔法は壁の中を通るものだ。加えて、壁以外には影響できない。たとえば、壁の前にある本棚や扉には顔をぶつけていた。
もうひとつの観察結果から、物語をなぞる魔術もあり得る。吸血鬼の伝承をはじめとする、扉を通るには許可が必要な物語が書物にもあった。
それらの観察をもとに、壁ではない竹を並べて道と視界を塞ぐ。その内側へ入る道にも、目の前には竹を置き、横へ避けて勢いを削ぐ
これはシトミと呼ばれる、直進や偵察を防ぐための設備だ。
春花が書いた呪文によって、元々すぐに伸びる竹を、さらに早く、しかも人為的な並びにする。その中にある空洞には、マリが自在に扱える水を詰め込んでおく。
これらを最初の防衛戦とする。春花は語り、マリが頷いた。
作戦会議に一息ついたところで、マリが呟いた。
「綺麗になったよね」
春花は二階の窓から見渡した。どの方角に向くべきか選ぶ。呪文書を開き、折り込みページを伸ばした。その広い一面を三往復する、長い呪文をなぞっていく。
薬液を固形化したパニエがどんどんと崩れて、呪文を動かす燃料となる。
最後までなぞり終えると、竹を地下で繋ぐ根、地下茎が動き始めた。
音もなく、ゆっくりと、家の周りを包むように伸びていく。
もしも地面が透明ならば、家が建つ場所がまるで蜘蛛の巣の中心になる。
しかし今はまだ地下茎を伸ばしただけで、地上にはひとつも出ていない。
長々と書いた呪文にはいくつもの仕掛けを入れてあるのだ。呪文にる動作とは別に、あれこれに反応して急成長させたり、時限式になっていたり。
春花はそうした考えを巡らせるときを三番目の楽しみにしていた。
二番と一番はもうすぐ始まる。
居間に降りると、すでに準備が調いかけていた。
マリが操る水人形が、飾り付けや使う食材を運んでいる。十人力とはこのことだ。
純白のテーブルクロスに銀色の食器が並び、半球型のカバーを持ち上げれば中には料理が待っている。壁紙を隠すようにベージュの垂れ幕があるので、見えるものを限定し集中させる効果に加えて、不意の襲撃への備えになっている。布は使い方次第で銃弾をも受け止められるのだ。
調理台からはジウジウと、熱い鉄板による音と匂いが届けられる。
その管理をするマリが振り返る動作に気づき、その前に春花も後ろに向き直る。
「どうしたの。壁のシミでも見えたとか」
「たのしみを残しておこうと思って。まだお料理を見てないからね」
マリは皿に盛り付けながら微笑んだ。
「春花ちゃんなら、匂いでわかってそうだけども」
「何の肉か、肉以外があるかないか。わからない部分はたくさんあるよ」
ときどき様子を見ながらのホームパーティになった。その感知した素振りは見られず、向こうはあまり整った環境とは言い難い。有利なのはこちらだ。一方的に確認できるし、このあとはふかふかの寝台が待っている。ビバークよりもずっと体力を温存できる。[#「ときどき様子を見ながらのホームパーティになった。その感知した素振りは見られず、向こうはあまり整った環境とは言い難い。有利なのはこちらだ。一方的に確認できるし、このあとはふかふかの寝台が待っている。ビバークよりもずっと体力を温存できる。」は中見出し]
その有利な二人へ迫ろうというのだから、相手はよほど切羽詰まっているか、事情があるのだろう。余裕を見せるだけでますます有利になれる。
もしくは、まだ見えていない勝算がある。
ホームパーティの後は、寝室まで共にした。[#「ホームパーティの後は、寝室まで共にした。」は大見出し]
春花がネコで、マリがタチ。これはいつもと同じ位置どりだ。
春花は珍しく不安に似た情動を浮かべた。
「今日はなんか不思議。初めてみたい」
これまで何度も共にしてきた中で、マリに主導してもらうのがお決まりになっていた。初めての日に任せたのもよく覚えている。
「よしよし。たっぷりエスコートするよ」
マリの囁きを受けて、反論するように春花も主導しようと指を這わせる。一進一退の攻防の末、少しずつマリに押され、蕩けていった。
「やっぱり、かわいいね」
春花は頭を動かして擦り付けた。細かくゆっくりした動きに合わせてマリは首元を逆方向へ動かす。
二人の小さな動きのを組み合わせによって、二人の間では大きな動きになる。脚と脚を絡ませて、腕と腕を重ね合わせて、いつが最後になってもいいように味わい尽くさんとする。
最後の夜を今日も更新していった。
翌朝になってもまだ知らせは届いていない。 鳴子の役目をする魔術が今度は二人分も用意されているので、すり抜けられたとは思い難い。前回のあとで調整し直したのでもある。
様子を伺うと、まだ動いていない。ここで止まっているのはやはり向こう自身の体勢が整っていないからか。それでもビバーク程度の簡素な寝床を見れば、すぐに動く気があると推測できた。[#「様子を伺うと、まだ動いていない。ここで止まっているのはやはり向こう自身の体勢が整っていないからか。それでもビバーク程度の簡素な寝床を見れば、すぐに動く気があると推測できた。」は中見出し]
そのように考えながらも、悠々と朝の支度を済ませた。着替えて、朝食を摂り、せっかくなので新しい魔術を練る。
春花は昨日の昼に、マリが使っていた魔術を思い出した。
従僕を生み出し、簡単な作業をさせる。
思い返せば他のいつも、マリは液体をまるで小動物のように纏まらせて動かしていた。
食器を洗うときも、道具の出し入れをするときも。
そんな使い方を見て春花がやることはすぐに決まった。
春花も作る方法を探してみた。
まずは魔術書の索引からそれらしい言葉を探す。植物を扱う呪文に関連するうち、移動や自律を含む文言を探していく。
歩く植物の生成、これはだめだ。時間をかけて育てる必要があり、少なくとも当分は出番がこない。
動く植物の注入、こちらはすぐにでも使えるかもしれない。根や幹の強さに左右されるが、すでに育った植物を扱ってくれる。
とはいえ家事の手伝いをさせるには、大きすぎるか弱すぎるかになってしまう。
その探し物を中断するよう、鳴子が知らせた。
迫ってくる人影は二人分だ。片方は服装こそ改めているが、顔立ちには見覚えがある。
中性的で整った小顔に、まるで仮面のような表情。あれがゼルレラ・ヤグスだ。今回はパンツスタイルで、露骨に動きやすさを重視している。
もう片方は老婆のようだ。腰は曲がっているが、ふわりとした黒のドレスの下になにを隠していても不思議はない。
ちょうどマリも春花も心当たりがある、魔術の燃料を身に付けるにもぴったりだ。加えて、どことなく腰の曲げかたも演技めいて見えた。戦場では騙されたものから順に倒れる。
春花は警察や軍隊を懐かしんだ。
暴君に対し、自力で対処するには途方もない準備が必要となる。汚職への対処が困難なリスクこそあるが、それを踏まえても少なからぬ利があった。
失ったものを嘆くより、目の前に迫る脅威への対処をする。
「マリさん、もういける?」
「もちろん。一撃で仕留める」
マリが呪文をなぞると、ゼルレラの背後で水蒸気が水滴になった。
足を踏み出したその半ばに落ちて、春花の呪文で用意された竹の根に届く。
その途端、魔術で押さえつけられていた成長点が一気に解放された。
鋭い尖った竹の先端が、ゼルレラの鼠蹊部から消化器を通って脳天まで貫いた。
抜けた先だけを数えても身長より高い。
「よし、とりあえず片方は時間の問題になった」
春花が冷静に観察した。内心の奥深くでは初めて見る光景に驚いているが、状況に対応するにあたって脳は防衛本能を働かせる。衝撃に対する鈍さが強まるのだ。
老婆は腰を曲げたままでゼルレラのほうへ振り向いた。浮いた脚に筋を引く血液を人差し指でなぞり、手袋に吸わせていった。
その手袋の、手首側にある花飾りが弾けて、地面の深くへ刺さった。
時を同じくして、マリの水球が再び老婆の足元へ落ちる。これで終わりだと思ったが、しかしこれは不発に終わった。
老婆は再び二人の家へと歩き始める。堂々と、飄々と。
「マリさん、全部を」
「春花ちゃんは裏から逃げて」
マリが呪文書をなぞると、裏手の川が家の周囲まで雨のように降り注いだ。強くはないが、春花が仕掛けた竹を作動させるには十分だ。蜘蛛の巣状に伸びた竹が一斉に伸びていく。
しかし唯一、老婆が歩く道だけは普段通りの平坦な土のままだった。
玄関ではなく居間の壁に手袋で触れると、ボロボロと音を立てて崩れた。丸い通り道からマリと老婆が対面し、初めて口を開く。
「いい素材だよね。わたくしの所ならもっといい使いかたをできる。ねえ、問題児さん」
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