Ⅱ 隠れ家の吟遊詩人(2)
「――ここが、そのホラ吹き男亭ですな……」
先程の飲み屋を後にしたハーソン達は、その足で聖ボタニカテウス律院の歴史ある教会建築を横目に町を横断し、ベーダー川とは反対側にある山際の、話に聞いたその飲み屋の前までやって来ていた。
街中のものと別段変わりのない、白壁に木材の露出した当地の伝統的な建物の外観をしてはいるのだが、店の背後はすぐ森になっており、やはり町の外れだけあって淋しい印象を受ける場所だ。
「こんな所でも商売が成り立っているところを見ると、いわゆる
「あのう、もし本当に例の
馬の手綱を近くの木に縛りつけ、店の軒先に吊るされた〝笛吹き男〟の笛が
「これは?」
「魂を奪われないための護符です。魔導書『ソロモン王の鍵』に載っている〝月の第四のペンタクル〟を作ってみました。邪悪な霊の力から肉体的・精神的に守ってくれる働きがあります」
受け取ると、その表面に描かれた幾何学模様を見つめながら尋ねるハーソンに、メデイアはどこか気恥ずかしそうな様子で恐る恐るそう答える。
もとは魔女であり、今は羊角騎士団の魔術を担当する役目に就いているメデイアだが、魔女術とは系統の異なる〝魔導書〟の魔術についてはまだまだ素人のため、目下、彼女は猛勉強中なのだ。、
そんな代物を万人が自由に用いることは既存の権力や支配体制を揺るがしかねないため、プロフェシア教会やその影響下にある国々では無許可での所持・使用を硬く禁じた〝禁書〟とされていたが、反面、その許可があればお咎めなく存分に利用することができた。
つまり、その絶大な力を教会と各国の王権が独占しているわけである。
帝国の
もっとも、そこは裏と表があるこの世の中、そんな一部の権力者が決めたルールなどさらさら守る気などなく、密かに無許可で魔導書を使っている輩もざらにいたりするのであるが……。
「ほおう。それは助かる。さっそく魔術担当としての務めを果たしているな」
「……え? い、いえ、そんな……わたしの働きなど、まだまだでして……」
薄っすらと微笑みを湛えて礼を言うハーソンに、図らずも褒められたメデイアはまたしても頬を赤らめ、もじもじと体をくねらせてしまう。
命を救われたあの日以来、ハーソンの役に立つことが何よりも彼女の悦びと化している……。
最初は助けてくれた上に居場所をくれた彼に恩返しがしたいという、ただそれだけの純粋な気持であったのだが、今は少し違うように思う……褒められたい、認められたいという下心ももちろんなくはないが、それよりも何よりも、たとえ見返りがなくとも彼に奉仕をすること自体に言い様のない幸福感を感じるのである。
それはまるで、以前自分も魔女をやめて志そうとした、修道女として神に仕える姿にもどこか似ているような……。
……忠誠心……いえ、もしかしてこれが、プロフェシア教の説く〝無償の愛〟というものなの? もしかして、わたしはハーソン様のことを愛して……。
そう考えると、顔が赤くなるどころか全身の血がカーっと煮え立つように熱を帯びて、今にもその恥ずかしさから発狂してしまいそうになる。
「――メデイア? おい、メデイア、どうかしたのか? 行くぞ?」
「…………え?」
いつからそうしていたのだろう? 気がつけば、ハーソン達はすでに店の扉を潜ろうとしており、ぼおっと突っ立っていたメデイアの名をアウグストが小首を傾げて呼んでいる。
「あ、す、すみません! なんでもありません! なんでも!」
なんだろう? 今日はいつも以上にハーソンのことを意識してしまい、なんだか調子が狂ってしまう……メデイアは慌てて返事を口にするとその場を取り繕いながら、小走りに二人の後を追った。
「なかなか良い店だな……」
店に入ると、こんな辺鄙な場所にあるとは思えないくらい、古い建物ではあるが小ざっぱりとしていて、都会の高級店を髣髴とさせるような良い雰囲気であった。
まだ日が高いせいか、お客も三人ほどしかおらず、穏やかな静寂に支配された店内には、厨房の竈にかけられたスープの、食欲をそそるいい匂いが漂っている。
「いらっしゃい……ほお、立派な騎士様の御一行とはまた珍しい……」
そんな、
こちらの店主は先程の店と打って変わり、長身で細身の、先のツンと尖った口髭を蓄えたダンディな紳士である。服もパリっとしていて、ダンディという点でどこかアウグストと雰囲気が似ていなくもない。
だが、〝ホラ吹き男亭〟という店の名前のせいなのか、生真面目な性格のアウグストと違い、なんだかちょっとチャラい、詐欺師のような印象を勝手に抱いてしまう。
「何にいたしますか? 当店は選りすぐりの地元産ワインを取り揃えてございます。肴には当店名物、こちらの〝ネズミの尻尾〟などおススメですよ」
そうして三人が店主を値踏みしていると、彼はちょうど作っていたらしいその料理の盛られた皿を手にしてこちらへ見せる。
見れば、確かにその木の皿の上には細長い尻尾のようなものを炒めたと思しき得体のしれない料理が、ゆらゆらと白い湯気をたなびかせながら載っかっている。
「ね、ネズミの尻尾!?」
「ハハハ、なに、本物のネズミの尻尾じゃございません。〝笛吹男〟の昔話に便乗した料理で、豚肉を細長く切ったものを炒めてるんですよ。あ、なんなら、〝ラ・メーン〟のパスタと一緒に炒めた〝ネズミー・ラ・メン〟というオリジナルメニューもございますよ?」
それを見て、思わず驚きの声をあげるアウグストに、店主はおかしそうに笑いながらその種明かしをする。さすがは〝ホラ吹き男亭〟の店主、やはり食えない人物のようである。
「それじゃあ、そいつを人数分と、それに合うおススメのワインをいただこうか」
なおも店主の人となりを観察しながらも、ハーソンはその言葉に乗っけられたフリをしてカウンター席に腰を下ろす。
もしも本当に例の
ここは客を装って、さりげなく探りを入れるのが得策だろう。
それにそうでなかったとしても、こうした聞き込みをする場合、役人然りとした態度で上から目線で訊くよりかも、客として金を落とし、印象を良くしてから質問した方が相手も畏まらず効率的である。警戒されてしまっては、聞ける話も聞けなくなってしまうのだ。
「コホン……じゃ、じゃあ、私はその〝ネズミー・ラ・メン〟も追加で」
「わたしは何かハーブ的なものがあればトッピングしてください」
情けない声を出してしまったアウグストも咳払いをして誤魔化すと、どうやら気に入ったらしき〝ラ・メーン〟料理を注文して席に着き、メデイアも自身の好みを伝えてその隣に座る。
「かしこまりました。今すぐご用意いたします」
「時にご店主、この店にはなかなかおもしろい
注文をとるとさっそく調理をしはじめる店主に、やはり自分達が〝魂を奪う
「ああ、それはたぶん、オルペ君のことですね。ええ、ここ最近、うちに出入りしてますよ。確かに彼はなかなか
すると、カウンターの向こうでちゃんと手を動かしながらも食えない店主は、拍子抜けするほどあっさりとその
それが本当にハーソン達の追っている人物なのか? もしそうであっても店主はその正体に気づいていないのか? あるいは充分に知っていてもハーソン達を罠に嵌めるために素知らぬフリをしているのか? あまりにも自然な反応だったので、そこまでは現状判断がつかない。
「なんだ、もしかして彼の演奏目当てにこられたのですか? 今日はまだ来てませんが、いつも日が沈んでから現れるんで、もう少し待っていれば会えるでしょう」
店主はニヤニヤと笑顔を浮かべながら、どこか愉しげにそう続ける。
その笑みが純粋なものなのか、それとも何かその裏に企みを隠しているのか、やはりそれも見た限りでは区別がつかない。
「そうか……では、せっかくだし、それまで待たせてもらうことにしよう」
そもそもこれが当たりなのかどうかなのかもわからず、様々な疑念を残したままではあったものの、ハーソン達は店に居座り、その
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます