Ⅳ 魂を奪う笛(2)

 ……つもりだったのだが。


「何奴っ!?」


 店を出た瞬間、ハーソンとアウグストは目つきを鋭くして腰の剣に手をかけ、メデイアはオルペを庇うようにして彼の前に立つ。


 夜の闇に覆われた店の前の田舎道には、松明を手にした黒い修道士のようなフードをかぶる細身の人物と、その背後に控える大勢の女性達の一群がいたのである。


 幾人かも修道士同様、松明を持っているし、また今夜は満月に近い月が出ているため、女性達の姿もよく見える……皆、けして上等とは言えないような服装をしており、どうやらこの町に住む庶民の娘達であるらしい。


 だが、普通の町娘とは少し違って、全員、頭には木の蔓でできた冠をかぶり、鹿革と思しきものを肩や腰に巻きつけて、その手には松明ではなく、先端に松ぼっくりを付け、柄にリボンやブドウの蔦を巻いた杖のようなものを携えている者もいる。


常春藤キヅタの冠に小鹿の皮、そして、オオウイキョウの茎で作ったテュルソスの杖……昔聞いたことのあるディオニュソスの狂信女マイナスの姿です!」


 女達をつぶさに観察したメデイアが、かつて〝ロマンジップ〟の魔女だった頃に仲間内で聞いた話からそんな判断を下す。


「ようやく見つけたぞ、オルペ・デ・トラシア……さあ、契約を破ったその報いを受けてもらおうか」


 メデイアの言葉に反応するかのようにして、前方に立つ修道士のような人物が、そう、しわがれた声で言いながらかぶっていたフードをとる。


 すると、その下から現れたのは、緑がかった巻き毛の黒髪を長く伸ばし、髑髏のようにひどく痩せこけた男の顔だった。


 老人のようにも、逆に若いようにも見え、牡山羊の如く黄色い色をしたその眼は、闇の中で怪しく爛々と輝いている……また、その胸には首から紐で提げた山羊か何かの角笛も見える。


「バコス……」


 メデイアの影からその男の顔を覗ったオルペは、譫言のように震える声でその司祭の名を短く呟いた。


「…………?」


 そんなオルペを庇うようにマントの影に隠すメデイアであったが、ふと、周囲の闇に甘ったっるいような臭いが混ざっていることに気づく。


「この臭い……お気をつけください! これは幻覚作用のある薬草の粉を燃やした煙です! おそらくはあの松明に入れて燃やし、その煙で娘達の理性を奪っているのでしょう! 吸い込めば、わたし達も正常な判断ができなくなります!」


 やはり魔女としての薬草の知識からメデイアはその臭いの正体にすぐに気づき、ベールを鼻に押しつけるとハーソン達にも注意を促す。


「幻覚作用? ……なるほど。森で開かれる演奏会というのは、その煙を娘達に吸わせ、操り人形にするためのものだったか。魔女の〝夜宴サバト〟も真っ青だな……」


 その言葉に勘のいいハーソンもすべてを理解して、自らもマントの裾で鼻を覆うと司祭バコスの背後に居並ぶ町娘達の方を見やる。


「なんと! では、あの者達は邪教の信者ではなく、罪なき町の娘達なのか! なんと卑劣な……」


「フフフ……大勢での長旅は金がかかるのでな、近頃は使い捨ての狂信女マイナスを現地調達するようにしている。路銀や食料も貢いでくれるので一石二鳥だ。どうだ? 経済的だろう?」


 同じく慌てて鼻を覆いながら驚くアウグストの言葉を拾い、司祭バコスは奇怪な笑い声を低く響かせると、虚ろな眼をした娘達を見せびらかすようにして説明した。


「もしや、噂になっていた〝魂を奪う吟遊詩人バルドー〟とは、オルペではなく貴様の方の話だったか……」


 今さらであるが、一回りして、やはり〝魂を奪う〟の意味が文字通りのものであったことにもハーソンは気づかされる。


「魂を奪う吟遊詩人バルドー? さあて、魂まで奪った憶えはないが……ま、命はあれど心を失って、狂気だけの人形には成り果てるがな……さあ、そんなことよりも早くオルペを渡せ。そやつさえ手に入れば、ぬしらのことは見逃してやろう」


 しかし、本気なのか恍けているのか、人でなしな発言を平気で口にすると、急かすように獲物の引き渡しを司祭はハーソンに要求する。


「フン。騎士として、これから八つ裂きされるという者を見殺しにできると思うか? それに我らは異教・異端の討伐を本分とする白金の羊角騎士団だ。貴様の方こそ、この者とその娘達を置いて立ち去るならばよし、そうでなければ邪教の徒として容赦なく成敗する!」


 無論、ハーソンがそのような要求を飲むはずもなく、護教の騎士として威儀を正すと堂々たる声で、逆に司祭を脅しあげてその選択を押し迫る。


「ハン! 何が邪教だ! 何が異教の討伐だ! ぬしらこそ、我らが古き神の神殿を破壊し、その上に禍々しき教会などを築いた邪なる侵略者ではないか! プロフェシア教会の犬と知れれば、最早、見逃すわけにはゆかぬ……狂信女マイナス達よ、ここにいる犠牲いけにえの山羊を八つ裂きにし、我らがディオニュソス神に捧げるのだ!」


 対する司祭もその脅しに屈することはなく、むしろ敵愾心をより強くして声を荒げると、胸にかけた角笛をとって大きくひと吹き、吹き鳴らした。

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